2002年11月3日〜2003年3月29日までのつれづれ。
naisyoku いわゆる「日記」とか「感想文」のようなものです。
毎日は書きません。書くことがある時だけ書きます。
(2002年11月3日〜2003年3月29日までのつれづれのページです。)


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2003年3月29日(土)

 誰も待ってなくても。お待たせしました!遂に完成!!

「パリ・ベルギー(ブルージュ・ゲント・ブリュッセル)旅行の記録」(←Click)

長かったです〜。4ヶ月かかりました。でもやっと完成させました。いかに濃い旅であったかは、量を見ていただければ...。読み応えありますよ〜。全部読んだ方はご連絡下さいね。(そんな人は恐らくいないと思っている)時々疲れて、言動に意地汚い人間性がつい出てしまっている場合もありますが、「こわ〜!」と思って読み飛ばしてくださいな。そして、こんな私と共に旅立ってもいいよという奇特な方、いらっしゃいましたら、ぜひご一報を!お待ちしております。

2003年3月26日(水)その2

 さっきアカデミー賞に対してキツいことを書いたので、ひょっとしたら「あんた何様?」とかメールが来るんじゃないかと心配してたりして...(^_^;)

 だからと言うわけではないのですが、すっかり忘れていましたが、同じくアカデミー賞で宮崎監督の『千と千尋の神隠し』が長編アニメ賞を取りましたね。快挙ですね。でも私は宮崎アニメとは縁が無いみたいで、「となりのトトロ」を何度テレビで見ても、ビデオに録画しても、途中で中断して、結局最後まで見ることができずにいます。アニメが嫌いなわけではないので不思議ですが...そんな私が昨日の晩、録画しておいた『天空の城ラピュタ』を遂に!最後まで見ました!!さゆりちゃん(初期宮崎アニメの大ファン)が言うには、宮崎監督の作品の頂点は『天空の城ラピュタ』『ルパンIII世 カリオストロの城』(他の方は異論があるかもしれないけど。)なんだそうで。今回の『千と千尋』はキャラクターが日本的だから外国では「エキゾチックで素晴らしい!」と受け取られただけで、内容的には大したことは無い、と。私の周りで『千と千尋』を見た、3人が3人共同じ感想を言っているのが興味深い。どんな監督や俳優でも、認められて賞をもらうまでには、いくつかの段階を積み重ねなければならないわけで、今回の賞は、今まで優れたアニメを作ってきた宮崎監督に対する「総合的な評価」と思えばいいのかな?と、『千と千尋の神隠し』を見ていない私は思ったり。でも日本では大ヒットしたしなぁ。このギャップは何なんだろう?と。これは実際に見てみないとわからないことですね。

 あ、それで『天空の城ラピュタ』ですが。空を浮遊し続ける城『ラピュタ』のイメージがすごいですね。あれを考えついた時に、ストーリーが決まったんじゃないのかな。(今のニュース・ステーションのタイトルCGは、たくさんのラピュタやん!それとも、そもそもラピュタは何かを元に考え出されたの?)それと、シータとパズー(主人公の女の子と男の子)が意を決してラピュタの『滅びの呪文』を唱えるところも、「たとえ幼くても子供は信じるところをきちんと決断できるし、していいし、するべきなのだ。」という思いが結晶していて、思わず「うわ。すごい!」と見入ってしまいました。『滅びの呪文』なんか、大人にはなかなか言えないでしょう?人が滅び去ったラピュタで、誰に従うでもなく静かに活動しているロボットのエピソードも深い。滅びた人々のお涙ちょうだいでもなく、今とこれからを生きていく人のための話として、良い話だったと思う。

 さて。では次に『千と千尋』を見る機会があれば、見てみようかな。それで宮崎アニメのどこがどう変化してきたのか、わかるもんね。

※ところで更新情報です。『内職のツボ』に今年の年賀状2枚(やまぐちさん、あみのさん)を追加しました。

2003年3月26日(水)

 今頃になって風邪をひいております。う〜。元気が一番です。

 さて、米アカデミー賞発表終わりましたね。私はすごく意外でしたが、『戦場のピアニスト』が監督賞(ロマン・ポランスキー)と主演男優賞(エイドリアン・ブロディ)を取りました。今米国他がイラクに対して攻撃を行っているわけですが、その事実がそういう風に反映したのねー、と思いました。実際、米国民の多くは表向きは戦争を支持していても、心のどこかに「フセインは憎いが、彼を倒すために自国の兵士やイラクの市民が犠牲になるような戦争を、本当にしていいのか?」という後ろめたさがあるんだと思う。そういう現実の戦争に対する「後ろめたさ」と、「どの映画に賞を贈るか」は全く無関係なのだけれど、米国のアカデミー会員さん達の多くは、戦争の無意味さを見せつけた「戦場のピアニスト」に対して賞を贈ることで、自分達のやっている「戦争支持」という行為を『補償』したんだな、と解釈しました。(正に「爆弾と援助物資を同時に投下する」ようにね!しかも現実の戦争とは一切かかわらないし、自分自身は何のリスクも負わない映画賞の選考という場で。)
 『戦場のピアニスト』は賞を受けて当然の作品でしたが、もし今対イラク戦を行っていなければ、監督賞も『シカゴ』のロブ・マーシャルか、マーティン・スコセッシにあげたかったんじゃないの?主演男優賞はジャック・ニコルソンにあげたかったんじゃないの?それが本音じゃないの?本当に『戦場のピアニスト』を見て、本心から賞を贈るべき優れた作品だと思ったの?と、私は思います。たかが映画賞なんですが、でも、今現実に人が死んでるという事実をそんな簡単に他に転嫁するのは止めろ!と思うんです。そんなお手軽な脳天気さがたまらない。(私が感じる「シンドラーのリスト」の卑しさも、これと同じ理由です。)

 『現実の戦争とは一切かかわらないし、自分自身は何のリスクも負わないで、何かやったような気になれる』。
これ、実は私自身のことなんですね。今回の攻撃が始まる前ですが、知り合いから送られてきた「イラク攻撃に対する反対署名を求めるチェーン・メール」に、思わず自分の名前を書き足して知り合いに回してしまいました。でも、チェーン・メールはチェーン・メールです。ネチケット違反には違いありません。それに、誰がいつどこで始めた署名なのか不明でもあったし、「国連が署名を集めている」という文面も変。(「国連」は意志を持った個人ではなく、たくさんの国の連合体ですもんね。)そこまで解っていながら人に回してしまった私は、『安全な場所でリスクを負うこと無く、お手軽に出来ることを見つけて飛びついた。』のです。本当にズルかった、と反省しました。今後は内容がどうであれ、チェーン・メールのたぐいは一切無視しようと決めました。自分が何か思っていることがあれば、チェーン・メールなんか使わずに、個人として発言するのが本当です。

