旅 「パリ・ベルギー(ブルージュ・ゲント・ブリュッセル)旅行」の記録
  2002年11月6日水曜日
パリ→ブルージュ(ベルギー)
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『今日の街はこんな街!』
『Bruges/BELGIQUE』
(ブルージュ/ベルギー王国)

thalys
↑パリ北駅からTHALYS(タリス)に乗ってベルギーへ向かう、怪しい東洋人。

brugge_station
↑国鉄・ブルージュ駅です。
右側の水色の垂れ幕には
『ロスト・ロケーションズ』という
意味不明のカタカナが書いてありました。ちなみには左側の垂れ幕には
『LOST LOCATIONS』と...。
どっちにしろ、意味解らないんですけど。

bruges
↑ブルージュの町並み。このオレンジの屋根の色と、ギザギザの破風が特徴です。ドイツのロマンチック街道みたいな雰囲気です。

●ベルギー再訪!
 私は初めてのヨーロッパ旅行の時にもベルギー(ブリュッセルとブルージュ)を訪れました。季節は9月半ば。すでに秋の気配が漂っていました。パリから列車でブリュッセル・セントラル駅に降り立ち、外の空気を吸ったとたん、『ここはヨーロッパの金沢や!!』と確信したのでした。それくらい、学生時代を過ごした金沢と空気感が似ていたのです。ちょっと湿気ていて冷やっとした感じが。それで一瞬にしてベルギーという国に惚れてしまいました。だから今回の旅でも当然、ベルギーに来たというわけです。


●ベルギーって、すごく変!!
 ベルギーはEU本部NATO(北大西洋条約機構)本部が有る、ヨーロッパのヘソとも言える国です。これ以外に有名なのはやっぱりチョコレートですかね?あと、日本の皇室とベルギーの王室が仲が良いとか...。おお!最近のニュース(2003年)では、『ベルギーで同性同士の婚姻が合法に!』というのがあってびっくりしました。王子様(=次の国王ですよ〜!)が子持ちの離婚歴のある女性と結婚するのも認めた国民だから、「好き同士なら、男同士でも女同士でも関係無いんじゃないのー?」ってな具合なんでしょうか???でもまあ、日本にはあまり馴染みの無い国のひとつではないでしょうか。
 ベルギーという国はよく知るとすごく変な国で、例えば国の公用語が3つ(フラマン語・フランス語・ドイツ語)あるのですが、このうち首都・ブリュッセルを境に国を南北にほぼ二分するのが『フラマン語』(=オランダ語の方言)を話すフラマン民族の住む地域と、『フランス語』(=かつてはフランス語の方言であるワロン語が話されていた。)を話すワロン民族の住む地域で、この分裂が単に言語の分裂だけでなく、なんとそれぞれの地域がそれぞれの政府を持ち、同じ国の中で分裂し、対立を続けているのです。だから大臣でも何でも、ベルギーにはワロン政府のとフラマン政府のと各1人ずつが存在しているのです。『双頭の珍獣』っていう感じでしょう?そうまでして、ひとつの国である必要があるのか?と私なんか思ってしまうけどね。首都であるブリュッセルは、建前上フランス語とフラマン語を併用している(実際にはフランス語が幅をきかせているけど。)ので、公共の場の表示は全てふたつの言語で書かれています。それが時に、同じ通りの名前でもフランス語表記とフラマン語表記では全く違う名前になってたりすることもたま〜に有るので、『なんじゃ、こりゃ〜???』と思うのです。近年はフラマン(アントワープなどがある北部地域)のファッションや商業の隆盛が目覚ましく、工業地帯である南部のワロンは不況のため、元気が無いようです。


