にこアニメ ギャラリー山口/東京 個展について
2008/5/5〜17

ギャラリー山口 2008年個展 Top

 前回 Caelum Gallery/New York(2006年9月26-10月14日) の個展から1年半ぶり、私の6回目の個展です。


●なぜ、今回東京で初めての個展をすることにしたのか。


 大興奮のうちに終了した前回のNY展ではありましたが・・
その後、もう一度NYでする方法は無いかと色々考えあぐねた結果、現時点では不可能と判断した私は、「では次は、今自分にできる一番遠い大都市でやろう」と思いつき、「東京」に決定。 (他に、東京在住の友人が個展を楽しみにしてくれていたことも理由のひとつ。)
他の用事を色々組み合わせ、場所探しを兼ねて二度上京。ギャラリー山口さんからご了解をいただき、個展をすることになりました。
なぜギャラリー山口さんにアポイントを取ったかというと、2室あるうちの地下展示室に惚れてしまったからです。この部屋は天井高が3.7mもあって、壁面の横の長さはやや小さめなのに、それを感じさせない縦方向への空間の開放感が素晴らしい。狭い階段を降りた地下という場所も、穴蔵やクリプタ(=地下聖堂)を連想させて、シチュエーションとしては最高の部類に入ると、私は思います。
ギャラリー山口さんは通常は現代美術を扱っているギャラリーで、たとえば絵画であれば、ほぼ抽象絵画です。HPで作品画像を見ていただいた時点で、「傾向が合いませんので残念ながら・・・」と、バリバリ具象作品の私は絶対に断られると思っていたところ、OKをいただけたので、逆にびっくりしました。(これまでも他のギャラリーさんから「傾向が合わない」という理由で何件も断られたことがあります。これはよくあることです。)普段、抽象絵画を見慣れているギャラリーの顧客の方に、こんな、「見たものそのまま描いたような絵(※実際はそうではありません)」が、どう映るのか、ちょっとしたチャレンジャーの気分でもありました。

 東京は日本の美術界の中心と言えば中心ですが、大阪と同じ日本の中なので、前回のNYほどの激しいカルチャー・ショックはありませんでした。そして、今回は、今までのように批評を書いてもらえたり、作品が売れることは多分無いだろうと予測していましたが、まったくそのとおりになりました。
なぜそう予測出来たかというと・・・
こんなことを言っては何ですが、絵が思ったように描けなかった。色んな意味で調子が悪かった、という自覚があったからです。NYの準備以上に、とても苦しかった。
そうなった理由としては、個展と個展の間のインターバルが、今までで一番短い「1年半」であったこと。年間通してなんとなく体調が悪く、制作に集中できなかったこと。途中で他の仕事(これは結果的にはやってよかった)をやったこと。そして何より、NYの記憶をひきずったまま、鬱々とした気分で制作を続けていたこと。などが、挙げようと思えば挙げられるのですが・・・それでも、いろいろ問題があっても、今回のように、及第点くらいには展覧会を作れるようになったということは、私も昔に比べると、少しは成長してきている証拠かもしれない。と、良い風に考えることにします。
 
 
●不注意

 今回作品を搬入して飾り付けをした時、一番に「しまった!」と思ったのは、ライティングでした。会場の下見はしていたのですが、正直、ライトのことまでチェックしていませんでした。私の不注意でした。諸事情により、白熱球のスポットのみのライティングになり、いつも蛍光灯で制作していた作品が、まっ黄色になってしまいました。それを見て「ああ、もうこの個展はダメだ!」と思い、その夜は宿に帰っても眠れませんでした。・・・でも、何年も展覧会をやっていると、だんだん気持の持って行き方も上手くなるようで、「これは自分ではどうしようもないことだから、諦めよう!東京の人は私の絵を初めて見るんだから、前との比較も出来ないんだし。」と覚悟を決めてからは、だんだんその黄色い絵にも慣れていきました。
部屋の空間自体は、思ったとおり。天井が高くてゆったりしていて、素晴らしかったです!
やはりこの部屋は良い!!
(蛍光灯の白い光で見た時の絵の色や雰囲気は、このサイトの写真でご覧ください。全然印象が違うと思います。)