 まだ対イラク戦争が継続されている段階で、戦後の復興事業に対する企業の受注が始まっています。まずは米副大統領が元トップにいた石油企業が受注したとか...。こんなにあからさまに癒着関係を披瀝出来る感覚は、異常です。おいしい部分は全部、恥ずかし気も無く、ブッシュ大統領の同族企業と米国政府要人の個人的な関連企業が持っていくのでしょうね。こういう米国の『食べ漁り』行為を含めて、『支持』してる国が、日本なんですね。そういう政府を選んできたのが私達日本人なわけです。どうしたらいいんでしょう、本当に。

2003年3月16日(日)

 絶不調〜!昨日はクタクタに疲れきってしまい(多分睡眠不足の蓄積)、おまけに足腰も痛いし、『うぉ〜!今晩はぐっすり寝るぞ〜!』と思ってたのに、ウトウトしては目が覚め、ウトウトしては目が覚め、のくり返しでなかなか熟睡できず。やっと眠ったと思ったら、今度は変な夢を2本立てで見てしまい、そのうちの1本は家に入った泥棒と鉢合わせしてしまう夢で、『ど、どろぼ〜!∫(TOT)∫』という自分の声(なぜ夢の中って、叫びたいのに声がなかなか出ないんでしょう(T.T))で目が覚めてしまいました。時計を見たら朝の6時半でした。とほほ〜。その後は眠ったのかどうか解らないような睡眠状態、、、。ああ!!今日は「気分良く目覚めて絵を描くんだ〜♪」と思っていたのに(T^T)結局絵は描きましたよ、予定通りね。でも気分悪いわ〜。精神状態が悪い証拠ですわ。でも今晩こそ、ちゃんと眠ってやる〜w(^へ^)W

 さて、『戦場のピアニスト』(ロマン・ポランスキー監督)見て来ましたよ。2002年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを取った作品です。この作品で一番思ったのは、『戦争状態においては、人は死ぬも生きるも大した理由は無い。』ということです。結果的にこの映画の主人公であるピアニストは生き残り、自分の体験を本に著し、その本を原作としてこの映画があるのですが、主人公が生き残ったのはなぜか!?それには大した理由は無いのです。強いて言えば、名前の知られたピアニストだった。それだけ。 ナチスの兵士に、その時の気分で虫けらのように殺されていった人々にも、大した理由が無かったように。
ポランスキー監督自身が第二次大戦中、ユダヤ人収容所に入った経験が有り、実際両親を収容所で亡くしているという事実。それでも、泣きわめくでなく、ナチス・ドイツを激しく糾弾するでなく、無情感が深々と染みてくるような、本当に静かな映画でした。彼の実体験の正直な反映なのでしょう。色彩的にもあの時代のどんよりとした空気がよく現れていました。最後に主人公が戦後、コンサートの舞台でショパンのポロネーズを演奏する場面は素晴らしかった。エンドロールの最中も、最後までずっと演奏している手のアップが映されるのです。ショパンの音楽が、生きることへの賛歌に聞こえました。
ポランスキー監督は、『シンドラーのリスト』の監督を打診された時に断った(結局はS.スピルバーグが監督した)というエピソードも。さもありなん!!(私は『シンドラーのリスト』はものすごく卑しい映画だと思っている。スピルバーグ自身もユダヤ系アメリカ人でありながら、ナチスによるユダヤ人迫害を題材に、あんな安っぽいお涙頂戴劇を作るなんて!!あの映画を良いと思った人は、もう一度胸に手を当てて考え直して欲しい。)
 でも、良い作品ではありましたが、やはりヨーロッパの人々の『当事者』としての思いは、私達遠い島国の、被害者ではなくむしろ先の大戦では加害者の立場であった国の人間には、計り知れないものがある、とも思いました。
でも確かなことは、『殺し合いによって、幸せになれる人間はいない。』ということ。理由も無く殺してはいけない。理由も無く殺されてはいけない。そんな単純なことが出来ない生き物は、恥ずかしい。

2003年3月11日(火)

 なんか春なのに冬ですねぇ。真冬のかっこうしてても、春の気配。梅は咲き誇っているし。もうすぐ桜なんか咲き始めるんですよ、この寒さで。変なのー。
 とまあ、こんなゆるゆるしたことから書き始めていますが、ワタクシまたもや小鬱期です。いつもの『私はこの15年、一体何をしてきたのか?何も具体的なカタチになっていないではないか!?』の堂々巡りが始まりました。こんないらんことに煩わされてないで、何か具体的に行動しろよ!!と思うんですが、一旦囚われてしまうとなかなかそこから抜け出せない。自分でも「アホか!」と思うのですが、どうにもこうにも(/_;)

 ところで、明日は『戦場のピアニスト』(ロマン・ポランスキー監督)を見に行って来ます。滅多に映画なんか見ない母親が「これ見たい」と言うので、母と一緒に。『プライベート・ライアン』の冒頭シーンがあまりに痛すぎて最後まで見られない私ですが、この映画は大丈夫なんでしょうか。こないだ見た『ギャング・オブ・ニューヨーク』のギャング団同士の対決シーン(ナタ、カナヅチ、などのいわゆる鈍器で殴り合うのです。痛ぁ〜〜!!!)も「いや、いや、嫌ぁ〜(x_x)」と思いながら見たけどね。刺されたり切られたりして、「血がドパ〜!!」っていうのはけっこう平気なんですが。殴られたり四肢を裂かれたりして「内出血してますよ」「内臓出てますけど?」、みたいなやつは我慢できないんですね。(いや、そらー誰でもそんなん我慢できんでしょうが。)なんででしょうね?

 はい。ではこれにて逃避は終了です。これから寝るまでの間、絵を描きます。もう搬入までそう時間はありません。現実には『小鬱期』なんて言ってる暇も無いんです。

『ブツクサ言ってる暇があったら行動だ!行くぜフレディー!!』
(例によって、今フレディーが私のために名曲『バルセロナ』を歌い上げている。あ、『Love Killes』に変わったぞ。う〜ん。『Somebody to Love』で描き始めることにするかな。)

2003年3月2日(日)