●ブルージュってこんな街!
 フランス語でブルージュ、フラマン語ではブルッヘ(=「橋」という意味です)。パリからブリュッセルまでThalysで1時間25分、ブリュッセルから北西にIC(インター・シティー)で約50分。ブルージュは中世の面影を色濃く残す、フラマン語圏の小さな古都であります。←左の写真など見ていただくと、雰囲気をわかっていただけるのではないかと。
ブルージュは12〜13世紀頃に運河を利用した貿易で最も栄えましたが、15世紀になると、海から運河への入り口が泥で埋まってしまい、船が入れなくなるという『とほほ』な理由で一気に衰退してしまいました。
 ブルージュはボビン・レースが特産品で、本物の手編みレースはとてもじゃないけど高くて買えませんが、レース屋さんのウィンドウなど見てると、本当に美しいです。街の中心であるマルクト広場から始まる商店街が意外に大きくて、私達もかなり歩いてみましたが、店が途切れるところまで行き着きませんでした。ここは観光の街なので、観光ポイントになる建物や町並みの保存や手入れが非常に行き届いています。ベルギーにはベギン会の修道院がたくさんあるのですが、ブルージュも例外ではなく、運河のクルーズと並んでこの街の大きな観光ポイントになっています。また、マルクト広場に立つ鐘楼からは、カリヨン(=音楽を奏でることのできる鐘)の演奏が聞こえ、この音がまたものすごく素朴で音が狂っていて(明らかに錆びた金属を叩いている音で、それでも無理矢理メロディーを奏でている)、でもとても味わい深いのです。ブルージュは、適度にひなびたとても居心地の良い街です。


『今日泊まったホテルは...』
『HOTEL Notre Dame』 ★
Mariastraat 3/Bruges
 

 泊まろうと思っていたホテルがナント
『存在すらしていなかった!!』
という衝撃の事実が発覚した後、冷たい雨と風の中、不幸のズンドコで見つけたホテル。
 このホテルの部屋は清潔でしたが、普通の部屋にユニット・トイレ&シャワーをポンと入れただけの超簡易ホテル。しかもシャワーの蛇口が壁の方を向いて固定されていて、ただでさえ寒いのに、半分壁を伝って流れてくる冷めた湯を、シャワー室の壁に貼り付き、震えながら
「許して下さい!」
と壁にすがりつき懇願するポーズで浴びる("浴びる"という状態ではない!)という情けなさ。

 詳しくはこの下↓の
『本日の失敗』をお読み下さい。
シクシク(/_;)

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HOTEL Notre Dame
この白い扉の奥でオーナーと思しき青年(?)がクラシックのレコードをかけたり、お茶を入れたり、パンを温めたり、ゆで卵を作ったり、している。パリでもベルギーでも、朝ご飯に卵が出てきたのはここだけでした。美味しかった!


『今日見たのは...』
『Memling Museum(St-Jan Hospital)』
(メムリンク美術館/ブルージュ)

 この美術館には最初のヨーロッパ旅行の時も来たので、今回で2度目となります。でも前回とはすっかり様子が変わっていました。美術館の建物そのものがすっかり改装されていて、以前どんな風だったか全く思い出せないです。
 「メムリンク美術館」はもともとは教会に付属した『サン・ジャン病院』という名前の病院でした。なので、現在でも展示の内容の半分以上はかつての病院についてのもので、病人のお世話をしていた修道女の怖い顔の写真や当時の診療用具なども在ります。
 画家ハンス・メムリンクはドイツ出身でブルージュで活躍した人です。(ゲントが「ファン・エイク兄弟の街」なら、ブルージュは「メムリンクの街」と言われている。)この人は時代的にファン・エイクの後継者と見られていますが、ファン・エイクほどの鋭敏な厳しさは無く、甘く耽美的な女性の顔や、やや甘さの有る描写が特徴です。美術史的な評価はいまいちですが、私は好きです。特にこういったこぢんまりした美術館で少ない点数を集中して見ると、心が洗われるような気がします。良いですよー。
(右の「聖母子像」はもう一枚、祈りを捧げる寄進者の肖像と対になっている美しい作品です。左の「聖ウルスラの聖遺物箱」は、持って帰りたいくらい可愛いくて綺麗です。ブルージュの宝!)

