2003年4月6日〜2003年7月20日までのつれづれ。
naisyoku いわゆる「日記」とか「感想文」のようなものです。
毎日は書きません。書くことがある時だけ書きます。
(2002年11月3日〜2003年3月29日までのつれづれのページです。)


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2003年7月20日(日)

 「一日に何度も、変な時間に...」

 最近は個人のHPでも「ログ情報(いつ誰がどこのページを見て帰って行ったか、など。)」を入手出来るようになってるみたいで、「それって私の行いも見られてるわけかー。」と。「あ。こいつ、黙ってるけどこんなにしょっちゅう見に来てる。しかもこんな時間に。コワ〜。」とか(¨;)思われていたりするんかな〜。う〜む。一日に何度も同じページを見に行くこと、あります。私が暇な時とか寂しい時にたまにやってる。更新してあるのを見て人の気配を感じたくなるというか。しかもものすごく変な時間(朝の3時とか、4時とか!)にただグルグルと回ってることもある...。私にはその気になれば、ストーカーになる素質が十分あるなぁ、と思います。そういう時(同じページを何度も見たり、変な時間に見たり)は大体、精神状態が悪いわけですけど。でも(^◇^;)私、今のところいわゆるストーカー行為はやったことありません。する理由も無いし。ご安心下さい。
 では、この場を借りて自分から言っておこう。
 私、非常識な時間によくネットしてます。ほんで、暇な時は何度も同じページ見ることあるよ。でも見てるだけで悪いことしないから大丈夫よ。怖がらないでね。

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※この先は映画「マトリックス」に興味の無い人は読まない方が良いですよ〜。アホらしいだけですのでね!

 「『マトリックス リローデッド』を見てきました!」

 昨日は予定通り、映画『マトリックス リローデッド』を見てきました。見に行った人の感想をさっぱり聞かなかったのと、「話が理解できなかった」という噂を聞いたのとで、大変不安でしたが...。いつものごとく、みかちゃん、ともみちゃん、私の3人組で見ました。見終わった後喫茶店でお茶を飲みながら、「結局あれはどういうことになってたん!?」と話し合ってみたら...。ネオ(=キアヌ・リーブス)が「マトリックス」を作ったとされる男の指し示すふたつの扉のうち、どっちを選んだか?で、私が勘違いしていたことが判明。でもまあそれはいいとして、結局、「マトリックスから逃れマトリックスに反旗を翻す人間」が出てくることそのものも、「予言者」も「マトリックスの制御のきかないいくつものプログラム」の存在も、あらかじめマトリックスに組み込まれたプログラムであることが、今回の「リローデッド」の最後に判明。実は今までにマトリックスは5度作られ5度破壊され、それぞれのマトリックスにもネオやザイオンが存在し、破壊と滅亡を繰り返してきたのだ、と。

 (×_×;)え〜〜〜〜〜!?それって、どういうことぉ???

 ほな、今まで見てきた映画の中で語られてきたことは、全部マトリックスの支配の範ちゅうで、ネオが救世主とかなんとか言ってるけど、それもマトリックスを作った男(=コンピューター?)によって「はい、6つ目のマトリックスはここまで!」と破壊されて終わるのか?それに、バーチャルのはずのエージェント・スミスがホバークラフトの乗組員(=リアル世界の人間)のひとりにマトリックス(=バーチャル世界)の中で乗り移り、その乗組員がザイオン(=リアル世界)に戻ってきても「エージェント・スミスに乗っ取られた人間」であり続けるのはどうして!?それに、ネオが地底(=リアル世界)でタコおばけ(=タコみたいな爆弾)を例の「手かざし」で破壊できたのは何故!?あの技が使えるということは、地底もリアルではなく、マトリックスの中のプログラム=バーチャルに過ぎないということ???14分間のカーチェイスは凄かったけど、その14分間、話が進まずに止まってたことを思うと釈然とせん気もするし、何度かあったネオ対敵のカンフー場面も長かったし、明らかにCGで作ったネオが闘っている場面もたくさんあった。「ではまた来週、この時間をお楽しみに!」的終わり方もすっきりせんかった...。ああ!1作目のあの目まぐるしい展開と、創意にあふれた特撮の数々、そして圧倒的な叙事的物語性はどこへ!?これで年末まで待てというのか〜!?ああ、納得できん!なぜ映画を見た人達の感想を聞かなかったのか、わかりました〜。話がね、分かりにくい!分かりにくさが「どうして?どうして?」という期待感に変わり、映画に引きつけられるならいいけど、今回のこの分かりにくさはそうではなく、ただ「分かりにくいだけ」のマイナスの分かりにくさ。3作目を見たら納得が行くようになってるのかどうか...怪しい。それにしても、1本1本の映画としてもきちんと見られるようにしてもらわないとね。ストーリーに直接結びついてない視覚効果とかアクションについては「凄かったよ!」くらいしか言えないわ。アクションの最中にも、話は進めないと意味が無い。