 本日はまず三宮で買い物をして、それから西宮市民ギャラリーで今日まで開かれていた「西宮美術研究所展」を見てきました。まずお買い物の話から...。

 !!!今年は間違いなく私にとって『お買い物ラッキ〜年』であります!1月には、デパートの初売りなんか生まれてこの方行ったことの無かった私が、一念発起してコートを求めて行ってみたら、まさにドンピシャ!な品をゲット。おまけに友達の結婚祝いも、バーゲン価格ですごく可愛い小物類を買えて、ほくほく(*^_^*)
そして今日なんですが、今持っているカラー・ジーンズ類が、のきなみ古くなってヤバヤバなので、ジーンズを求めて三宮ダイエーへ。例によってワゴンセールにすい寄せられ、何本か試着してみた結果、900円(デフレ万歳!!)のを1本と、2000円のを1本購入。1本を裾直ししてもらう間、他の階をなんとなく回遊していたら、赤札からさらに半額!!という靴の投げ売り会場に遭遇。1年ほど前から(すんません。私ってそうなんです。3年前に買ったコートなんか、5年間考えてやっと買いましたもん。)「一足マトモな靴が欲しいなー。」と漠然と考えていたのですが、会場をぐるぐる回っているうちにものすごくカッコイイ靴を発見。水色地にベージュのぶっといストライプが縦に1本ずん、と入っている革靴。定価12800円が半額の6400円。ここで普通の人なら、「デザインが気に入った!」→「なんと半額!」→「ずっと前から靴が欲しかった!」→「ご購入〜!」とすんなり行くと思うのですが、私はかなり貧乏人。6000円以上もする靴なんて!!!でもとりあえず履いてみてサイズが合うことは確認。まだ裾直しの仕上がり時間まで5分ほどある。「どうする?どうする?」ここでヨーロッパ旅行の時の教訓『迷ったら買え!』を口の中で何度か唱えてみた。シミュレーションもしてみた。仮に今この靴を買わずに帰って、今晩私はこの靴のことを思い返して後悔するか否か!?靴の乗っている棚の前にイスがあったので、そこに座ってもんもんと思案。ってことで、「えいやっ!」と買ってきました。家で見てもやっぱり良い!満足です!お買い物年万歳!!

 続いて。『西宮美術研究所』とは、美術系大学入試の実技試験対策のためのいわゆる受験予備校です。私が通っていた頃は西宮ではなく、新長田(そう。震災で甚大な被害を受けた正にあの町です。)に教室があって、そちらに通っていました。
さて。感想ね。中島さんがエエ感じで描いてて「調子良さそうやな」と思いました。自分が描きたいものを描きたいように描くのが一番。それ以外の方法なんか存在しません。そういう意味ではみんな好きなようにやってる感じがして、展覧会全体の印象としては良かったです。まだ学校を出て間もない人や学生さんが含まれているので、完成度という点で物足りなさは否めない。でもそいうものを求める展覧会ではないんですね。今後全員がそれぞれ個展をして、全員が自分の作品でもって真剣勝負を経験した後にまた同じメンバーが集まれば、まったく違う展覧会になるのでしょうね。って言っても、この展覧会は研究所関係者の中の持ち回りの「幹事さん」ひとりが会期から会場、人選までを決定するそうなので、同じメンバーが続くことは有り得ないそうです。試みとしては面白いですね。

!!ここで『西宮美術研究所展』関係者の皆様に業務連絡!!
ワタクシ、今日「もし出品のオファーがあったら出すか?」と聞かれて「余裕があったらねー。」ととぼけたことを言いましたが、余裕なんかとてもじゃないけど無い!!ので出品できるわけが無いのです。まず4月から普通の人間並に働くので忙しい。そして「出して!」と言われて「はいはい。」と描けない。この2つの理由により、オファーいただいても99パーセント出品はムリです。ハガキ代がもったいないので、間違っても私には聞かないで下さい。『西宮美術研究所』ならば、優秀な人材は唸るほどいるはず!!よろしくです〜。

2003年2月23日(日)

 もう何ヶ月も、去年の旅行の記録をまとめています。なかなか完成しません。今やっと6日目に入ったところ。全部で12日あるので、まだ半分。写真はまとめて加工したし、あとは文章を書いてレイアウトして行くだけと言えばだけなのですが、それがなかなか進みません。う〜。そろそろ飽きてきて、嫌になりつつあります。(根性の無い私。)
 でもTOPページのカウンターの数字が日々増えている。きっと更新日時を確認して「あー。また更新してないなー。ちぇ!」と思って帰って行ってるんですよね?ごめんなさいです。もう少し待ってくれたら、異常に読み応えと見応えのある旅行記を発見できますよ〜。1回の訪問では読み切ることはまず不可能、と申し上げておきましょう。完読するためには何度もおいでいただかないとね!!期待しててください。

 えー。先日、ともみちゃんから『ダニエル・デイ・ルイスを見に行くべし!』との指令を受けたので、久しぶりに映画を見て来ました。もちろん『ギャング・オブ・ニューヨーク』(マーティン・スコセッシ監督)です。主演は一応ディカプリオとダニエル・デイ・ルイスの2枚看板なんですけど、そんなんウソです。あの映画の主役はダニエル・デイ・ルイスです!D.D.ルイスは「マイ・ビューティフル・ランドレット」でデビューし、「眺めのいい部屋」「存在の耐えられない軽さ」「マイ・レフト・フット」「ラスト・オブ・モヒカン」「父の祈りを」「ボクサー」などに出演。演技派として鳴らし、現役の俳優の中では今最高レベルの人であります。でもこの方ちょっと変わってまして、『もう俳優は辞めた。靴職人になる!!』とかで、以来この5年間は俳優としての活動はしてませんでした。今回は久しぶりの映画出演。この作品そのものは大勢の人が共感するような内容ではなかった(結局この映画はスコセッシ監督の「ニューヨークへの愛!」そのものだから、劇中の役者は表現のための「駒」に過ぎないと言えば過ぎない。)けれども、ディカプリオ演じる「アムステルダム・ヴァロン」の父の敵、貧民街ファイヴ・ポインツを仕切るギャング団の親玉「ビル・ザ・ブッチャー」を演じたD.D.ルイスは、自身の俳優歴の中で最高の演技をやってのけたかもしれません。それくらいに複雑怪奇なビルの人物造形は素晴らしかったです。対するディカプリオはいつものディカプリオで、『何をやってもディカプリオ』状態。はっきり申し上げてD.D.ルイスの相手としては役不足でした。これは多分脚本がどうとかではなく、俳優による役の解釈の深度の問題だと思います。ディカプリオは浅かったのです。それでも次々と主役のオファーが来るし、主役で出たら脇役や相手役に一流の俳優が付いてくれるしで、『運がいいよね〜。』と思う。でも今、ディカプリオを見たくて映画館に行く人って、そんなに大勢いるんですか?私は疑問なんですけど。演技者として頭打ち状態じゃないんですか?と思います。アイドルとしてもねぇ...。(「ギルバート・グレイプ」「ロミオとジュリエット」辺りが頂点だったかも。)映画好きの皆さん、どう思われます?私、もんく言い過ぎ???まあ要するに、この映画をまだどっかでやってたら、ダニエル・デイ・ルイスを見に行ってね!!ってことです。よろしく。

2003年2月17日(月)