 さて、前回のNYはギャラリーに詰めなくてよかったため、見に来てくださったお客さんの感想をほとんど聞くことができませんでしたが、今回は前半1週間だけでしたが、毎日ギャラリーに陣取って、たっぷりお話を伺いました。その中のいくつかをご紹介します。
 
 
●見てくださった方の感想


・いやあ、よかったです!
 (この感想が一番多かったです。じっくり時間をかけて見て、帰り際に一言だけ。)

・誠実な、いい仕事をされていますね。

・お上手ですね〜。
 (よく言われますが、もっと上手な人は世の中にゴマンといらっしゃいます。)

・写真みたいですね!
 (褒め言葉としておっしゃる方が多いですが、この言葉を聞くといつもガックリきます。写真みたいなら、絵を描かずとも、写真でいいわけです。私もまだまだダメだなと思います。)

・見ているとすごく落ち着きますね。いつまでもこの空間に居たくなる。
 (居てください!)

・日本画ですか?
 (これも多かったです。後でよく考えてみると、同じビルの2階の別のギャラリーさんで、若手日本画家のグループ展をされていたからかも。でも・・・ちゃんと見たら、素材は油彩だと分かると思うんですが。モチーフが蓮だったから、日本画と早合点されたようです。でも、それって、描かれている表面的な図像だけを見て、テクスチャーなど、物質的な見方をしてくれていないのでは・・?それとも、私の絵がその程度のものでしかないというだけの話?)

・○○会(私が昔出品していた団体)の方ですか?今ちょうどやってますよね!
 (今はもうやめていますが、かつて4回ほど○○会に出したことを、プロフィールに書いていたので、これに反応される方が多かったです。東京でちょうどその会の展覧会をやってましたから。でも、もうやめて10数年たつのに「団体展の作家さんですね」と言われ、よく分からない納得のされ方をするのも何だかな・・・。やっぱり今でも、団体に所属してることが確認できると、人は安心するんでしょうか?)

・NYで個展されたんですか!すごいですね!で、どうでした?
 (この反応も多かったです。NYが有ると無いとでは大違い。個展したことは大正解だったし、私の大きな財産であると再認識。もちろん、「素晴らしかったです。別世界でした!」とお答えしました。それにしても、みなさんプロフィールを丹念に読まれることにビックリ。)

・この絵の具の深みは、何層も重ねて描いておられるんでしょう?光が透過して綺麗ですね。すごく丁寧な仕事ですよね。古典絵画がお好きでしょう?わかります。
 (気付いてくれてありがとうございます。ファン・アイク命!ですから)

・すごく良いですね。でもあと少しでもっと良くなるんじゃないですか。絵を見てると、ご自分でももう、そのきっかけを掴んでおられるのではないですか?きっともう分かっておられるのだと思いますよ。
 (・・と、言われ続けてはやウン年。今度こそ本当に掴んでいればよいのですが。)

・作品っていうのは、それを見た人が自由に想像力を働かせるようなものじゃないといけない。人に想像の余地を与えない、こんなガチガチの、テクニックのひけらかしみたいな絵を描いてちゃダメだ。金沢出身の作家はみんなこんな絵を描くんだ。真面目すぎるんだよ。もっともっと自由に描かないと。金沢の色を捨てないと!
 (話の内容もその口調も強烈だったのに、なぜかまったく嫌な感じはしませんでした。タダ者ではないな!と思いました。あとで分かりましたが、有名な美術家さんでした。さもありなむ!そして、某有名若手美術家さんのお父様でもありました。さすが東京。)

・蓮を描いておられますが、背景に仏教思想はありますか?(特にはありませんとお答えしました)そうですか。でもこれからの時代は、宗教や思想的な背景をもっと持っていいと思いますよ。昔はそうだったし。まあ、今は宗教も思想も良いように思われてませんが。
 (なるほど一理あるなと思いました。自分で「仏教思想はありません」と言いつつ、まったく無いはずはないなと思います。)

・金沢美大出身ですか。金沢も有名な作家さんが大勢出てますよね。鴨居玲さんとか・・・
 (これも何度も言われました。つまり、金沢=鴨居玲。以上。)

・近づいて見ると、水の表面なんだけど、遠ざかって見ると、だんだん水の下に沈んでる石が水面を透過して浮き上がって来るんですよね。すごく不思議ですね。
 (蓮の花3点)(そこまで見てくれてありがとうございます!)

