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ギャラリー山口/東京 個展について
2008/5/5〜17 |
前回 Caelum Gallery/New York(2006年9月26-10月14日) の個展から1年半ぶり、私の6回目の個展です。
東京は日本の美術界の中心と言えば中心ですが、大阪と同じ日本の中なので、前回のNYほどの激しいカルチャー・ショックはありませんでした。そして、今回は、今までのように批評を書いてもらえたり、作品が売れることは多分無いだろうと予測していましたが、まったくそのとおりになりました。
今回作品を搬入して飾り付けをした時、一番に「しまった!」と思ったのは、ライティングでした。会場の下見はしていたのですが、正直、ライトのことまでチェックしていませんでした。私の不注意でした。諸事情により、白熱球のスポットのみのライティングになり、いつも蛍光灯で制作していた作品が、まっ黄色になってしまいました。それを見て「ああ、もうこの個展はダメだ!」と思い、その夜は宿に帰っても眠れませんでした。・・・でも、何年も展覧会をやっていると、だんだん気持の持って行き方も上手くなるようで、「これは自分ではどうしようもないことだから、諦めよう!東京の人は私の絵を初めて見るんだから、前との比較も出来ないんだし。」と覚悟を決めてからは、だんだんその黄色い絵にも慣れていきました。
・誠実な、いい仕事をされていますね。 ・お上手ですね〜。
・写真みたいですね!
・見ているとすごく落ち着きますね。いつまでもこの空間に居たくなる。
・日本画ですか?
・○○会(私が昔出品していた団体)の方ですか?今ちょうどやってますよね!
・NYで個展されたんですか!すごいですね!で、どうでした?
・この絵の具の深みは、何層も重ねて描いておられるんでしょう?光が透過して綺麗ですね。すごく丁寧な仕事ですよね。古典絵画がお好きでしょう?わかります。
・すごく良いですね。でもあと少しでもっと良くなるんじゃないですか。絵を見てると、ご自分でももう、そのきっかけを掴んでおられるのではないですか?きっともう分かっておられるのだと思いますよ。
・作品っていうのは、それを見た人が自由に想像力を働かせるようなものじゃないといけない。人に想像の余地を与えない、こんなガチガチの、テクニックのひけらかしみたいな絵を描いてちゃダメだ。金沢出身の作家はみんなこんな絵を描くんだ。真面目すぎるんだよ。もっともっと自由に描かないと。金沢の色を捨てないと!
・蓮を描いておられますが、背景に仏教思想はありますか?(特にはありませんとお答えしました)そうですか。でもこれからの時代は、宗教や思想的な背景をもっと持っていいと思いますよ。昔はそうだったし。まあ、今は宗教も思想も良いように思われてませんが。
・金沢美大出身ですか。金沢も有名な作家さんが大勢出てますよね。鴨居玲さんとか・・・
・近づいて見ると、水の表面なんだけど、遠ざかって見ると、だんだん水の下に沈んでる石が水面を透過して浮き上がって来るんですよね。すごく不思議ですね。
・実際に有りそうでそうじゃない、すごく不思議な景色ですね。(スクエアの風景2点) ・この絵が一番あなたらしい感じがします。(スクエアの蓮) ・この絵は構図がいい。視線が画面の中で繋がってぐるぐる回って飽きない。(スクエアの蓮) ・この絵、ここのギャラリーじゃなくて、デパートに飾ってあったら売れるんじゃない?
・蓮の花がポッと咲いている感じが、よく描けてますね。(蓮の花3点) ・え?この横長キャンバス、定形木枠をくっつけて変形にして張ってあるんですか?えー!すごい!それは思いつかなかった。あなたは頭がいいですねー!!しかも木枠の継ぎ目がわからないように綺麗に張ってある!