 『み、耳に水〜!!』
 あ〜。ヤバかった。(メ-_-)さっきお風呂で髪を洗っていて、シャンプーを流そうとお湯をかぶったら、両耳に同時にお湯が入って完全水中状態。普通、温めた手の平で耳をフタして斜め向いてると、じょわじょわ〜っと自然にお湯が出る(手の熱で耳の中の空気が暖まって膨張し、その圧でお湯が外に出るのです〜!)のに、それやっても全然出てくれない。焦りました。トイレ掃除みたいに手の平をペコペコやったらやっと出た。う〜。もう中耳炎はゴメンです。
 もともと私の耳は、外からお湯が入ったり鼻から菌が入ったりしやすい構造になっているようで、物心ついた時には、耳からは耳垂れ、鼻からは青ばなを垂らしている、頭悪そ〜な子供になっていました。大人になってからもそれは変わらず、中耳炎で鼓膜破ってひどい目に会ったり、最近も朝起きたら片耳が聞こえなくなっていたりで、耳、そして鼻は私の最大の弱点のひとつなのです。これから髪を洗う時は耳栓しようかしらん。そうしよう。

 何か世界情勢はとてもややこしい状況になりつつあるというのに、耳に水が入ったとか言って騒いでる私は脳天気で危機感ゼロですね。でも今日100均に行ったら何となくガムテープを買ってしまいました。ガムテよく使うので買っておいていいんですけどね。でも、私って深層心理でブッシュに踊らされてる!?とも思う。でも実際何かあった場合、ガムテなんかあっても無くても何の足しにもならないことは解っているし。。。新聞やテレビでは世界中の反戦デモの様子や、武力行使容認のステイトメントが伝えられているけれど、日本っていう国は深い水の底にでもいるように、そういううねりからは本当に遠いですなぁ。北朝鮮の核問題なんか、私達が最も近い当事者なのにね。さて。とにかく殺すのも殺されるのも良くない。人類の理性を信じ、全てまるく治まるのを願うばかり。。。(-人-)

2003年2月9日(日)

 立春を過ぎると寒さも緩み、春の匂いがしますね!
と言っても、昨日は雨で、今日は晴れのち曇りという天気でしたが。

 今日はフランス語会話とヘドウィグのサントラを聴きながら、絵を描いております。まだほとんど下描き状態で、先の見通しがまったく立たず一番不安な時期です。この絵、出来上がらないんじゃないか!?ロクなもんにならないんじゃないか!?と。
 昨日本屋で雑誌を立ち読みしていると、須田悦弘さん(=美術作家。実物大の小さな植物などを1つの木片から掘り出し、空間に設置する作品を作っている。)のインタビューが載っていました。「テレビとか見ながら彫ることもある。」「何も考えずに彫ってる時もあるし、"晩ご飯、何食べようかなー。"とか考えてる時もある。」そう。いずれにせよ、この方は作っている最中に作品そのものについて、意識して考えることはほとんど無さそうな感じ。う〜ん。良い感じ、と思いました。私もどちらかというと、一番最初に「何を描くか?」「どんなモチーフをどのように描くか?」を決定した時点で作品に関して考える作業はすでに「終わってる」状態なのです。後は撮ってきた写真と、自分の胸の中にあるイメージをすり合わせて画面に描いて定着していく作業を、持てる技術を使って根気よく続けるだけ。やってることの実体は、職人の仕事に近いと思います。逆に言うと途中であれこれ考え直すことが出てくると、その作品は出来上がる前にもうダメなことが多いということです。私の絵について時々「怖い」と言われるのは、単調な仕事を何日も何日も、何も考えずに続けることの怖さではないか、と思ったりします。(例えて言えば、冷蔵庫の奥で何ヶ月も忘れ去られていた、すごい形状のトマトをある日発見した時の『うわ!何これ!?うっそ〜!!これってトマトぉ〜〜〜!?げぇぇぇ〜!(・〇・;)』みたいな。)

2003年1月28日(火)

遺跡を見た!! というわけで、遺跡を見てきました。
ココをClickして下さい。写真を見ることができます。上が遺跡で下が出土品です。

 え〜、遺跡は想像していた以上に大きいもので、それでもまだ一部なのだそうです。ここは初めから「何か出るぞ!」と解っていた地域なので、マンションの建設が始まる前に試し掘りをしてみたら本当に出てきたそうです。「○寺の一部!?」と思ったのは私の勘違いで、『○寺の造営時に瓦を焼いたり金属を溶かして何か鋳造していた人達の、作業場兼住宅!?』というのが真相のようですね。まだ本当にそうかどうかは解らないらしいですが。
 出土品の写真で、赤い台の上に乗っているのはタコ壺です。『Jのツボ』でもお馴染みですね。近所の友人「おーちゃん」曰く、『昔はこのすぐ近くまで海やったから、お寺の造営の仕事をしてた人が朝のうちにマイ・タコツボを一個ずつ海に仕掛けておいて、昼になったら引き上げて、昼ご飯に焼いて食べてたんとちゃうか?』だそうです。はっはっはっ!!贅沢な昼ご飯や〜。1300年前の人達!!

2003年1月25日(土)

遺跡が出た!!
 そうなんです。うちのすぐ近所(歩いて5分)のマンション建築現場で奈良時代(紀元700年代ってことは、1300年前!)の遺跡が出たんです!お寺の柱跡、住居跡、溝跡、瓦や須恵器、土師器の破片、が出たそうです。私が住んでいる地域は今も「○寺」という地名で、古い文献によるとその「○寺」という名前のお寺が実際にあったらしい、という話はなんとなく知っていて、それが現在では「高○寺」が建っている辺りにあったであろう、ということも知っていましたが、今回出た遺跡はその「○寺」の一部らしいです。その「高○寺」のすぐ前に母の実家があって、10数年前に市の人が来て、母の実家の土地を掘り返して行ったこともあったらしく(残念ながらロクなものが出なかったらしい)、ってことは、この辺り一帯が多分「○寺」の土地だったんでしょうね。なかなか珍しい話題でちょっとワクワクです。でもニュースにもなってないし、大したことないんやろうな〜。と言いつつ、明日博物館の学芸員さんによる遺跡の現地説明会があるので、それ見て聞いてきます。う〜ん。長く生きてると色んなことに出会いますなぁ。しみじみ。

2003年1月12日(日)