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「聖ウルスラの聖遺物箱」
(1489年以前)
ハンス・メムリンク
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「聖母子」
(1487年)
ハンス・メムリンク
『Gruuthuse Museum』
(グルートゥーズ博物館/ブルージュ)
 グルートゥーズ博物館の皆さんごめんなさい。ここはグルーニング美術館と間違えて入りました。中に入ってあらかた見学してから『おかしいっ!違う!!』と気がつきました。だって、絵が全然無かったんだから(^_^;)はよ気がつけ!って。でも見ておもしろかったですよ。ここはかつての侯爵の館で、窓からすぐ隣接する聖母教会の礼拝堂が見える部屋(聖母教会にその部屋が食い込んでるということですね。)がありました。保安上当主が安全に礼拝できるように作った部屋だそうです。金沢の忍者寺にも似たような作りの部屋があって、歴代の前田家の殿様がお参りに来てたそうです。どこの国でも考えることは同じなんですねー。
『Groeninge Museum』
(グルーニング美術館/ブルージュ)

 もう少しで見逃すところでした!!最初のヨーロッパ旅行でも来たはずなのにすっかり忘れていて、ここの場所がよく解らなかったのです。しかも私達が旅に出る直前まで、アントワープで「ファン・エイクとその時代」という特別展が開かれていて、この美術館の作品も多く貸し出されていたのと、美術館の改装も重なっていて、休館の可能性もありました。実際、現代作品や時代が比較的新しい作品は無く、平常の半分以下の規模で展示している状態でした。が、い〜んですよ、それでも。これさえ見れればね!!『ファン・デル・パーレの聖母子』が。
この絵、前にも見たはずなのに、具体的な印象があまり残っていませんでしたが、今回は違います。天気が最悪でしかも閉館30分ほど前に入ったので、お客さんはほとんど無し。顔をこすりつけるようにして見ました。左の人物の青い衣装のハッチングや、聖母の足下に敷いてあるカーペットの柄の筆致など、今でも在り在りと思い出せます。ここまで部分を細密に描写して、しかも全体の空気感も損なわれていないというのは、一体どういうことなんでしょう!?作者であるヤン・ファン・エイクの、繊細でいて強靱な人格が読みとれるようです。
(ちなみに、ファン・デル・パーレとは右から二番目の白い服を着た爺さんの名前。この絵の寄進者=お金を出して絵を依頼した人、です。だいだいにおいて寄進者が在らぬ方向を見ているのは、ここに描かれているマリア様他全員が、『寄進者が神への祈りの中で見ている「幻想」である』という設定だからなのです。)

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「ファン・デル・パーレの聖母子」
(1434-1436年 122×157.8cm)
ヤン・ファン・エイク


『今日食べたのは...』
『Sandwiche legumes et soupe verte』
(Mariastraat/ブルージュ)

 『目指したホテルが存在していない!』ことにショックを受けた後、『でもまあ、まずは腹ごしらえを...』と入ったサンドイッチ屋さん。サンドイッチは普通でしたが、なんでか知らんけど、頼んでもないパンが1個付いてきました。なんで???スープの中身は何か解りません。ブルージュはフラマン語(=オランダ語)圏なので、通りの名前からメニューから、あらゆる表示がフラマン語なので、皆目解りません。でもこの日の夜に行ったレストランでもこれと同じスープが出てきたので、ブルージュの名物料理なんじゃないか?と思います。

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『Marieke VAN BRUGGEH』
(Mariastraat 17/ブルージュ)

 ホテルのお兄さんに教えてもらって行った『ブルージュの郷土料理の食べられるレストラン』がここです。昼を食べるのが遅かったので、あまりお腹がすいていなかったのですが、とりあえず何か食べないとね、と。外のお品書きを見たら、一品料理を頼むよりMENU(=前菜・メイン・デザートがセットになった定食。29.50ユーロ。ちょっと高いけど。)を頼んだ方が安いということを発見し、「食べきれなかったら残す」ことにして、店の中へ。さて、それからどうなったか!?は、
↓下を読んでね!!↓

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恐るべし。レストラン
「Marieke VAN BRUGGEH」
116ban
『多いのよ〜!デカいのよ〜!!』〜 恐るべし!!レストラン『Marieke VAN BRUGGEH』!!