・この葉っぱはどうなってるんですか?え?水に映ってる?そうは見えないですね。
・この線は何ですか?え?雨ですか?そうは見えないですね。
・蓮の花と水面と、ちょっと色々描きすぎですね。どちらかに絞った方がいいですよ。
・この茎がすぅっと伸びてる感じとか、上手いですよねえ。(スクエアの蓮) ・これは美しいねえ・・。(水彩の蓮の蕾) ・この短冊掛けはダメですね。安っぽいですよ。ちゃんと額に入れるべきですね。
・こっちの壁の作品(スクエアの風景2点、水彩の蓮の蕾、縦長の蓮の葉)全部要りませんよね。
・あなたの作品は、私の大好きな画家:高島野十郎と共鳴するものを感じました。
・水だけ、とか、空だけ、とか、だったらどうですか?(スクエアの風景2点) ・円熟してきましたね。(え、円熟・・?(@_@;)) ・なんか、前(のNY個展)よりもかなり絵が暗いね。NYの絵が明るかったのは、やっぱりちょっと地に足が着いてなかったせいかな。
・これがいいなあ。水があって。(スクエアの風景2点) ・この、草の部分が稲だったら良くない?(スクエアの風景2点) ・この、草の部分が全部水だったら良くない?(スクエアの風景2点) ・こんな感じで、複数の作品で、もっと物語性を出してみるとか?(スクエアの風景2点)
・葉っぱは虫に食われた?この虫食いが、次の展開を予感させる。(欠けた蓮の葉)
・蓮の絵はなんか、「止まってる」感じがするけど、この風景の方は「動いてる」っていうか、「え?これはなに?」って、引き込まれるところがある。
・絵っていうものは「つくる」ものだから、現実の植物とか風景からもう少し離れて、「画面の中でつくっていく」方向になっても良いのではないですか?それにしても、あなたの絵には、色んな方向性への可能性がたくさん含まれてますよね。
・兵庫県の方(金沢美大)なんですか?実は私も関西(金沢)の出身で・・云々。
・兵庫県の方(金沢美大)なんですか?じゃあ、○○さんて作家さんご存じですか?
・展示作品をじっくり見たあと、作品をまとめたポートフォリオにも長い時間をかけて目を通される方が、大勢いらっしゃいました。この傾向は大阪よりもかなり顕著でした。ありがたいことです。ポートフォリオの過去作品も好評でした。よかったです。 ・抽象絵画を見慣れているギャラリーの顧客の方に、こんな、「見たものそのまま描いたような絵(※実際はそうではありません)」が、どう映るのか?という興味は、「拒否反応も示さずに、みなさんちゃんと見て下さった」というのが、実際でした。これもまたよかったです。 ・日を変えて二度見に来てくださった方もいらっしゃいました。嬉しいことです。 ・最近注目の作家さんのことなど、知ってる情報を力一杯語って帰る美術通の方や個人コレクターの方が、何人かいらっしゃいました。私は情報に疎いので、色々言われても誰も知らない。チンプンカンプンでした。肩身が狭い・・・あまりの不勉強に、呆れられたかもしれません。 ・一般に、蓮と睡蓮の区別がついていない方がとても多いことが、今回よく分かりました。何度も、その違いを説明させていただきました。 ・関東地方の蓮の名所情報も、たくさん教えていただきました。主に横浜と、茨城方面。機会があれば行ってみたいですね。
今回あらためて思ったのは、私の絵はその描画法によって2種類に分かれていて、方法の使い分けは主に、モチーフの種類によるということ。
「風景」のような、いわゆる草っぽいものや不定形な雲のようなものは、筆のこまかいタッチ(=ストローク)を重ねて行くことで描写します。草の「形」を描くのでも、雲の「形」を描くのでもない、筆に絵の具を付けて、キャンバスに細かく斑点や線を乗せていくことで、草や雲の「動き」が表現されて、結果的にそれが草に見えたり雲に見えたりするという、かなり抽象に近い表現方法で具象を表していると言ってよいでしょう。そして、モチーフが風景ですから、奥行きのある空間表現が思い切ってできる。風景の細かい部分を描くというよりも、「風景を使って空間を描く」ことが目的とも言えます。 それに対して、「蓮」の絵の方は、ストロークではなく、最初から蓮の形を描いて、色や調子を整えていく、完全な古典的具象描画法です。この場合、モチーフが空間をさえぎるような形になるので、大きな空間表現は難しく、描かれたものの形態が最初に目に飛び込んできます。 この2種類の方法で描かれた絵+水彩の細密描写(背景無し)が混在するので、私の個展はいつも「ひとりの人なのに、色んな絵がある」と言われてしまうのではないかと思いました。
でも・・・『ひとつの展覧会をつくっていく』という作業を考えたとき、一度実験的に、どれかに統合してみても良いのかもしれない、そう思いました。
私はモチーフにはかなりこだわりを持っているつもりで、自分にしっくり来るもの、共感できるものでないと、ただ単に綺麗だからとかいう理由では、絶対に対象物を描きません。今までずっとそうでした。
それは、今回で言うと、一番思い入れがあって好きなモチーフは、蓮でした。だったら、蓮を描いた作品が一番良いはずだと自分では思いたいのですが、実際はそうでもない。ということは・・・どういうこと? これもまた今まで薄々気がついてはいたのですが、例えば、コンクールなどで、あらかじめテーマが決まっている場合など、自分の好きに描けない条件がある時の方が、結果的に良いものが描けていたりするんです。なぜか。これは自分でもよく分かりませんが、『過度の思い入れは、作品に対して良い方に働かない』からではないかと・・・