・実際に有りそうでそうじゃない、すごく不思議な景色ですね。(スクエアの風景2点)

・この絵が一番あなたらしい感じがします。(スクエアの蓮)

・この絵は構図がいい。視線が画面の中で繋がってぐるぐる回って飽きない。(スクエアの蓮)

・この絵、ここのギャラリーじゃなくて、デパートに飾ってあったら売れるんじゃない?
 (蓮の花3点)(でも、いきなり私が絵を担いで売りに行ったら、三越さんもビックリですよ。)

・蓮の花がポッと咲いている感じが、よく描けてますね。(蓮の花3点)

・え?この横長キャンバス、定形木枠をくっつけて変形にして張ってあるんですか?えー!すごい!それは思いつかなかった。あなたは頭がいいですねー!!しかも木枠の継ぎ目がわからないように綺麗に張ってある!
 (その後も「頭がいい!」を数回連呼されました。笑)

・この葉っぱはどうなってるんですか?え?水に映ってる?そうは見えないですね。
 (スクエアの蓮)(はい。修行して出直して来ます・・)

・この線は何ですか?え?雨ですか?そうは見えないですね。
 (スクエアの風景2点)(はい。修行して出直して来ます・・)

・蓮の花と水面と、ちょっと色々描きすぎですね。どちらかに絞った方がいいですよ。
 (蓮の花3点)(・・ですね)

・この茎がすぅっと伸びてる感じとか、上手いですよねえ。(スクエアの蓮)

・これは美しいねえ・・。(水彩の蓮の蕾)

・この短冊掛けはダメですね。安っぽいですよ。ちゃんと額に入れるべきですね。
 (水彩の蓮の蕾)(ごもっとも)

・こっちの壁の作品(スクエアの風景2点、水彩の蓮の蕾、縦長の蓮の葉)全部要りませんよね。
 (そういう見方も有りです。上記4点以外の蓮の油彩5点のみで構成すれば、それはスッキリした会場になったことでしょう。でも、そういう刈り込まれたスッキリ感の陰に、取りこぼされていくものの存在は、作家個人にとっては案外重要だったりするんですよね。簡潔な展覧会場をつくるためには、邪魔なものかもしれませんが。)

・あなたの作品は、私の大好きな画家:高島野十郎と共鳴するものを感じました。
 (そんな凄いことをおっしゃっていただけて、もったいないことです。)

・水だけ、とか、空だけ、とか、だったらどうですか?(スクエアの風景2点)

・円熟してきましたね。(え、円熟・・?(@_@;))

・なんか、前(のNY個展)よりもかなり絵が暗いね。NYの絵が明るかったのは、やっぱりちょっと地に足が着いてなかったせいかな。
 (なぜ暗くなったか?自覚はしてなかったんですが。体調悪かったから?あと、照明のせいも。)

・これがいいなあ。水があって。(スクエアの風景2点)

・この、草の部分が稲だったら良くない?(スクエアの風景2点)

・この、草の部分が全部水だったら良くない?(スクエアの風景2点)

・こんな感じで、複数の作品で、もっと物語性を出してみるとか?(スクエアの風景2点)
 (方向性として、大いに有りです。私はもともと「日記絵画」を描いてたし。今でも、「物語性」は作品制作の上で、重要なキーだと思っています。絵画のつくりだす疑似3次元空間は、物語を孕ませるに最良の劇場だと思います。)