 1作目の終盤。マトリックス(=仮想世界)の中で撃ち殺されたネオが、「バーチャル(仮想)をバーチャル(仮想)として認識しうる精神力」を持つに至り、それまで「現実」と信じていた「世界(=マトリックス)」から解き放たれ、息を吹き返し立ち上がる瞬間は、素晴らしく良かったなぁ...。(ネオが初めて「手かざし」で弾丸を止める場面!!!!!)あの場面があったからこそ、私は「マトリックス」をスゴイ!!ただの特撮娯楽大作ではない!と思ったし、最後まで見届けようと決めたのでした。そういう凄さが今回の「リローデッド」には無かったな。ネオはもう、すっかり完成されたスーパーマンになってしまった。新たな発見も、自分との闘いも、もう彼には必要無いようだ...。3作目「レボリューションズ」はどうなるんかなぁ...。(・_・、)
 ああ、もういいや!マトリックスは...。次は「パイレーツ・オブ・カリビアン」。ジョニー・デップ!!彼に期待しよう。

2003年7月13日(日)

riedler
 昨日は兵庫県立美術館で「クリムト展」を見て、その後映画「ロスト・イン・ラ・マンチャ」を見ました。映画については「映画のツボ」をご覧下さい。ということで、本日の更新情報は

・「つれづれのツボ」(ココ)
・「映画のツボ」の中の「ロスト・イン・ラ・マンチャ」

以上の2本でございます。
では、クリムト展行ってみましょう!

 「クリムト展に行ってきました!」
(「フリッツア・リートラーの肖像」1906年グスタフ・クリムト→)

 クリムトの絵を初めて間近で見たのは20年前。旅行中のブリュッセルで偶然、小規模なクリムト展が開かれていました。その時は「こんなとこで見られてラッキー!」と思っただけでしたが、その後日本にまとまって作品が来ることも無く、思えば本当に運が良かったんですね私。今回マジマジとクリムトの絵を見て、印象派の影響をすごく受けていることに気付いてまず驚き、一緒に展示されていた同時代のウィーンの画家の作品が、まだそれまでのドロドロとした色と権力の時代をひきずっているのに、クリムトはそこから軽々と抜け出しており、その革新的な感覚に改めて驚いてしまいました。美術史に名を残す作家というのは、必ずその作品の中にその人が生きた時代の刻印がはっきりと見て取れるものなのですが、クリムトも正にそう!まず細かい筆致で色んな色をキャンバスに乗せて描くのは、印象派の影響。大胆な平面的画面構成と装飾表現は、当時流行していた日本趣味(いわゆるジャポニズムというもの)。モデルが着ている服や座っているイスは、当時ウィーンの最先端を行くデザイン。描かれている女性は誰に媚びることなく、燐として顔を上げ、何かの象徴ではなく、「個」としての人間性をはっきり主張している。表面的にはこのように言い表すことが出来ますが、こういう外的な事実を「精神」として自分の中に取り込み、心底共感したからこそ、クリムトはその時代を自分のものとして呼吸し、作品化することが出来たのです。どんな時代にあっても、共感するにせよ反発するにせよ、「時代の精神」を敏感に嗅ぎ取り、それをまるごと作品化できた人の作品だけが、後世に残って行くのでした。深い。でも、個人としての自分の生きた時代との葛藤はクリムト作品には稀薄。そういう面で、私はクリムトに対しては共感は薄いな。しかし、新しい発見もあったし、小規模ながら大変興味深い展覧会でした!チケットを無理矢理ぶん取ったT屋部長!ありがとうございました〜!!