 昨日は『ウィーン美術史美術館展』(京都国立近代美術館)と『大レンブラント展』(京都国立博物館)をハシゴして来ました。まず『大レンブラント展』の方に行ってみると、すでに90分待ち!!ということで、整理券をもらって『ウィーン美術史美術館展』に向かいました。バスで移動したのですが、道路が異様に混んでいて遅々として前に進まず、歩いている人にどんどん抜かされていく始末!おまけにバスの中も混み混みで、段々暑くなってくるし、半分ぼーっとしながら京都国立近代美術館に着きました。ホッとしました。全然並んでないし、会場に入ってもまあまあ絵を見られる状態。1枚目にロヒール・ファン・デル・ウェイデン(フランドル=今のオランダ・ベルギーの、ファン・エイクとほぼ同時代の画家。)の小品があって、ちょっと嬉しかったです。彼の絵はブリュッセルで堪能してきました。そしてチラシにもなっているデューラーの婦人像、レンブラントの息子ティトゥスの肖像、ベラスケスのマルガリータ王女の肖像。私にとっての目玉はこの4枚でした。(ああ!アルチンボルドもあったな。ルーヴルでも見たよ。)ルネッサンス〜バロックと、時代を限定して作品が来ているので、『まだまだ良い作品、山から持ってるのにね〜』とちょっと思ったりして。
 『ウィーン美術史美術館展』を見終わって、『大レンブラント展』の会場に着いたのが4時過ぎ。昨日は夜8時までの開館だったせいか人の波は途絶えておらず、まだ整理券を出している状態でした。入る前にも並ばされ、看板に何か書いてあったので何とはなしに読んでみると、『絵に顔を近づけないで下さい。』『絵を指さすような行為はしないで下さい。』って。はぁ〜〜〜〜!?こんなん書いてあるの、初めて見ましたけどー(@_@;)そう言えば2枚の大作の横には、その絵専用の警備員さんが1人ずつ立っていましたね。ん〜〜〜。実は私、今回の『大レンブラント展』については何の予備知識も無く行ったのですが(レンブラントの熱心なファンでもないしねー。)、いやいや立派でした。さすがに傑作と言われている一級の作品は来てないけど、時代的にもまんべんなく網羅してあって、よくぞこれだけ集めたな〜!と感心しました。作品リストを見たら、ホントにバラバラなとこからかき集めてあるのがよくわかります。学芸員さん大変ご苦労様でした!!これだけレンブラントが来ていれば、警備もピリピリするはずです。
あ、それで展覧会の感想なんですけどね。『何だかんだ言っても、レンブラントはやっぱり良いなぁ〜!』です。肖像が多いので多少単調な印象はあったけど、あれだけ並んでいても飽きが来ないのはやはり、良い絵だからです。重厚でいて、描写にほどよい大味さも有る、というところも良いのかも。(描写が細密な上に大きい絵を連続して見ていると、段々思考停止に陥ってくる。)あと、レンブラントには『人生で泣かせる!!』部分もあるしね。描かれた絵がレンブラントの人生を如実に反映しているところが、日本人にマッチするのかも。
見応えの有る良い展覧会でした。うーん。近年の京都国立博物館の企画はすごく良いし、観覧客の動員数も当たってますよねぇ。学芸員さんで誰か優秀な人がいるんでしょうかね?

 それにしても...ヨーロッパでの絵画鑑賞は何と贅沢だったことか!!ファン・エイクの『ファン・デル・パーレの聖母子』はたった二人でかぶりつきで見たし、『神秘の子羊祭壇画』も人の頭越しでなく1時間も見てたし...ああ!いかんっっっ!!!また行きたくなってきたよぅ〜。(T.T)

2003年1月10日(金)

 今週BS2では『天才芸術家の肖像』という番組を放送してます。昨夜はピカソ。その前はゴッホ。(ゴッホは見逃した。)その前はモネ。モネはおしゃれでグルメで、でも都会の喧噪を嫌って田舎に引っ込んでしまうところなど、普通に「いい人やん!」と思いました。(だって、奥さんのデス・マスクを描いているうちに、遺体に当たる「光」に反応して夢中になってしまい、「妻が死んだのに...こんな自分って...!」と悩むなんて、可愛い!!ピカソに見習って欲しいわ〜!)私は睡蓮のシリーズが圧倒的に大好きなんですけど、あれは目が悪くなってからの、ほとんど晩年の作なんですね。
 で、ピカソには生涯7人の愛人や奥さんがいて、私は今まで知らなかったけど、ピカソを捨てて去った女性がひとりだけいたらしい。その人以外の5人(1人は結核で亡くなったので。)の女性は全て悲惨な最期を迎えていて、ゾッとしました。ただひとり今も存命のその女性は『このままピカソと一緒にいたら、自分はピカソの奴隷で終わってしまう!』と悟ってピカソのもとを去ったそうです。すご〜い!!他の5人はピカソに人生狂わされて(まあ本人はそれでも良かったのかもしれないけど。)精神を病んだり自殺したり、ひどい目に会っているのに!それにしても、ピカソはいかん!!なんぼ天才ですごい絵を描き残したとしても、やっていいことと悪いことがある。(事実上)人を殺しながら絵を描いて、お金と名声を得て、それで幸せにベッドの上で死なれたら、犠牲になった人が浮かばれん。人間として壊れている。彼自身が自殺して当然の一生を送ってきた人だったと思う。もともと私はピカソの作品を好きではなかったけど、昨夜の番組を見て一気にイヤになりました。作品と作者の人間性はイコールではないことは解ってるけどね。でも無関係では決して有り得ない。作者の人間性は作品に出ると私は信じる。結果的にとはいえ、人の命を奪ってまで描く絵がナンボのものぞ!!名作は人殺さずとも描けるぞ!!(なんだかスゴイ怒ってます私。(^_^;))

 とか思いながら。最近思うのは、映画でも絵画でも人柄でも、それに接した人に大きなインパクトを与える作品や人というのは、その本人の持つ、出来れば隠しておきたいような『弱点』をさらしているものなのかもなー、ということ。ピカソであれば、例えば女性に対して一見愛情に溢れているようでいて、実はそうではない『壊れた人間性』。モネであれば、年々見えなくなっていく目でも、描くことを止められない、絵描きの悲しい『業』のようなもの。私の生涯の映画ベスト3に入る『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』の監督・脚本・主演のジョン・キャメロン・ミッチェルであれば、自身がゲイという『社会的マイノリティ』であるということ。こういった弱点は、作品というカタチで白日の下にさらされると、強烈なパワーを発揮することがある。否定しようもなく、どうしようもなくそこに『存在してしまう』、違う見方をすれば『悪』や『往生際の悪さ』や『恥』とも取れるような『弱点』が、逆に深い感動を呼ぶことがある。

『私はこれ以外には、もうどうしようもないんだぁっっ!!』

という魂の叫びを聴くとき、心底人に届く感動が生まれるのかもね。
そこで私はハタ、と考えるのです。『絵でさらすべき私の弱点は何?』

2003年1月3日(金)

 今朝初夢を見ました。会議室のようなところに大勢の人が輪になって着席していて、そこにいる人が順番に自己紹介をしていくのです。私の番になりマイクが回ってきたので、私も自己紹介。そしてなぜか趣味を言わなくてはならなかったので、『絵を描いているんですが、自分にとってそれは趣味とは呼べないものなので、そうですねぇー。他に趣味というと...』と、なんかしゃべっている夢でした。去年の初夢(ある人が死ぬが、お葬式の最中にナント蘇る!)よりは当たり障りなくていいかもな。その前のは荒唐無稽もいい加減にせえ(フレディー・マーキュリーが神社の相撲大会にまわし着けて出てくる。)という感じやったし。。。「何だかなぁー」と思いながら今朝新聞を見ていると、『夢を見ている状態は、眠りが浅いということです。』と書いてあった。私は一年の半分くらい夢見てるんですけど・・・。だからこんなに年中ボケボケなのかしらん。ああ。ということで、今日のお題は『初夢』でした。