 今まで日本でも外国でも、食事をしに行って、こんなにびっくりしたことは無かったです。 
右上のイラストから、そのデカさを想像していただくのは恐らく不可能でしょう。運ばれてくるメインのお皿を見て絶句し、料理がテーブルに置かれ、「Bon apetit!」と給仕のお兄さんが後ろを向いた瞬間から、笑いが止まりませんでした。とにかくデカいのです。通常、人間が食べる食事の量を明らかに越えていました。
 まず始めに運ばれてきた地ビールはフルーティーで絶品!!日本のビールと全く違う味。まるでワインのような香りと風味がありました。ニッコニコ!(^。=)次に運ばれて来たのが昼間にも飲んだスープ。これも2度目なので味も知ってるし、余裕。量も普通。ここで私、油断したんですね。『これやったら、全部残さずに食べれるわ〜!』と。ところが、メインが...通常の3割増しくらいの巨大なお皿に『カルボナード・ア・ラ・フラマンド』(=牛肉のビール煮。ブルージュの郷土料理。)が『泥の海』のように、『でろれ〜〜〜〜ん!』と...。(T^T)そしてその横にはお馴染みフライドポテトの山がこんもり...。
 肩を震わせながら食べている私に、Yっさんが目配せします。向こうの老夫婦を見ろ、と。言われた方を見ると、お爺ちゃんの方がメインにステーキを食べていました。フッ(~ー~)もちろん、もう想像はつきますよね?普通の量じゃないんですよ。お皿には『こっぽり(=靴)』が2つ乗っていました。(つまり分厚い『こっぽり』一足分のステーキが。)笑いに拍車がかかります。しかもお爺ちゃん、それ全部平らげてデザートに進みました。
 さて、私達は巨大『カルボナード・ア・ラ・フラマンド』に苦戦。半分ほど食べたところで『降参です〜〜〜』と早々と白旗を揚げ、給仕のお兄ちゃんに『なんだ、もう食わないの!?』と首をかしげられつつデザートへ。周辺のデザートを食べている人々の様子を窺いながら、『一番小さそうなデザートはどれか!?』...と協議の末私が選んだのが『メレンゲ』。(一番食べやすそうな「アイスクリーム」も巨大だった...。)しかし!もうお解りですね?そう。裏切られたのです!やって来たのはまたしても『超巨大メレンゲ』でした。直径7、8センチあまりのメレンゲが2個積んであり、左右にはメレンゲを護衛する手下のように「これでどうやっ!?」と一対の生クリームがトグロを巻いていました。(^◇^;)もう笑うしかないです!しかしデザートは別腹ってのは本当です。平らげました。巨大メレンゲ。死ぬかと思いました。お金を払って拷問を受けに行ったようなもんでした。でも、面白かった〜〜!!今でもYっさんと、この時のことを思い出して笑っています。一言『ブルージュ...』『レストラン...』『カルボナード・ア・ラ・フラマンド...』と呟くだけで、ぷぷぷ!と笑えるのです。これもひとつの『お土産』に違いありません。日本の食べ盛りの若者達よ!!ブルージュのレストラン『Marieke VAN BRUGGEH』はチョ〜おすすめ!!