 「その後の野の花シリーズ」

 とりあえず装丁用の野の花などのシリーズを4枚描いて、現在小休止中。今週は展覧会と映画で1日潰れたので、自分の絵までは手が回りませんでした。次の休みは今さら「マトリックス リローデッド」を見に行くので、また1日潰れてしまう。でもまあ20・21日が連休だから、その辺から自分の絵にかかろうかなー。という感じですね。「遊べないぜ〜」とか言いつつ、けっこう遊んでるやん!そうこうしてるうちに、梅雨も明けるのでしょうねえ。(マトリックスの次はもちろんジョニー・デップを見るために「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見ないと!そして塚本晋也の「六月の蛇」という恐ろしそうな映画も見たい。予告編がすごく良かったので。)

 「人の話を聞くこと」=「存在を認めること」。

 長崎の幼児殺害事件。犯人が中学生でしたね。犯人が少年である時いつも思うのですが、「生まれてから今犯罪を起こすまでに、家族はこの子の話をちゃんと聞いてあげてきたのかなー。」と。「話を聞く」っていうのは、べつに重大な告白を聞くわけではなく、日頃の会話で「うるさい!」とか「モタモタせずにもっとちゃんとしゃべりなさい!」とか「つまらない話で時間を取らせないで!」とか、この子の話を遮る(=結果的にこの子の話を聞くことを拒否する)ようなことをしてきたんじゃないのー?と。私は要らぬ心配をするワケです。「話を聞いてくれる」=「存在を認めてくれる」ということだと私は思っているので、大きいにせよ小さいにせよ、犯罪を犯す子は、一番身近な家族から、その存在をちゃんと受け止めて貰ってないんじゃないかと思うのです。自分が認められてないのに、人の存在なんか認めて親身にはなれないですよね?いたずらされた子がどう傷つくか、もし殺せば家族がどんなに悲しむか、そんなこと、現実のこととして想像できない。やった後のことが現実的に思い描けない。これ、子供だけじゃない。大人もそう。誰も人の話にゆっくりと耳を傾けようとしないから、大人だって自分の存在を誰にも認めてもらえずに、傷ついている。人の話にはすぐ対抗して意見を述べ、相手の言葉を封じ込めることで勝ったような気になる。「勝ったような気」!?そんな気になることに、一体どれほどの意味があるというんですか?
 日々、不特定多数の大人と接していると、「簡単に怒る人がホントに多くなったなー。」と改めて思う。「今後は心の教育に力を入れて...」教育関係者はいつも言うけど、人の話を聞けない大人が日々吹き出し続けている嫌な時代の空気にさらされ、家でも話を聞いて貰えない子供に、どうやって「自分の存在感」を持ってもらうことが出来るのか。まず、大人が人の話を聞く努力をすることから始めた方が良いんじゃないんですか?これは子供の問題じゃないよ。と思うのですが。この間の新聞に、今の時代の空気を「自分以外はみんなバカ」と表現していた人があったけど、この言葉は「自分以外を認められない私=誰からも認められていない私」を表していると思うのですが。私間違ってるですかねぇ。

2003年7月3日(木)

 本日は大阪のお仕事が無かったので、来るべき装丁に備えて家でツユクサの絵をガッシュ(水彩絵の具)で描いていました。このようにあと何種類か草花や葉っぱや木の実を描いて、それを表紙や中のイラストに使おうと計画中。使用する絵はすべて自前ですぞ。どっかから借りたり写真で済ませたりしないんだぞ!こだわってるぞ!絶対良いもん作るんだぞ!どーだい!!
 私の場合、「草花ベスト3」はツユクサ・オオイヌノフグリ・ホトケノザと昔から決まっているけど、ホトケノザは季節はずれなので、ピンチヒッターの起用を検討中。カラスノエンドウはどうかしらんね?
 この「野の植物・案」と、もうひとつ、私の油彩大作「ふたつの泉」を大胆にもフューチャーした「ふたつの泉・案」と、2本立てで「本」の内容に対抗いたします。勝負です。(見てますよね、著者?)