2003年1月1日(水)

 『2003年明けましておめでとうございます。』

 今年もよろしくお願いいたします!
(でも喪中なので新年の挨拶はしてはいけない!?)
年末ジャンボははずれ、喪中なので年賀状もほとんど来ず、なかなか寂しい年明けです。従妹(=きものの女王)が神戸中央郵便局の出発式に出て花束贈呈をしたことぐらいでしょうか、華やかな話題は。夕方のニュースでその様子が少し映ってました。
 年が明けても特別な変化は無く、個人的にすごい目標も特に無く、まあ日々そろそろとやっていくだけですねー。(う〜ん。何か気力が非常に萎えています、今。)ええとそれから、旅の記録を現在製作中で、近いうちにとりあえず表紙と中のコーナーをひとつぐらいアップできればいいなと思っています。イラストいっぱい描きましたよ。それを載せます。かなり楽しいと思います。

 それでは、今年を良い年にして行きましょう。祈!世界平和!!家内安全!!火事親父!

2002年12月29日(日)

 年内の仕事は金曜日で終わり、昨日は元町の中華料理店で忘年会がありました。私がお世話になっている会社では忘年会の中にプレゼント大会が有り、去年は『もぐらたたき』の得点順位に従ってプレゼントが当たりましたが、今回はそれが『巨大あみだくじ』でした。これが異常な盛り上がりで、1等賞品が出てしまった後でも「あそこにもう1本線があったら・・」とか「でもあそこにあっても俺は変わらない!」とか、そのこだわりは「たかがお遊び」とは思えないほど。ホントに愉快な良い会社です(^_^)来年以降も皆様よろしくお願いします。(ちなみに私は5等のプレゼントが当たりました。)

 さて。ここ数ヶ月出来ずにいた部屋の大掃除をやっと済ませて、今大変気分が良いです私。これを済ませないと絵の準備を始められない。なぜかと言うと、私が絵を描いている部屋にはカーペットが敷いてあり、ただでさえ埃っぽいのに掃除をずっとしていなかったので、すごい埃だらけの状態だったのです。埃が浮遊していると、乾いていない絵の具に貼り付いて、絵が毛だらけになります。これが細かい描写をする箇所にくっついていると、筆がひっかかってうまく描けなくなる。そういうことです。
さあ!これで準備が出来たので、ぼちぼち地塗りにかかりましょうかね。今年は結局2枚しかちゃんとした絵を描きませんでした。(でも作品の質として納得がいってるので、枚数は少ないけれどそれでも悪くないのです。)来年は大作を1点仕上げる。それをコンクールに出す。それに小品を何枚かプラスして数年以内に『個展』と行けばいいかなぁ、と思っています。今までよりも長期計画で作品を揃えることになります。そういうのもまた良しかな、と。

 今年も残すところあと2日。捨てそびれたゴミや、やり残したことはありませんか?私は一足早く、来年の用意を始めま〜す!!では今日はこの辺で。

2002年12月22日(日)

 と、いうことで、誰からもツッコミが入らないまま過ぎ去って行こうとしていましたが、自分で気付いてしまったので、訂正します。私がDVD『QUEEN GREATEST VIDEO HITS 1』の中で最も好きなPVは『Spread Your Wings』ではなく、もちろんB.メイ作の『Save Me』です。ここを読んでいるほとんどの皆様は興味ないからどうでもいいことかもしれませんが、一応「ええ。私、今さらなんですが、QUEENに狂っています。」と言ってるからにはこんな寝ぼけたことを書いていてはいけません。最近自分で自分をおかしいと思ってましたけど、やっぱりおかしい...(T.T)私の周りにいる人、私を警戒してください。何しでかすかわかりませんよ〜〜!(@_@;)

 では、もうこんな時間(am1:30)なので、ただでさえおかしい上に、現在、左耳が難聴気味の私はさっさと寝ます。最近通勤電車の中で立ったまま一瞬意識を失う(=眠ってしまう)こともあり、危ない危ない。ちゃんと布団で寝るぞ〜!!お休み!!

2002年12月18日(水)

 年賀状作りは一段落。あと1件プリントして納品したら終わりです。最近気ばかりあせって「次これしたら、その次はあれしないと...」と頭が空回りして、精神状態がすごく悪かったので、「そうや、休もう!」と決心。今日も昼からずっとコタツに入ってテレビの『ピーコのファッション・チェック!』など見て、ポヨポヨと過ごしておりました。
(ピーコとか三輪明宏とか、俗に言うオカマのタレントさんはけっこう好きです。強さと厳しさと優しさを兼ね備えた人間性に、一抹の寂しさや滑稽さが同居しているところ、自分が世間からどう見られているかをちゃんと解っているところとか。)

 今年はたくさんのするべきことがあって、片づけても片づけてもどんどん用事が出来てきて...。その中には仕事もあったし旅の下準備もあったし、全て自分の為になることばかりだったので、すごく良い年ではあったのですが、いつもの何倍も動き過ぎ、働き過ぎだったので、正直とて〜も疲れました。
しか〜し!こんな風に色んな人にチャンスをもらって仕事も出来、遊びも出来るのはとても幸せなことなのです!!大勢の人に助けてもらっていることに、心からの感謝を!!そして来年もまた今年と同じくらい頑張りたい...。年明けには新しい仕事が入ってきそうな気配もあって、まずそれを優先して、与えられたことをきちんと出来るようにしたい。それ以外には、久しぶりにフランス語を習いに行こうかなー(今回の旅で自分の仏語がいかほどのものか思い知ったので...(..;))、とか、小さい個展をしたいなー、とか考えています。おお!!そうや!!旅の記録もこのHPで公開する予定でしたね。それもやらないと...おっといけねぇ。また『〜しないと!』が出てきたわ。

