旅 「パリ・ベルギー(ブルージュ・ゲント・ブリュッセル)旅行」の記録
   2002年11月7日木曜日
ブルージュ→ゲント→ブリュッセル(ベルギー)
oh_mini

『今日の街はこんな街!』
『GENT/BELGIQUE』
(ゲント/ベルギー)

gentstpieters
↑ゲント・サンピエール駅。ここのカフェは天井が高くて広くて、昔ながらで良い感じでした。コインロッカー代を両替してもらいに入っただけですけど、イヤな顔せずに替えてくれました。子供だと思われただけか!?

gent_markt
↑聖バーフ寺院の前から聖バーフ広場をはさんで、繊維ホールと鐘楼です。鐘楼は1300年頃の建設当時、非常時に軍隊を集結させるための建物でした。

●『憧れのゲントへGO!』
 朝ブルージュを出発してIC(インター・シティー)でGENT St. PIERRE駅まで約20分。GENT(=英語でゲント。フランス語でガン。フラマン語でヘント。)に到着。ゲントという街はブルージュのライバルとして11世紀頃から水運貿易で栄えた街です。なんと、ここの駅にはコイン・ロッカーが有るんですよ〜。テロや犯罪の温床として都市部では根こそぎ撤去されているのに。これはすごい事なのです。ゲントはいかに治安が良いかということですね。(平たく言えば『田舎』ってこと。)そしてロッカーを利用する時にも『おお!』と思ったのですが、日本語表示が有るんです!このゲントという街、何を隠そう金沢市の姉妹都市なんです。さもありなむ。


●『とうとう来たぞゲント!!』
 私は駅に着いた時から...と言うか、ブルージュから電車に乗った時点でもうワクワクでした。何年も会ってない親しい友達に会いに行くみたいな気分。ゲント訪問は15年来の私の念願だったのです。駅から街の中心部コーレン・マルクトまではチンチン電車に乗ります。約5分。この道行きでも密かに大興奮!!何が?って、もう町並みが中世の街そのものなんです!細い入り組んだぐにゃぐにゃ道を、市電はガコンガコンと進んで行き、歩いている人々は市電の前をどんどん横切って道を渡って行きます。コーレン・マルクトのすぐそばに、聖ニコラス教会、聖バーフ(=フランス語でバヴォ)寺院や鐘楼が有り、レイエ川沿いに立ち並ぶ中世のギルド・ハウスを眺めることのできる、聖ミヒエル橋があります。(↓下の『今日見たのは...』でここの風景を見て下さい。)gent_houseここの建物群の美しさと言ったら!!ブルージュがメルヘンの街なら、ゲントは実用と経済の街という感じです。人がそこで働き、生活し、生きていた事実が、建物から匂い立ってくるようでした。ああでも、また私は思いを残すことになりました。こんなに素晴らしい街なのに、時間が無くて街の中をゆっくり見て歩けませんでした。というワケで、早くも次の旅行の目標が決定!!
『もう一度ゲントに来るぞ!そして街を隈無く見て歩くぞ!!』


↑ゲント市内で見かけた何件かの民家の塊です。
すっごい複雑な作りになってて、どこからどこ
までが1件なのかわからない。
窓や屋根が美しい〜!色も綺麗!


『今日泊まったホテルは...』
『HOTEL THE MOON』 ★★
Rue de la Montagne 4 Bis/Bruxelles
 

 朝ブルージュを出発。ゲントで古典から現代まで美術作品を堪能して、夕刻にブリュッセル着。そしたら!泊まろうと思っていたホテルにナント
『予約が入っていなかった!!』
という衝撃の事実が発覚した後、冷たい雨の中、不幸のズンドコで見つけたホテル。でも綺麗で立地も良く(グラン・プラスのすぐ横を入ったところ。)ツイン80ユーロと安くて良いホテルでした。このホテルはブリュッセル市のホテルリストには載っていませんでした。(ん!?ひょっとして、悪徳業者とか違法業者とか!?べつに何の被害も無かったけど。)探せば色々あるんですね、ホテルって。泊まれなかったホテル「ST. MICHEL」もそうですが、ここの経営もアラビックの人のようでした。日本と違い、ホントに多国籍ですね。