 『自分を卑下すること。』と『人をおとしめること。』
 いきなりですけど。自分では「私って大したこと無いなー。それに比べてこの人はすごいなー。」と、自分がまだまだやるべきことをきちんとやれてないし、きちんとやってるつもりでも、どこかで思慮が足りないとか視野が狭いとか、コンクールにも落ちまくって自信無くしそう、そういうことを軽く言ってるつもりでも、それを聞いた「この人」本人は、「じゃあ、アナタのやってることを認めている私まで否定するわけ!?ちょっと待ってくれよ!いい加減にしろよ!!」と怒るし、私自身が見たり感じたりした事実をもとにせず、気安く世間的な単なるイメージでもって相手を「アナタはすごい!」と褒めてしまったら、やはり「私の何を見てるのだー!そんな表面的なことで人を評価する人間だったのか、キミは〜!!」と、またまた怒らせてしまう。このふたつは両方とも、私が自分自身のことも人のことも、「ありのままの姿を見、冷静に判断し、評価する」ことができないことに起因している。日常のどんなことでも、賞を取った、良い学校を出ている、露出が多い、そういう「外見のイメージ」に非常に惑わされる。実際には、「なんでこの人が入選?」「なんでこんなものがよく売れる?」(逆に「なぜこの人は評価されないんやろう?」など)と、素直に感じているけれど、そういった自分の感覚に自信が持てないので、「でも賞を取ったんやからいいんやろう。」「良いものやから売れてるんやろう。」「評価されないのはどこかにダメな部分があるに違いない。」と、思おうとする。私の考えなんかちっぽけで何の価値も無いし、私の感じ方なんか誰も知りたいとは思ってないから、もし世間と自分が食い違ってたら、その場合は世間の考え方の方が正しいのだろう、と思うようにしてきた。これは子供の頃からのクセ。自分を守る(世の中と遊離しないための)手段だったのかもね。でも、私の友人達はそれでは納得しない。それぞれ、自分の作ったものを世に問うている人達なので、在りもしない「世間」なんか、相手にしてない。もっと現実の世界に生きて、冷静に人も自分も自分の作品も見ている。私も描いた絵を世に問うている人間であれば、自分と自分のやってることと自分の感覚にもっと自信を持たないといけない。在りもしない幻想の「世間」ではなく、現実に生きなければならない。それはよく解っているけど...。元気な時はいいけど、弱ってくるとまったく自分に自信が持てなくなってくる。在りもしない幻想に惑わされてしまう。でも本当は、自信を無くして自分の思いを誤魔化す方が、人に対しても自分に対しても不誠実で傲慢なのだということも知っている...
 『自分を卑下すること。』が『人をおとしめること。』にもなる、ということ。『自分が人に影響を与える』ということ。『人と真剣に向き合う』こと。『簡単に揺らいでしまう弱い自分を支える』こと。自覚しなければ。みんなゴメン。

 ...と。こんな風に堂々巡りのパーになった原因は自分で知ってるんです。最近時間が無くて、やるべきことが出来てなかったんです。でも草花の絵シリーズに取りかかったし、例の「水蓮」(ちくしょ〜!(O.;))にも手を入れる準備が出来たし、これから休みの日は自分の仕事にかかります。余計なことをグチグチ考える前に、飛べ!ってことです。だからみんな。悪いけど、しばらくじぇいちゃんとは遊べないぜ!ベイベ〜!!(~ー~)ノ~

※今の私には『旅立ち』(広い意味での)が必要なのよ!!ということで、本日の「つれづれ」は松山千春(*‥*)のデビュー・アルバム『君のために作った歌』(1977年発表)を聴きながらお送りいたしました。『旅立ち』はこのアルバムにも収録されている松山千春のデビュー曲です。いやもう。当時はちーさまに狂ってました。中3の読書感想文は『足寄より』(=千春の半生記)でしたもんね!(あイタタ!!)

2003年6月30日(月)

 昨日はやっさんと二人で大学の先輩Y本さんの個展に行って参りました。私が大学時代から直接的に存じ上げている『本物の画家』(=描いた絵を販売することで生計をたてている人。)お二人のうちのおひとりであります。(もうひとりは同期の太君。)Y本さんは恐ろしいくらいに達者な描写力を持っています。その高い技術でイタリアの田舎町や街角などの風景、薔薇などの花、室内を油彩で描き、リトグラフ(=版画の一種)の制作もされています。作品を見た人は必ず「うわ〜!写真みたい!!」と感嘆の声をあげるでしょう。案内の葉書に載っていた、木漏れ日がさんさんと降り注いでいる並木道の絵が、やはり一番良かったです。今回は旧作が多かったので、次は新しい作品をたくさん見せて欲しいなぁ。