本日の教訓:『ブルージュの人は、年寄りでもめっちゃ食べる!!』
(恐らく彼ら、自然条件の過酷な地域に暮らしているので、「いっぱい食べな、やってられへんのんちゃうか?」という結論に達しました。)


『今日買ったものは...』
『Memling Museum(St-Jan Hospital)』
(メムリンク美術館/ブルージュ)

 メムリンクの絵のカードと美術館のカタログです。
こういう小さな美術館のカードや冊子類は、他の大きな美術館のショップや本屋さんでも絶対に手に入らないので、買い忘れの無いように注意が必要。特に外国旅行では買いそびれが一生の後悔ともなりかねないので、『迷ったら買え!』の精神でGO!
(特に観音開きになった祭壇画のカードは、ここならではの逸品。貴重品です。一瞬迷ったけど、『迷ったら買え!』を実行。そのお陰で後悔無し!)

memling_carte
メムリンクの美しいカード各種。
(祭壇画カード1.50ユーロ。
普通のカードは1枚0.50ユーロ。)
memlingbook
こっちはカタログ。
(3.25ユーロ)
収蔵作品の写真も載ってる。


『本日の失敗』
 信じられないかもしれませんが、泊まろうと思ってたホテルが
『存在すらしていなかった!!』のです〜〜!!!
でもね、ほら見て下さいよ!ベルギー政府観光局から取り寄せた「ホテルガイド2002」にはちゃんと載ってるんですよ〜!!→

 なぜここに泊まる!と決めたかというと、ある人のサイトでここのホテルの内装の写真を見たからなんです。それはもう、中世そのもの!!ファン・エイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」の室内みたいに。でもここはFAX No.もメールアドレスも無く電話番号しか載ってなくて、電話で予約をする根性も語学力も無いので「飛び込みで!」と思って行ってみました。満室ってことは有り得ると思ってたけど、まさか営業してないとは...。住所どおりにWalpleinという小さな広場に入ってみたら、この写真とそっくり同じ建物があったけど、看板も何も取り外されていて、インターホンがあったので押してみても、何の返事もなかったです。でも今思えば建物が目に入った瞬間に、『かっ、傾いている!』と思ったので、ひょっとしたら、建物自体があまりに危険なので退去命令が出たのかも...。目で見てすぐ傾いてるのが解るってことは、本当にものすごく傾いているってことですよねぇ。このホテル、いつか復活するんかなぁ。そしたらもう一度チャレンジしたいなぁ。でも私のために内装を新しくしないでね。

rembrandtrubens
今は亡きホテル、Rembrandt-Rubens。
●もう一つ、この『ホテルが無かった!事件』に関する笑い話をしましょう。

 泊まれるはずの宿を失った私達は、まず腹ごしらえをしてから激しい風雨の中、新たなホテル探しに出発。とあるコンピューター関連(?)の事務所と思しきオフィスに若い兄ちゃんがいたので、「地元の人なら安くていいホテルを知っているかも。聞いてみよう!」ということになりました。
ズブ濡れの奇妙な東洋人ふたりが事務所の中へ。

我々:「こんにちは〜。私達、今晩の部屋を探してるんですけど〜。」
お兄ちゃん:「すぐ隣にホテルがありますよ。」
我々:「ああ。そこは私達には高すぎてね。」
お兄ちゃん:「でも、うちはホテルじゃないから部屋無いんですけど。(困惑気味)」
 ※この時点で、お兄ちゃんは何か在らぬ想像を飛躍させたようで、顔を真っ赤にして慌てていた。
(え〜!この人達、僕んちに泊めてくれって言ってるの〜!?いや〜ん!!どうしよ〜(O。O;)(o。o;)に違いなかった。
我々:「あのー。あなた、この近くで安いホテル知りませんか?」(をいをい、何か勘違いされてるぞ〜!)
お兄ちゃん:(我に返って)「え!?ぼっ僕、知りません。ごめんなさい!」

 仕方が無いのでまた風雨の中、ホテル探し。ほどなくして「ツイン60ユーロ」という看板を見つけ、無事今晩の宿を確保したのでした。
嗚呼!!綱渡り人生!!しかしこういうアクシデントが旅の醍醐味。しかもこのホテルに泊まったからこそ、上記の『多いのよ〜!デカイのよ〜!!』のレストラン『Marieke VAN BRUGGEH』にも出会えたのでした。これだから旅は面白いのです。



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