 詳しくはこの下↓の
『本日の失敗』をお読み下さい。

the_moon


『今日見たのは...』
『St. Baafskathedraal』
(聖バーフ寺院/ゲント)

 この教会は12世紀に建築が始まり、延々増改築をくり返し現在の姿に至っています。中に入ってみると、その痕跡がよくわかります。古い教会の上に新しい教会をかぶせるように建て、古い教会の壁を一部壊して新しい教会と融合させてあるのです。中を見た第一印象は『こりゃ古いわ!』。外見はあっさりしていますが、中の装飾は威厳があってすばらしい。なかなかこういう教会にはお目にかかれないのです。
 今は教会左手奥の展示室に移されているファン・エイク兄弟の描いた祭壇画は、もともとはこの教会入って右奥のヨドクス・フェイト礼拝堂に飾られていたものです。
現在フェイト礼拝堂には実物大の絵の写真が飾られています。私達がこの礼拝堂を見ている時、すごい年寄りのお爺ちゃんがステッキでバンバン写真を叩きながら、フランス語で観光客のカップルに絵の説明をしていました。多分この教会に居着いてる名物爺ちゃんではないかと...。

(ヨドクス・フェイトは当時のゲントの裕福な市民で、この祭壇画と祭壇画が安置してあった礼拝堂の寄進者です。)

lamblamb
『神秘の子羊祭壇画』(下段中央部分)

この絵の中心部分。犠牲の子羊ちゃん(=イエス・キリスト)がピューと流血している。よく見ると細目を開けててけっこう怖い。
笑っているようにも見える。

stbaafskatedoraal
「聖バーフ(バヴォ)寺院」(ゲント/ベルギー)
このちょうど裏手の広場にはファン・エイク兄弟の銅像があるのですが、私知らなくて見逃しました。(ノ_<。)
lamboutside

『神秘の子羊祭壇画』
(1432年)
フーベルト&ヤン・ファン・エイク
(閉じた状態)
左端がヨドクス・フェイト。右端は奥さん。

mystique_lamb

『神秘の子羊祭壇画』
(1432年)
フーベルト&ヤン・ファン・エイク
(開いた状態)
上段中央・父なる神(又はイエス・キリスト)、左・聖母マリア、右・洗礼者ヨハネ。この構図を『デエシス』と言います。

●『神秘の子羊と私』
 『神秘の子羊祭壇画』は、昔からいつか必ず実物を見たい!と念願していました。有り難いことに、ここでも姉妹都市の恩恵か?日本語の音声ガイドがあって、それを聴きながら1時間ほど絵の周りをぐるぐるぐるぐる回っていました。本当に贅沢な時間でした。その間に団体のお客さんが何度か現れては1周回って帰っていきました。個人旅行万歳!という気分でした。
 さて、念願の絵を見てどうだったか?う〜ん。とにかく『今、自分はゲントにいて、あの!「神秘の子羊」の前にいる!』ことだけで満足というか...。ずっとそこにいたくて、なかなか立ち去り難かったです。最後は振り向き振り向き部屋を出ました(T-T)
それにしても、(主に)ヤン・ファン・エイクの強靱でいて繊細な筆は何なんでしょうか〜!!どんな小さな草でも石ころでも、決して疎かにはしない。この世の全ての存在を、敬意と愛情を持って在るがままに見つめる眼差しの清明さ!もう、全人格を注いで描いている感じがします。(この人と同時代に生きていたら、きっと惚れていたわ。)今さらながら、自分自身の精神性の低さとか、集中力の無さとか思い知らされ、改めて『この人、天才や!』と確信したのでした。(最初から比べるべくも無いけどね。)それと、この絵がもっている独特のアンバランスさがやはり見事でした。ぱっと見てあれ?と思うように、この祭壇画は上段と下段の大きさが極端に違っています。こういう変な祭壇画って他に見たことありません。上と下はそもそも別の絵だったのでは!?という話もあったし、フーベルトが着手した絵をヤンが引き継いだからこうなった、という話もあるしで、この奇妙さがまたこの絵の魅力にもなっているという、本当に『神秘な祭壇画』なのです!
(この絵は現在セキュリティ上、もともとの礼拝堂ではなく、教会の左手横奥にある小さな部屋のガラスケースの中に、開帳した状態で展示してあります。かつて何度も火災や盗難の受難に遭遇し、下段左端のパネルは今だに行方不明で、現在は複製画がはめこまれています。)

