にこアニメ ON GALLERY 1993/3/29〜4/3

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「巣」と「天窓」 「天窓」 「巣」 絵画3点 「天窓」 「巣」 「浮き島」
嚢と浮く力 「嚢」 「浮く力」 束と根 「束」 「根」
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今回の個展について
 この個展をする2年くらい前に、それまで「私の絵って何??」と何年も何年も悶々としていた状態にとうとう嫌気がさしてしまい、「もういい!考えても何も出てこないなら、好きなように描く!!」と開き直った結果、この個展をすることとなりました。
 当時は高校の美術講師をしていました。絵に関してはようやく光が見えてきた気がしましたが、実生活では身近なところでいくつかのトラブルが重なり、「何の希望も無いなぁ」「絵なんか描いても無意味かも」とネガティヴなことばかり考えていました。この時の作品がすべて暗いのは、かなり意識的にそうした部分があります。「実生活が憂鬱なのに明るい絵なんか描けるか!!」と、「これでもか!」と恨み辛みを込める様に描きました。かなり後ろ向きでいじけていたと思います。この時は音は何を聴きながら描いていたのか...多分パブロ・カザルス(チェリスト)の無伴奏チェロ組曲(バッハ作曲)なんかだったと思います。この頃はクラシックをよく聴いていたから。ちなみに、、絵の中におぼろげに見える色々な物体は「その辺にある物」です。例えば小石、プラスチックのかけら、貝殻、木の枝、木の根、枯葉、人の顔写真(実は「天窓」の中にはカザルスの横顔が隠れているのです!)、石膏の固まり、、など。わざと一般的には「無駄な物」「無意味な物」を選んでそれをモチーフに、それとは似ても似つかない風景を出現させました。
 でも。絵に込めるエネルギーの性質はネガティヴであっても、それを正直に表現すればある程度の作品は生まれてくるのです。表現に向かうためのエネルギーがポジティヴかネガティヴかはさして重要ではありません。個展が始まってからはかなり良い反応があり、結局一番のご褒美は美術雑誌の批評(褒めてくれてはいないけど...。)に取り上げてもらえたことでした。運が良かったんですね。

以下、その時の批評です。
美術手帖1993年7月号  『いま、イメージを描くことの困難さは想像に難くない。描かれるべき対象は喪失していると言っても過言ではないだろう。そのような場から、描くという行為が厳しく問われねばならない。
 小松順子の描く、闇に浮かび上がるバイオモルフィジックなイメージは、一見してシュルレアリストたちの残した作品を彷彿とさせるものである。それは、シュルレアリス的思考、物質文明や合理主義あるいはヒューマニズムに対する抵抗といったものに基づく作品ではなく、個人の世界観を表わしている、と作者は述べている。しかし、歴史に残ったイメージへの近似という事実は認識しなければならない。
 なかでも「巣」と題された、暗闇の中に眼球が覗く作品は、そのシュルレアリスム的思考の日本における数少ない体現者である靉光(あいみつ)による「眼のある風景」を思い起こさない者はいないだろう。
 もちろん、先達の遺産を継承する権利はだれにでもある。しかし、本当に受け継がねばならないのは、たとえば靉光におけるその精神の筈である。
 ただし、小松に望むことは周囲のあるいは既成のスタイルへの同化などではなく、その優れた描写力による描写に対する克己である。未だ見ぬ風景への憧憬は無謀であろうか。』
《西宮市大谷記念美術館学芸員(当時) 中井康之氏》
(「美術手帖」(美術出版社)1993年7月号 "Reviews" より)

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