・葉っぱは虫に食われた?この虫食いが、次の展開を予感させる。(欠けた蓮の葉)
 (なるほど。そう来ますか。)

・蓮の絵はなんか、「止まってる」感じがするけど、この風景の方は「動いてる」っていうか、「え?これはなに?」って、引き込まれるところがある。
 (スクエアの風景2点)

・絵っていうものは「つくる」ものだから、現実の植物とか風景からもう少し離れて、「画面の中でつくっていく」方向になっても良いのではないですか?それにしても、あなたの絵には、色んな方向性への可能性がたくさん含まれてますよね。
 (確かに。でもその辺りがまだ未分化というか、決められなくて、ずーっと揺れ動いているんです。)

・兵庫県の方(金沢美大)なんですか?実は私も関西(金沢)の出身で・・云々。
 (東京は、地方から出てこられた方が非常に多いんだなと思いました。)

・兵庫県の方(金沢美大)なんですか?じゃあ、○○さんて作家さんご存じですか?
 (知り合いの知り合いは知り合いだった・・!美術の世界はものすごく狭いと実感。)

・展示作品をじっくり見たあと、作品をまとめたポートフォリオにも長い時間をかけて目を通される方が、大勢いらっしゃいました。この傾向は大阪よりもかなり顕著でした。ありがたいことです。ポートフォリオの過去作品も好評でした。よかったです。

・抽象絵画を見慣れているギャラリーの顧客の方に、こんな、「見たものそのまま描いたような絵(※実際はそうではありません)」が、どう映るのか?という興味は、「拒否反応も示さずに、みなさんちゃんと見て下さった」というのが、実際でした。これもまたよかったです。

・日を変えて二度見に来てくださった方もいらっしゃいました。嬉しいことです。

・最近注目の作家さんのことなど、知ってる情報を力一杯語って帰る美術通の方や個人コレクターの方が、何人かいらっしゃいました。私は情報に疎いので、色々言われても誰も知らない。チンプンカンプンでした。肩身が狭い・・・あまりの不勉強に、呆れられたかもしれません。

・一般に、蓮と睡蓮の区別がついていない方がとても多いことが、今回よく分かりました。何度も、その違いを説明させていただきました。

・関東地方の蓮の名所情報も、たくさん教えていただきました。主に横浜と、茨城方面。機会があれば行ってみたいですね。


 そして私の感想。


●「描画法」について

 今回あらためて思ったのは、私の絵はその描画法によって2種類に分かれていて、方法の使い分けは主に、モチーフの種類によるということ。
上に書いてあるように、「蓮」が良いと言う人と、「風景」が良いと言う人は、その描画法が表現するものの差異を、察知しておられるような気がしました。

「風景」のような、いわゆる草っぽいものや不定形な雲のようなものは、筆のこまかいタッチ(=ストローク)を重ねて行くことで描写します。草の「形」を描くのでも、雲の「形」を描くのでもない、筆に絵の具を付けて、キャンバスに細かく斑点や線を乗せていくことで、草や雲の「動き」が表現されて、結果的にそれが草に見えたり雲に見えたりするという、かなり抽象に近い表現方法で具象を表していると言ってよいでしょう。そして、モチーフが風景ですから、奥行きのある空間表現が思い切ってできる。風景の細かい部分を描くというよりも、「風景を使って空間を描く」ことが目的とも言えます。

それに対して、「蓮」の絵の方は、ストロークではなく、最初から蓮の形を描いて、色や調子を整えていく、完全な古典的具象描画法です。この場合、モチーフが空間をさえぎるような形になるので、大きな空間表現は難しく、描かれたものの形態が最初に目に飛び込んできます。

この2種類の方法で描かれた絵+水彩の細密描写(背景無し)が混在するので、私の個展はいつも「ひとりの人なのに、色んな絵がある」と言われてしまうのではないかと思いました。
このことは以前から分かっていたのですが、無理矢理統合するものでもないだろう、かえって不自然だし。と、思っていたので、あえてどれかに揃えることはしてきませんでした。