●フーベルト(1360〜70年生-1426年没)とヤン(1385〜1390年生-1441年没)のファン・エイク兄弟
は、絵の具に混ぜる調合油を改良し、現在普通に使われている「油で薄く溶いた絵の具を何重にも重ね塗りする。(=グレーズ)」技法を完成させ、それによって油絵技法を完成させた人物で、その結果、彼らの描いた絵はそれまでの画家には表現出来なかった輝くような色彩を得ることになったのです。完成した絵を見た当時の人々は、実物そっくりの輝きをもって描かれている宝石や貴金属類を見て、その絵に本物の宝石や貴金属と同じだけの価値を見出していたそうです。

『S.M.A.K』(ゲント市現代美術館/ゲント)
(STEDELIJK MUSEUM VOOR ACTUELE KUNST GENT)
S.M.A.KのHP

 ここは知る人ぞ知る、世界的に有名な現代美術のキュレーター(=展覧会の企画・展示作品や作家の選択・運営などを仕切る人。日本で言うと学芸員さんですが、もっとクリエイティヴに展覧会を作っていく仕事をする人。)Jan HOET(ヤン・フート)さんがいる美術館です。上の『こんな街』にも書いたとおり、ゲント市と金沢市は姉妹都市であるため、私が大学在学中、この方が来日し学校に講演に来られたことがありました。その時、当時の世界の最先端を行く作品のスライドをたくさん見せてくれて、目を奪われたことを覚えています。
ゲントは不思議な街で、『神秘の子羊』のような中世絵画の揺りかごであるだけでなく、最先端の現代美術を発信する街でもあるのです。これはゲントの街が「街のアイデンティティー」として自発的に行っていることであって、古い文化に対して理解があるだけでなく、一見とっつきにくい現代美術にも同じような理解を持ち、街ごと支援しているところは、文化に対する懐の深さでしょう。

 私達が行った時、2階はヤン・ファーブル展だったので、常設展は1階のみでした。地元ベルギーの超若手作家の作品と、すでに知られている有名作家の作品とが混ぜて展示してありました。と言ってもポップとかジャンクのたぐいは無く、アブストラクト、コンセプチュアル、ベニヤ板木工系立体(?)傾向の作品で統一されているようです。こういう方針で作品収蔵をしているんでしょうね。

smak『S.M.A.K』

これが世界的に有名なキュレーター、ヤン・フート氏率いる
現代美術館、『S.M.A.K』(スマック)。
オランダ語で『チュッ!』という意味。

『Jan Fabre (ヤン・ファーブル)展』
(S.M.A.K)

 全く知らなかったのですが、偶然にヤン・ファーブルのビデオとドローイング作品の巨大な回顧展をやってました。この作家さんは日本で紹介されることはそんなに多くないし、展覧会があっても東京だけのことが多いので、私はこの方の作品は10年以上前に1度東京で個展を見たきりでした。今回はほとんどがビデオ作品だったのですが、これが!!参った〜〜〜。血糊だらけの男が裸でのたうち回ってるのとか、パンツ一丁の男が教会の礼拝堂の奥からまっすぐこちらに向かって歩いてきて、なにやら演説してまた元来た道を戻っていくのとか、固定カメラを24時間回しっぱなしにしてるだけとか、ひたすらムチで打たれ続けて転げ回る男とか、巨大なダンゴをコロコロ転がして時々こっちを見て何か話をするおじさん達とか...とかとか。笑いました。疲れました。たま〜にドローイングの部屋があって、こっちも...。神経症、自傷の傾向がありありと見てとれるドローイングの数々。体調悪い時に見たら吐くかもしれません。今回あそこで見た作品のほとんどは、エグすぎて日本では発表できないかもなぁ...。ご当地「ならでは」でした。滅多に見られないものを見られてラッキーでした。展示スペースが白い壁で完璧に仕切ってあるのが巨大迷路のようで、それも怖かったです。ほんで間違って、血だらけの男がのたうち回っている部屋に入ってしまったりする。(T-T)
 チケット・カウンターのおじさんは、私達を「遠い国からわざわざやって来た学生さん」だと思ったらしく、帰り際に『これあげる。』とこの展覧会の巨大ポスターをくれました。頑張って持って帰って来ましたよ〜。