あと、同じ蓮を描いても、見る人の多くは、葉と花を区別してるんだなと思いました。
私は花が甘いから描いているわけでも、花の甘さを描こうとしているわけでもないのに、そういう物の見方自体、自分の真っさらな目で物を見ず、既成概念によって判断する、あまりに通俗的な見方なんじゃないかと思ったりします。見る側が、図像として「この絵には花が描いてある」と感知した瞬間に、
物事をありのままに見るならば、蓮は、葉っぱも茎も、もちろん花も、元気な部分も腐ってる部分も、周囲の水も、含めた、「全部が蓮」なわけで、「葉っぱは良くて花はダメ」っていうのは、何か別の論理でもって物を見て、絵を見てることになるんじゃないかと。 具体的な物の形状を描く私のような作品制作の過程は、「既成概念」や「個人的思いこみ」との闘いでもあるな、と思います。「既成概念」や「個人的思いこみ」を、うまく作品に取り込んでいくのか、それとも、裏切って行くのか。自分に対しても、他人に対しても。
モチーフに対する「思い入れ」にも繋がることですが。
そして、「時間がかかる」ということは、作品に値段をつける段になるとまた問題を引き起こしまして・・・。
特に現代美術系の作家を扱うギャラリーでは、作品価格が総じて安く、(これは多分、作家が1点制作するのに半年も1年もかけないので、年間に制作される作品点数が多いことと、現代美術系統の世界は、妙なしがらみや慣例が無い分、立ち位置が自由でカジュアルである、という理由だと思われ・・)私みたいな無名の門外漢が、小品に12万円とか値段を付けると、「それは高すぎる!」と思われる、そういう結果になります。
「まずは買って所有してもらうことが大事」と思って5万円で買ってもらうか、「いえ、この作品は12万円です。それくらいの価値があります。」と言い切って結局買ってもらえない(!)か。
作品を見た人に、「テクニックがあって、すごく簡単に1回でササッと上手に描いてありますね!」と褒めてもらっても、でもその「ササッと描いてあるように見える表面の裏に、一体何十枚の描き直された同じ絵が下敷きになって隠れているか」まったく感知されていないことも多く・・・(多分数週間〜1ヶ月くらいで描いたと思われている)。制作に時間をかければ作品の価値が上がるというものでもないと知りつつ・・・結局私が半年かけてやってることは、ムダなのか?結局5万円の価値なのか?と思うこともしばしば。
私は今までずっと、絵とは関係無い仕事で収入を得て、その収入の中から作品制作と発表の費用を捻出してきましたが、それはもちろん、絵が売れて、その収入で次の制作や発表が出来るに越したことはありません。でもだからといって、安くでどんどん売りさばくっていうのは、違うと思うし・・・いっそのこと「お金なんかどうでもいいです。本当に欲しいと思って大事にしてくださる方は、タダで持っていってください!」と言えたらいいのに。(でもそれはそれでまた変な話ですけど) ・・お金は無いと困るけど、でも、作品の価値を計るのにお金しか無いって、嫌なもんだなと、作品価格を決めるたびに思います。
壁があるからって、そこに全部絵を掛ければいいってもんじゃない。
それから、『古い筆をいつまでも使ってるんじゃないよ!毛が抜けて絵に貼りついてるじゃないか!』・・・。はい。ケチケチしないで新しい筆使います。
私がずっと絵を続けていて、NYで個展をして、東京でも個展をして、いるのを見て、「誰かパトロンがいるに違いない」「どうせ家が裕福なんだろ」と、思っている方もあるようですが。申し訳ないですが、時給何百円のパートのおばさんです私は。少ない収入を普段は使わずに貯めておいて、ある程度貯まったところで個展をします。そのくり返しです。パトロンも資金を出してくれるお金持ちの親も、私にはおりませんし、今のところ、自腹で会場を借りて個展をするしかないのが私の実力の程です。
最初にも書いたように、前回の個展がNYだったので、その環境の違いの落差から言うと、大阪と東京の差はあって無いようなものでした。ですから、東京にはこんな変わったシステムが・・というようなことはありませんでした。 ギャラリーに来てくださった方は、概してみなさん常識のある方で、妙な冷やかしや、困った人はほぼ無かったです。意見や感想がある方は、手短にはっきり言って帰られるし、展覧会を見慣れてる感じがしました。
それから、「美術・芸術」を「生業」にされている方の数が、大阪にくらべると多いんだなという印象は受けました。例えば美術評論家。アート系のライター。美術館の学芸員。芸術系雑誌の編集者。テレビ局のディレクター。都内の別のギャラリーのオーナー。そういう職業の方。そして、個人コレクターの方がけっこういらっしゃる。その辺りがやっぱり首都だな、と。
『次のための個展、と見ました。次たのしみです。』 はい。これから「次」に向けて、やっていきます。
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