でも・・・『ひとつの展覧会をつくっていく』という作業を考えたとき、一度実験的に、どれかに統合してみても良いのかもしれない、そう思いました。
「いろいろ描ける器用な私」も、考えものだな、と。


●「モチーフ選び」について

 私はモチーフにはかなりこだわりを持っているつもりで、自分にしっくり来るもの、共感できるものでないと、ただ単に綺麗だからとかいう理由では、絶対に対象物を描きません。今までずっとそうでした。
でも、過度な思い入れというのは、かえって害があるかもしれないと、最近ちょっと思い始めています。

それは、今回で言うと、一番思い入れがあって好きなモチーフは、蓮でした。だったら、蓮を描いた作品が一番良いはずだと自分では思いたいのですが、実際はそうでもない。ということは・・・どういうこと?

これもまた今まで薄々気がついてはいたのですが、例えば、コンクールなどで、あらかじめテーマが決まっている場合など、自分の好きに描けない条件がある時の方が、結果的に良いものが描けていたりするんです。なぜか。これは自分でもよく分かりませんが、『過度の思い入れは、作品に対して良い方に働かない』からではないかと・・・
『思い入れ過ぎない』方が良い?
これもまた、ちょっと実験してみてもいいかもしれない、と、思っています。

 あと、同じ蓮を描いても、見る人の多くは、葉と花を区別してるんだなと思いました。
「花=甘すぎて、モチーフとしては通俗的過ぎる」と見られてしまう。だから「この蓮の花の絵は、通俗的な売り絵を扱うデパートだと売れるかもしれないけど、ここはそういうギャラリーじゃないから、ちょっとね。」と言われてしまう。

私は花が甘いから描いているわけでも、花の甘さを描こうとしているわけでもないのに、そういう物の見方自体、自分の真っさらな目で物を見ず、既成概念によって判断する、あまりに通俗的な見方なんじゃないかと思ったりします。見る側が、図像として「この絵には花が描いてある」と感知した瞬間に、
「花=甘い、通俗的=ダメ」
と、自動的に切り捨てられてしまうと、もうそこからは何の発見もないわけで・・

物事をありのままに見るならば、蓮は、葉っぱも茎も、もちろん花も、元気な部分も腐ってる部分も、周囲の水も、含めた、「全部が蓮」なわけで、「葉っぱは良くて花はダメ」っていうのは、何か別の論理でもって物を見て、絵を見てることになるんじゃないかと。

具体的な物の形状を描く私のような作品制作の過程は、「既成概念」や「個人的思いこみ」との闘いでもあるな、と思います。「既成概念」や「個人的思いこみ」を、うまく作品に取り込んでいくのか、それとも、裏切って行くのか。自分に対しても、他人に対しても。
そういう色んな壁を乗り越えたり利用したりて、人に届くような作品を描かないといけないと思いました。


●作品制作にかかる「時間」について

 モチーフに対する「思い入れ」にも繋がることですが。
私は作品が完成するまでに長い時間がかかります。途中で1ヶ月くらい寝かせたり平気でするし、マメに描いても、何ヶ月もかかります。で、「作品制作に時間がかかる、時間をかけることは、作品がよくなることに繋がる」という、思いこみのようなものが、知らず知らずのうちに、身に付いてしまったようです。「細かい仕事だから時間がかかるでしょう?」と言われて、「はい!そうなんですよ!わかりますかー?」と答えるのが嬉しい、みたいな・・・
でも、ちょっと待てよ。
実は、1年もかけて描いた作品よりも、数ヶ月で描いた作品の方が良いものであったことは、今まで何度もあったし、「時間をかければ良い作品が描ける」というのも、実際は私の思いこみでしか無かったのではと、事実を冷静に見てみると、思えてくるのです。この件も、再考の必要有りと見ました。


●お金の話-「価格設定」は難しい!!