●Jan Fabre (ヤン・ファーブル)
1958年アントワープ生まれ。『昆虫記』で有名なアンリ・ファーブルのお孫さんで、現代美術家。初期には青いボールペン1本で巨大な紙を塗り込めたドローイング作品や、玉虫の羽をびっしり張り込んだオブジェ、自然物を使ったオブジェを制作。最近はどうされているのでしょうか?私はよく知りません。

jan_fabre_dango
Jan Fabre展パンフレット

この写真はビデオ作品の一場面。
巨大ダンゴをコロコロ転がしながら、おじさん達が時々しゃべる。

tivoli
ビデオ作品の一場面。
固定カメラが日の出から日没、夜中まで24時間を撮影。
それが延々くり返し上映される。
jan_fabre_plan
Jan Fabre展会場地図
2階の全フロアが迷路のように仕切ってあって、
全てヤン・ファーブルの作品で埋め尽くされていた。
この展示形態そのものが作品とも言える。
『Museum voor Schone Kunsten Gent』
(ゲント市美術館/ゲント)
ゲント市美術館のHP

 S.M.A.Kのお向かいに建っています。S.M.A.Kで身も心もボロボロになったので、まずは地下のカフェで一服しました。ここは古典の良い作品が収蔵されている美術館で、目玉は2枚のボッス『十字架を担うキリスト』『聖ヒエロニムス』です。が、何を見たのかさっぱり覚えていません。S.M.A.Kが余りに強烈だったので、何を見てももう判断不能状態に陥っていたのでした。

 ちなみに、黄色とピンクのお花はナント『菊』です!パリでもベルギーでも、こういう広場に植えてある花は全部菊でした。今、日本の『菊』はヨーロッパで大ブレイク中!!

museumgent
ゲント市美術館
『Sint Michielsbrug』  さらに大きな画像を見たい方はここ←をClick!
(聖ミヒエル橋より、ゲント市街のパノラマ)

       gent_panorama_mini

『GRAND PLACE』
(グラン・プラス/ブリュッセル)

 ここが『世界で最も美しい広場』(byヴィクトル・ユーゴー/作家)、『豊饒なる劇場』(byジャン・コクトー/詩人・画家・映画監督)と呼ばれた『グラン・プラス』。ブリュッセルの中心です。もともと広場を取り囲んでいた建物は17世紀末に戦争で破壊され、現在建っている建物はその直後に再建されたものだそうです。その大部分は、かつてはギルド・ハウス(商工業の同業者組合の事務所)として使われていました。現在では主にホテル(←これがHOTEL St. MICHELなのさ!)やレストランやカフェ、チョコレート屋などの店舗になっています。私が初めてこの広場に来た時、なにかイベントがあった後のようで、ゴミだらけで『世界で一番汚い広場?』と思いましたが、今回は『美しい広場』になってました。(^◇^;)

grandplace
夜のグラン・プラス(ブリュッセル/ベルギー)
『世界で最も美しい広場』


『今日食べたのは...』
『CAPITELHUIS』
(Stapelplein 81/ゲント)

 聖バーフ寺院を出て、お昼を食べに入ったかなり広いカフェです。私が頼んだのは『エスプレッソ』(1.50ユーロ)と『クロック・スペシャル』(6ユーロ)。クロック・ムッシュー(=パンにハムとチーズを乗せて焼いたもの)に、パンが完全に埋もれるくらいのチーズを乗せ、さらにミートソースをどっさり掛けてありました。横には山盛りの生野菜。パンの縁がカリカリで美味しかったですが、またもやデカ過ぎ。ベルギーでは『山盛り』『どっさり』じゃないと、『食べ物とは認めない!!』みたいです。
やっさんの背後で同じく食事をしていた兄ちゃんは、『靴のような・ステーキ』を平らげた後、さらに洗面器一杯の『ポテト』をお腹に収めて帰って行きました。降参!!