 !!そうそう!!ここに書くのをすっかり忘れていましたが、QUEENの新しいDVDが出たんです!例の慨発ビデオのDVD化第2弾なんです。『QUEEN GREATEST VIDEO HITS 1』。私はビデオを買わずに何年も待っていたんです〜!やっとQUEEN初期のプロモーション・ビデオを全部見ることができました。初めて見る映像だらけで嬉しい!特に好きなのは『Spread Your Wings』。このアニメと実写を使ったビデオは、曲の内容にもぴたり沿っているし、ビデオ作品としてもとってもよく出来ています。ハトがフレディーに変身し、最後は手を伸ばすフレディーからハトがすり抜け飛び去っていく。。。この映像、某国でのフレディー死去のニュースで引用されていましたっけ(T.T)。さて、このDVDには作品ごとに現在のブライアンとロジャーのコメントや、過去に語られたフレディーとジョンのコメントが新たに付け加えられていたり、オマケDVDには「Bohemian Rhapsody」のマスター・テープを部分再生しながらのブライアンによる曲の制作秘話や、ビデオ制作秘話、その他のプロモ・ビデオが入っていて超!豪華です。マスター・テープに録音されているフレディーのピアノのトラックなど、もう!当時の空気がビンビン伝わってきて感動です!!パソコンに耳くっつけて聞き惚れます。このDVDはコアなQUEENファンでなくとも、この時代に青春を過ごした人にとっては『一家に1枚!!』のDVDですよ!!全16曲、全曲ヒット曲ですから、どれ聴いても全部知ってるはず!!ただ、、、DVDになったのに、映像があんまり綺麗じゃない。まあもとが古いからしょうがないのかなー。DTSとか5.1サラウンドとかで音はすっごく良い!!らしいですが...。(現在パソコンにステレオ・スピーカーを付けていないので、片方のトラック分の音しか聞こえない(▼▼メ)年明けにでも買うかな...また散財かぁ。)ヒゲの無い長髪のフレディーが可愛くて新鮮です!これでたったの¥5,800(税込)!ちょっぴりお金の余っている人はぜひ買うのだ!!

 と、いうことで、年末も押し迫って参りました。ラスト・スパートですよ、皆様!すっきり今年を終わらせて、さっぱりと来年を迎えましょうね!!ではまた!


※『来年のホルベインのカレンダー(=画材メーカーのホルベインが画材屋を通して毎年末お客さんに無料で配っている美術カレンダー。)はファン・エイクですよ!』というUさんからの情報により、早速ファン・エイク・カレンダーをゲット!!こんな嬉しい偶然がまだ私を待っていてくれるとは...!!ファン・エイクが私を呼んでいる〜〜〜!!(*^。^*)ちなみに私、そのカレンダーに載っている作品は全て実際に見ました!!(ちょと自慢)

2002年12月8日(日)

 ども。ご無沙汰してます。まだまだ内職中のじぇいさんです。でも喪中ハガキは出し終えました。
 寒いですね〜。私は今日は一歩も外へ出ることなく、溜まっていたメールの返事を書いておりました。また、旅行の要らぬ副産物(これについてはまたマヌケ話を書きます)の処理も無事終わり、やれやれというところ。

 メールと言えば、大学時代の先輩から『ゲントに行って来たんですね!』とメールをいただきました。Uさんというこの方は美術教員をされていて、奥さん(この方もまた私の先輩です)も子供さんもおられるのですが、数年前に一念発起してパリに1ヶ月間行って来られたのです。(最初に『1年間行かせて下さい!!』と校長先生に直談判したそうですが、1ヶ月しかお許しが出なかったそうです。)私も学生時代は『パリに留学したいな〜。ベルギーに留学したいな〜。』と漠然と考えていたので、とりあえず仏語の勉強を細々としてたこともあったのですが、いつしか「この歳で今さら美術学校に入ってもねぇ。」と思い始め、「日本で出来ることをやればいいや。」と考えを変えていたのですが、このUさんの1ヶ月の留学話を聞いた時には『やっぱり私も行きたいよおお!!』と思いました。そして今回ベルギー(特にゲント!)に行って、『通り過ぎるだけの旅行者には限界がある〜〜!!』と思ってしまったのでした。
 その街にある美術館に行って単に作品だけを見て回るなら旅行者で十分なんですよね。でも、そうではないもの。例えばその土地で制作されたひとつの美術品が生まれる経緯。なぜ「その街」で、「その時代」にそれが生まれたのか?をものの作り手として理解するためには、もっとずっと時間が必要なんです。そういうことを知識ではなく身を持って知りたければ、学校に入るとかではなく、まず「そこで時間を過ごしてみる」(もちろん過ぎてしまった時代を生きることはできませんが。)ことが第一歩だな、と。特にゲントについては、具体的に言うと1200年代〜中世を含め、それ以降の建築物が時代の層を作るようにしてそこかしこに残っており、今回見に行った、この土地で描かれ今もこの土地の教会にある『神秘の子羊祭壇画』(フーベルト&ヤン・ファン・エイク兄弟・1432年作)の作者達が生きた時代を彷彿とさせる空気が強く残っていると感じました。この街では時間を過ごす意味がある、と思いました。(パリも留学や遊学される方の多い街ですが、ゲントのような街とはまったく性格が異なります。確かにルーヴル美術館は素晴らしいし、オルセー美術館も素晴らしい。大勢の芸術家が世界中から集まってくる。でもパリは少なくとも私にとっては「その土地に根付いたもの」を求める場所ではありませんでした。)

 一般的には「え?なんですか、それは?」と言われると思いますが、ベルギーの古都『ゲント』とそこにある聖バーフ寺院の礼拝堂の祭壇画のひとつである『神秘の子羊祭壇画』は、西洋美術史を勉強したりアカデミックな技法を使ってリアリズムの油絵を描く人にとってはメッカのようなものだと思います。(もちろん人によって好みはありますが。)
作者のファン・エイク兄弟は油絵技法の完成者と位置づけられていて、『神秘の子羊祭壇画』は完全な油絵で描かれた最初にして最高峰の作品と言われているのです。ああ!こういうこと書いてるだけで、実際に見た時の印象を思い出してゾクゾクします!!

 さて、実際私がいつかゲントに長期滞在することはあるのか!?それは宝くじか何かが当たらない限り無いでしょうねぇ。(タメイキ)それよりも今は、目の前にあることをこなすので精一杯。だれか私にゲント長期滞在のためのお金を下さ〜い!!m(__)m無理ですねー。自分で稼ぎなさいって?うう.....。(T-T)
(でもゲントって「フラマン語(=オランダ語の方言)」圏なんだな、これが!ベルギーの言語圏についてはまた今度ね。)

2002年11月24日(日)

 年賀状を作る内職に追われております。季節ものだけに、遅れたら大変なことに...。今月中に一応完成させて、12月の1週目くらいで細かい直しをして完成!と行きたいものですが。って、人様の年賀状作ってるけど実は私、今年はおばあちゃんが亡くなったので喪中なんですよね。自分の喪中ハガキはもう作りました。こっちを先に送っておかないといけない。宛名書きせにゃあ〜。と、こんな具合なのでなかなか旅日記を書く時間がありません。早く記録しておかないと忘れる〜〜!!(/_;)ああ!