 そして、「時間がかかる」ということは、作品に値段をつける段になるとまた問題を引き起こしまして・・・。
個人で作品を買いたいと思う方の一般的な予算って、どうやら上限10万円まで、できれば5万円までくらいが良いみたいです。(これはあくまで、私の個人的な見解です。)
そうすると、私の場合、たとえば6ヶ月かけて描いた油彩を、たとえ数号の小品とはいえ5万円で手放せるか?といった、買い手には全く何の関係もない個人的葛藤が生まれるわけです。これをどう考えるか・・

特に現代美術系の作家を扱うギャラリーでは、作品価格が総じて安く、(これは多分、作家が1点制作するのに半年も1年もかけないので、年間に制作される作品点数が多いことと、現代美術系統の世界は、妙なしがらみや慣例が無い分、立ち位置が自由でカジュアルである、という理由だと思われ・・)私みたいな無名の門外漢が、小品に12万円とか値段を付けると、「それは高すぎる!」と思われる、そういう結果になります。
これは今回個展をさせていただいたギャラリーさんに限ったことではなく、どこでも毎回そう。
(注:売り上げがすべて作家に入るわけではありません。そこから手数料が引かれます。)

「まずは買って所有してもらうことが大事」と思って5万円で買ってもらうか、「いえ、この作品は12万円です。それくらいの価値があります。」と言い切って結局買ってもらえない(!)か。
これは買う方の問題でもギャラリーさんの問題でもなく、ただただ私の考え方の問題。

作品を見た人に、「テクニックがあって、すごく簡単に1回でササッと上手に描いてありますね!」と褒めてもらっても、でもその「ササッと描いてあるように見える表面の裏に、一体何十枚の描き直された同じ絵が下敷きになって隠れているか」まったく感知されていないことも多く・・・(多分数週間〜1ヶ月くらいで描いたと思われている)。制作に時間をかければ作品の価値が上がるというものでもないと知りつつ・・・結局私が半年かけてやってることは、ムダなのか?結局5万円の価値なのか?と思うこともしばしば。
作品じゃなくて、先に「お手頃価格5万円」っていうのがあることにも、違和感があるし。じゃあ、最初から5万円分の絵を描けばいいのか?とか。アホなことを考えたり。
でも、こういうところが私の甘さで、そのせいで作品も甘くなっていて、結果的に、「価値があるものとは思えない=高い」、と思われるのかもしれません。多分そうでしょう。
そもそも、「絵を売ろう」なんて考え方自体が「なっとらん!」と、昔の人や清貧を尊ぶ方々は思うでしょうしね。(でもそれはその人個人個人の考え方であって、「なっとらん!」と強制されるようなことじゃないと思うんですが。誰が何と言おうと、生きてるうちに作品が売れたらそれがベストですよ。)

 私は今までずっと、絵とは関係無い仕事で収入を得て、その収入の中から作品制作と発表の費用を捻出してきましたが、それはもちろん、絵が売れて、その収入で次の制作や発表が出来るに越したことはありません。でもだからといって、安くでどんどん売りさばくっていうのは、違うと思うし・・・いっそのこと「お金なんかどうでもいいです。本当に欲しいと思って大事にしてくださる方は、タダで持っていってください!」と言えたらいいのに。(でもそれはそれでまた変な話ですけど)

・・お金は無いと困るけど、でも、作品の価値を計るのにお金しか無いって、嫌なもんだなと、作品価格を決めるたびに思います。


●「貧乏人根性」について

 壁があるからって、そこに全部絵を掛ければいいってもんじゃない。
壁をぜいたくに使いたっぷりの余白を残すNYのギャラリーの展示の仕方を見て、それは学んだつもりだったんですけど・・・いざ自分が個展する段になると、やっぱり運んできた作品は全部展示したいし、壁が空いてたらそこに作品を掛けたくなる・・・。
でも、その気持をグッと抑えなければならない!ということを、今回身に染みて思いました。
『貧乏人根性』は、展覧会を潰す可能性がある。はい。肝に命じます。