 このカフェで、私達の隣のテーブルで食事をしていたおじさんと話をしました。彼はゲント在住の詩人で画家ということでしたが、本当かなぁ〜〜????その話はこの下↓にあります。

117hiru
『t' KELDERKE』
(Grand Place 15/ブリュッセル)

 晩ご飯はブリュッセルで食べました。このレストランは私達が泊まろうと思っていたホテル『St. MICHEL』の真下にあります。入ったら満員で、かなり待って座ることができました。このレストランは『地球の歩き方』にも載ってるんです。日本人のお客さんもいました。ブリュッセルはさすがに都会だけあって、料理の大きさが普通の人間用サイズで一安心。ヽ(´・`)ノ フッ…(笑)

 私が注文したのはもちろん『Moules au Vin Blanc』!!(ムール貝の白ワイン蒸し)。最初のヨーロッパ旅行でブリュッセルに来た時にも食べて、それが異常に美味しかったのです。日本でも数少ないですが食べられるお店があるけれど、やっぱり本場とはスープのコクが違う。この『Moules au Vin Blanc』に必ず付いてくるのが、言わずと知れた『洗面器一杯のポテト』。この揚げたポテト、正式名称は『Frit(フリット)』と言うのですが、何故『フレンチ・ポテト』と呼ばれるようになったかというと、その昔アメリカに渡り、街頭で『Frit(フリット)』を売っていたベルギー人がフランス語を話していたので、アメリカ人が『フランス人が売ってるポテトだから、「フレンチ・ポテト」だね。』ということで、『フレンチ・ポテト』になってしまったそうです。でも実際、『フレンチ・ポテト』はフランスでも『Frit(フリット)』と呼ばれていて、れっきとした『ベルギーの郷土料理』なんですよ。

117ban
●ゲントで出会った自称Poete et peintre(詩人で画家)。

 私達の隣のテーブルで食事をしていたおじさんです。分厚い画集を開きながら食べていました。私はそれを横目でちらちらと見ていたのですが、中世〜ルネサンスにかけての絵画の画集でした。フェン・エイクの絵も発見。私達も食事をしながら、次に行く美術館の話をしていたのですが、ゲント市美術館の場所は地図にあるけど、『S.M.A.K』の場所がいまいちわからない。じゃあ、どうやら美術に関心があるらしい隣のおじさんに『聞いてみよう!』ということになりました。聞いてみると、

『あ〜。「S.M.A.K」ね!!あそこはとっても面白い現代美術が見られるよ!今、ヤン・ファーブル展やっててね。これも良いよ!』

と地図で場所を教えてくれて、さらに

『ああそれから、ここは絶対に見逃したらいけないよ。聖ミヒエル橋の上から色んな時代の建物の、素晴らしいパノラマが見えるからね。』

と観光スポットも教えてくれました。終始『英語あんまり出来なくてごめんね〜』みたいな、すまなさそうな顔をして教えてくれてました。ええ感じのカッコイイおじさんでした〜。本当に『詩人で画家』なのかは不明のまま。

117_poet


『今日買ったものは...』
『St. Baafskathedraal』
(聖バーフ寺院/ゲント)

 祭壇画のカードと祭壇画の解説書。日本語版なのがうれしい。姉妹都市様々!!
下はペンダント。イエス・キリストと聖母子が裏表レリーフになっている。迷いましたが、やはり『迷ったら買え!』の精神を発揮。後悔無し!!と思っていたら...。(T-T)祭壇画の観音開きになったカードを買わずに帰って、非常に後悔。印刷の色が変だった(本物を見た直後なので、目が敏感になっていた。)ので、何の迷いも無く「こんなん、いらん。」と無視してしまったのです。他に色々な素敵なつまらん置物系グッズがあったのに、その時の私は全て無視。ああ!せめてカードだけでも買ってくれば...。(撃沈)

lamb_carte

『神秘の子羊祭壇画』のハガキ各種。

gent_book
『神秘の子羊祭壇画』の解説書、日本語版。
薄い本でも内容は濃い。
gent_pendant
イエス・キリストと聖母子のリバーシブル・ペンダント
『Museum voor Schone Kunsten Gent』
(ゲント市美術館/ゲント)