 さて、11年前の今日は、フレディー・マーキュリーが亡くなった日でした。"もしこの人が存命だったら..."と亡くなった人のことをよく言いますが、そういう風に考えるとネガティヴになる一方なので、ここはモーリス・ベジャール氏のように考えた方が良さそう。

『私は彼らがもっと歳をとってから亡くなっていたら!?とは言いたくありません。なぜなら物事が起きるのに、遅すぎたとか早すぎたとかいうことがあるとは思えないからです。物事は、あるがまま存在するものなのです。』

 ヨーロッパの古い町並みや何百年も前に制作された美術品・工芸品を見ると、「作者達はこうやって自分の仕事を黙々とこなすことで、一生を送っていたんだなぁ。。。」といつも思います。昔は今と違って外から入ってくる情報も楽しみも刺激も少なく、ほとんど顔見知りばかりの小さなサークルの中でみな淡々と生きて毎日を過ごしていたんだろうな。でも現代の私達よりもはるかに濃密な時間を生きていたんだろうな、と。その濃密な『時間』はストレートに作品や建築に現れていると思います。私はそこがすごく好きで尊敬すらしているのです。ヨーロッパの制作物には有名無名問わず作者(個人であっても団体であっても)の『存在』の気配が強烈にするところが、日本の建築や美術品・工芸品との性格の違いではないでしょうか。ルーヴルでエジプト文明・メソポタミア文明の彫刻や制作物なども見ましたが、性格的にやはり日本と似て匿名性が強いなぁ〜と思いました。時代が古いということも関係あるかもしれません。(昔は「個人」としての人の概念が一般的じゃなかったから。)

 あう〜。さてまた内職に戻りましょう。ヨーロッパから帰ってきて2連休があったのですが、その2日間で12時間ずつ寝てしまい、もうすっかり「あちら時間」(時差8時間)に戻ってしまいました。明日は徹夜で出勤かぁ〜。くぅぅぅ〜(ノ_<。)

2002年11月21日(木)

 『ただいま〜!!』

 17日の深夜にパリandベルギーから戻りました。
いや〜〜。何と言っていいか、今回ものすごく良い旅でした。充実度200パーセントでした。詳しくは追々『お出かけのツボ』にアップして行きたいと思っています。しばらくお待ち下さい。

 とりあえず、近々パリに行かれる方に報告。"今パリは大変治安が悪くなっている"という話は事実のようです。フランスに限らずヨーロッパの国々はヨーロッパ統合によって国と国の間の行き来が大変容易になり、その結果、大勢の外国人が大都市に流れ込み、その中には当然良からぬ人々も混じっている、という事態を起こしているようです。ヨーロッパ各国で外国人排斥運動が起こっていることも、恐らくこれと無関係ではないでしょう。最近パリに行った方の話を聞くと、必ずスリや置き引きの被害に遭いかけています。しかもいかにも悪そうな外国人ではなく、地元のフランス人と見える人までもがそういった犯罪をやっているそうです。(未遂に終わる場合が多いようですが。)

 私達が今回実際に遭いかけた具体的な被害の話をすると、まず夜の11時過ぎ頃、オペラを観た帰り人気の無いメトロの長い階段を降りていると、最上段からビニールでグルグル巻きにされた鉄骨のような重くて固い物体が落ちてきました。気がついて慌ててよけると、10代後半くらいの若いフランス人と思しき男女4〜5人がニヤニヤしながら上から見ていました。これも荒手の置き引き(鉄骨?が当たって転んだところに駆け寄り「大丈夫か?」と言いながらバッグなどを奪う。)の手口と思われます。
 それから、ルーヴル美術館の職員のおじさんが、『最近ユーゴスラヴィアからスリの一団がパリに入ったらしいから、メトロに乗る時など気を付けるようにね。彼らはクレジット・カードを盗んでそれを勝手に使うから。』と教えてくれました。(←日本人の女の子は恰好のカモだからでしょうね!しかし、「ユーゴスラヴィアから...」とか名指しされるとリアルですなぁ)なるほどおじさんの言った通りだったらしく、私達の滞在中パリの街中やメトロでは、大勢のポリスが出て絶えずパトロールし警戒していました。私は気がつきませんでしたが、同行したやっさんはメトロの連絡通路でひったくりに遭った女の子(ヨーロッパの人だったみたい)を見たそうです。

 でも『鉄骨事件』を除けば怖いことは何も無かったな〜。メトロも地元の人みたいにダダダーっと猛スピードで歩いて(パリの人は歩くのが速い!一瞬でも怯むともう弾き出されてしまう〜!大阪のウメ地下以上かも!エエ勝負するでしょう。)、流れに乗っていれば大丈夫やったし。でもまあ、一歩ホテルから出ると絶えず緊張してたというのも、事実ですけどねー。

 そんなこんなで。今日は良くない情報しか書けませんでしたが、もう、もう!本当に素晴らしく良い旅だったんですよ!!!そういう良い話、面白い話、笑えるマヌケな話を書いていきますので、これからの

『おでかけのツボ』をどうぞお楽しみに〜!!

2002年11月3日(日)

 『しばらく留守にいたします。』

 さて、遂に本年最後にして最大のメイン・エベントがやってまいりました。島根県は玉造温泉から帰ったところですが、またすぐ旅に出ます。今度はヨーロッパ。
 パリ→ブルージュ(ベルギー)→ゲント(ベルギー)→ブリュッセル(ベルギー)→パリ→香港(トランジット)、と15日かけて移動して行きます。パリではもちろん「ルーヴル美術館」と「オルセー美術館」。ブルージュでは「メムリンク美術館」と開いてたら「グロエニング美術館」。ゲントでは聖バーフ寺院のファン・アイク兄弟作「神秘の子羊祭壇画」と「ゲント市現代美術館(SMAK)」。ブリュッセルでは「王立古典美術館」。をそれぞれ見ることを目標にしています。他に、パリではオペラとコメディー・フランセーズの舞台鑑賞、下町の定食屋めぐり。ブリュッセルでのチョコレートお買い物大会。などなど...盛りだくさんな内容が待ちかまえています!!帰ったらまた『お出かけのツボ』にて詳細を報告いたします。

 世界中でテロや不穏な出来事が続発している昨今。海外に出かけるのもちょっと勇気が要るようになってしまいました。「外国旅行に行く」と言うと必ず「テロに気を付けて。」「拉致されないようにね。」(←これは今言ってはいけない冗談かも。普段この話題に触れようとする人は本当に少ない。今まさに進行中で刻々変化している事柄だからでしょうね。)と言われます。でもどちらも気の付けようが無いということで、今まで通り「スリ」と「置き引き」に注意するくらいしか、ねぇ。周りの人影に気を付けつつ楽しむという、至難の業を15日間続けねばなりません。けっこう大変。でも歩いてる人のほとんどは善良な市民で、その土地で普通に暮らしているということは、「ちょっと気を付けさえすればそんなに危ないことは無いよ」ということでもあるし。まあ、飛行機が爆破又は事故で墜落しない限り、無事帰って来られるのではないかと。

 それでは、ちょっと留守にします。行ってきます!!


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