 それから、『古い筆をいつまでも使ってるんじゃないよ!毛が抜けて絵に貼りついてるじゃないか!』・・・。はい。ケチケチしないで新しい筆使います。
『貧乏人根性』は、絵を潰す可能性がある。はい。肝に命じます。
(この件は誰からも指摘されませんでしたが、描いている自分が一番よく分かっている)

 私がずっと絵を続けていて、NYで個展をして、東京でも個展をして、いるのを見て、「誰かパトロンがいるに違いない」「どうせ家が裕福なんだろ」と、思っている方もあるようですが。申し訳ないですが、時給何百円のパートのおばさんです私は。少ない収入を普段は使わずに貯めておいて、ある程度貯まったところで個展をします。そのくり返しです。パトロンも資金を出してくれるお金持ちの親も、私にはおりませんし、今のところ、自腹で会場を借りて個展をするしかないのが私の実力の程です。
だからこそ、1回1回の個展が大事なんです。 毎回、「これが最後になっても悔いのないように」と思ってやっています。ギャラリーを借りるお金が払えなくなったら、その時点で発表をやめるしかないからです。
夢を壊して申し訳ありませんが、実態はこういうことです。


●東京という街は・・

 最初にも書いたように、前回の個展がNYだったので、その環境の違いの落差から言うと、大阪と東京の差はあって無いようなものでした。ですから、東京にはこんな変わったシステムが・・というようなことはありませんでした。

 ギャラリーに来てくださった方は、概してみなさん常識のある方で、妙な冷やかしや、困った人はほぼ無かったです。意見や感想がある方は、手短にはっきり言って帰られるし、展覧会を見慣れてる感じがしました。
(これはそのギャラリーが持っている「客層」ということも関係があると思います。ギャラリー山口さんは、相応の格のある良いギャラリーさんということだと思います。)
(土地柄なのか、大阪ではけっこう困った人が来られることがあります。「お姉ちゃん若いのによお頑張っとるやんか。」みたいな、上から目線で自己顕示欲を満足させるための批評や自慢話を展開し、長居する自称作家さん。とか、行き詰まっている様子で、「私はこれからどうしたらいいんでしょう?」と私に相談してくる作家さん。そんなこと相談されても知らんがな。私だって一杯一杯で活動してるんだし。)

それから、「美術・芸術」を「生業」にされている方の数が、大阪にくらべると多いんだなという印象は受けました。例えば美術評論家。アート系のライター。美術館の学芸員。芸術系雑誌の編集者。テレビ局のディレクター。都内の別のギャラリーのオーナー。そういう職業の方。そして、個人コレクターの方がけっこういらっしゃる。その辺りがやっぱり首都だな、と。
それと、街の中や、ギャラリーに来られる方の、人数の多さ!これが大阪とは違いました。単純なことですが。
 
 
 
 
 ・・・というわけで、東京初個展は、これまで制作上薄々感じていたことの「再確認」のための個展であった、と言えましょう。そして、NYの興奮(=NYの病)から、平静に戻るためのクッションとしての場でもありました。NYの病は、思いの外長引きました。でも、もう大丈夫です。次、地に足を着けた、冷静かつ豊かな余裕を持った展覧会にしたいと思います。

『次のための個展、と見ました。次たのしみです。』

はい。これから「次」に向けて、やっていきます。
そして、次は今回よりも良い展覧会にしたいです。
例によって、場所未定・時期未定、ですが・・
次は恐らく関西。
地元の皆さん、ご無沙汰していました。
またご案内しますので、見に来てください。


 今回東京まで見に来て下さった方、ありがとうございました。
さし当たって次の発表は、今回個展をやらせていただいた、ギャラリー山口で行われる、グループ展「第5回 Art Jam展」(2008年8月4日ー9日予定)です。
私は新作1点(油彩10号)を出品する予定です。
残念ながら会場にはおりませんが、東京在住でお時間のある方は、ぜひ覗いてみてください。


ギャラリー山口 2008年個展 Top
 
 
(このサイトのテキスト・画像について、無断転載・転用をお断りします)
copyright(C)Junko Komatsu 2008 All rights reserved