 この美術館のショップはかなり質素で、小会議室に会議机を並べてその上に商品を並べただけの「露天」のようでした。ハガキもオリジナル・グッズもめぼしいものが無く、本もイマイチ。でも小さいサイズのTシャツを発見!こういう小さいのって、ほとんど見かけないんですよね。私を待っていてくれたようにぴったりサイズで、嬉しかったです〜。夏になったら着るのです〜。私がこれを着ているのを見かけたら、『ゲントですね!』と声をかけて下さい。

gent_t
ゲント市美術館のTシャツ(12.40ユーロ)。美術館の玄関のギリシャ風柱がモチーフになっているのだ。
ブルージュ→ブリュッセルの周遊券
 10.30ユーロ。これ持ってるとゲントで途中下車できるのです。ブルージュの駅でしつこく『今日の夕方にブリュッセルに行くけど、その前にゲントで降りて観光をしたいの!』と言いました。窓口のお兄さんが「うるせーな。解ってるよー。」という感じで切符をくれました。
gent_ticket


『本日の失敗』
『HOTEL ST. MICHEL』
(GRAND PLACE 15/ブリュッセル)

 ちょっと高いけど、このホテルに『泊まってやるぞ!』と思って、日本にいる間に部屋の料金はいくらか?いついつは空いているか?など、何度も何度もホテルとメールをやり取りしていたのに、いざ『何日に予約を入れたいので、お願いします。』と送ると、そこから先がなしのつぶて。『部屋が無いなら、無いと返事を下さい。我々は出発までもう時間が無く、もしそちらがムリならすぐに代わりの部屋を取らなければならないので。』と、メールと手紙で二重に送っても何の返事も無し。『予約にはクレジット・カードのNo.が要る。』と言われてNo.も送っていたので、もし部屋が取れていた場合、ここに泊まらなくても料金を引き落とされる可能性が...。返事が無いので確認のしようも無く、かと言って別のホテルを予約も出来ず、仕方が無いのでとりあえず現地に行ってみることに...。う〜〜。そしたら案の定、

『予約なんか入ってないのだぴょ〜〜ん!』
(予約を受け付けた客にだけ封書で通知を出して、あとは無視するシステムらしい。うっそ〜〜!!)

と言われてしまったのでした。くっそ〜〜!!(`ヘ´)
もう絶対泊まったらへんぞ。あんなホテル!!(でも内装が可愛いし、窓から眺める夜のグラン・プラスは最高でしょうなぁ...)

stmichel
悔しいので載せてみた。泊まれなかったホテル「ST. MICHEL」。
このホテル、なんとグラン・プラスをとり囲んでいる建築群のひとつ、通称『ブラバント侯爵の館』の中にあるのです。世界遺産の中に泊まるっていうことですね。だからいつも人気で予約でいっぱい。
●ご機嫌さんで帰国した私に追い打ちをかける、さらなる失敗!!

 色々あったけど、旅も無事終わりほくほくで日本に帰ってきた私。
家に着くと、2週間も留守にしていたから郵便物がいっぱい。順番に見て行くと、一通のエア・メールを発見。『サ--------ッ』と血の気が引きました。それはあの!『HOTEL ST. MICHEL』からの、『12月7日・8日、予約受け付けたぴょ〜〜〜ん!!』の通知!!
ヲイッ!!チョトマテクダサ〜イ!?何スかそれ!?
慌てて旅行前に送った『HOTEL ST. MICHEL』宛てのメールをチェックしてみると...。有りました〜〜〜。(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)最後のあがきで送った中の1通に、月の名前を間違えて『DECEMBER 7,8』と書いた予約お願いメール...。そっからは旅の疲れも楽しかったことも全部吹っ飛び、ひたすら仏語辞書を繰り繰り予約取り消しの手紙を作文。ああっっ!!何て情けない!どうにかこうにか手紙を書き終え、封筒に入れて切手を貼って、次の日の朝投函しましたよ〜〜。(ノ_<。)その後ホテルから『予約取り消し承りました。』の手紙が届くまで、気が気じゃなかったです。また手紙が届いても、12月のクレジット・カードの明細が届くまではドキドキでした。もうイヤ〜〜〜!!!!なんであの人達、そういうとこは見逃さへんの〜〜!!!!!(って、間違えた自分が悪いんですけど。でも、そもそも予約出来てないならそうと教えろよ〜!キミら、サービス業やろが〜!!あ〜〜!腹立つ!!(`へ´)フンッ。)



パリ・ベルギーの旅TOP |  お出かけのツボTOP |  HOME