 この方は私よりも3つ上の学年に当たり、在学中からお顔も名前も作品も知っていて、油絵専攻の学生の間では常に作品が注目される存在でした。
(もんのすごく少人数の学校だったので、自分と同じ専攻であれば、1年生から大学院生まで全員顔と名前と作品が一致していた。そして3ヶ月に一度「合評会」という作品批評会があり、各学年の部屋で順に一人ずつ作品を出して、教授の批評を受ける。各教室のドアには希望の合評順を書き込む紙が貼ってあり、作品を見たい人の順番が来ると、自分の部屋を抜け出して来た他学年の学生も集まって来て、そのオーディエンスの数の多さが注目度のバロメーターだった。)
でも、当時先輩達に遠慮無くスリスリすり寄って行っていた私をもってしても、あまりにも大人しかったY本さん!近寄るすきも無く、一言も話したことがありませんでした。大昔に東京で偶然すれ違った時にも、「ひょっとして、この人は私のことを知らないのでは!?」と思い、怪訝な顔でお互い挨拶もせずに目を見合わせつつすれ違ったという妙なことも。(後日「あの時ボクも気が付いてましたよ。」という事実が判明。ナント12年の月日が流れていました!)あれから十数年。ひょんなことから私の個展を見に来ていただいて、それ以降Y本さんからも案内をいただくようになり、私がY本さんの個展にでかけると馴れ馴れしく(一方的に)アホ話をして帰るようになっております。今でもとて〜もとて〜〜も大人しいY本さん。やっさんと私のしょうもない質問&写真撮影攻撃にへきえきしながらも、誠実に色々お話してくれました。どうやら取材のために画廊から資金を提供されて(うお!さすがは画家!!)、近々北海道に取材旅行にしぶしぶ出かけなければならならないY本さん(私はもちろん、釧路湿原をお勧めしましたよ。)、ずっとそのままで生きて行って下さい!!あなたのそのポヨヨ〜ンとしたキャラクターは、他の誰の追随も許さない貴重さなのですから!

 Y本さんの個展を見た後は京都へ足を伸ばし、美味しい親子丼と抹茶パフェを食べて、ホクホクと帰ってきました。天気もバツグンに良かったし。ああ!ホントに良い一日でした!!Y本さんもありがとう!来年また、私の個展でお会いしましょう!!

2003年6月19日(木)

『正体不明物体!!』

 時々油断してると、「この人、画家なんですよー。」と一緒にいる人に紹介されてしまうことがある。そういう場合、私はつい『いえいえ。画家じゃないですよ。勝手に描いてるだけですから!!』と、必死こいて否定してしまう。言った後で「何言うてんねん!?」と自分で思う。相手は多分話し半分に聞いてるだけやろうし、本気で否定するのも何か変。でも、どう考えても私は『画家』(=描いた絵が売れる人。)じゃないしなぁ。うまい説明の仕方は無いもんかなー、と。説明するのが面倒なので、絵を描いていることはたいがい黙っている。自分から人に言うことは無い。でも、趣味やお楽しみで描いているわけじゃないから、「そうですか。良い趣味をお持ちですねぇ。私の姉も絵を描くんですよー。」とか返されると、(「えっと。そういうのとは、ちょっと違うんですけどねー。」と心の片隅で思いつつ)「ああ、そうですかー。良いですよねー。」と曖昧な笑みを浮かべて相づちを打つしか無い。何かウソついてるようで、いい加減な答え方してるようで、居心地が悪いけどねぇ。でも「私の絵は趣味じゃないんですよ。」と言うのは変にキバっててバカみたい。そんなこと、人にとってはどうでもいいことで、言われた人も「趣味じゃない絵って、何それ???」と、より一層話がややこしくなる。こういう時に団体展に出していると、『○○展に毎年出品してるんですよ。』とか言えるのにねぇ。「○○展」を相手が知ってようといまいと、『日展じゃないけど、まあ、日展みたいな団体ですわ。』と言っておけば、恐らく深ーく頷いて「そうですか。本格的なんですねぇ!」と納得していただけることでしょうに。(何が「本格的」かというと...。まあいい加減なもんですね。ホント言うと、団体展は嫌いだよーん!)

 昨日も自己紹介をする場面が突然やってきて、はた?と困った。「えっと、受付事務の仕事を週に3日。コンピューターの画像処理の仕事を週に2日。本や雑誌の装丁とレイアウトも時々します。たまにイラストを描きます。」と、ここまでで綺麗にまとめよう(これでも十分ややこしいが)とすると、ツッコミが入って、『絵ぇ描いてはるねん。この人ホントは画家さんなんですわ!』と言われてあえなく撃沈。自分でも自己紹介してて「はぁ!?」という感じ。まあ、うまい説明の仕方を会得するまで、又は、自分から言わずとも「先生!」と認知されるようになる(永久にならないな)までは、少なくとも絵を描いてることは黙ってる方が無難だわ。ほんで、たま〜に知り合いに「画家」とか紹介されて、何かおかしいと思いつつ、「ちゃいます!ちゃいます!」と首をブンブン振り続けるのだ。私は一体何者か!?(哲学的な意味ではなく、世間的に見て。)正体不明!!

2003年6月7日(土)

 いつの間にか6月になってました。

 本日は装丁を依頼された難しい本(N先生。私には難しいですわ!でも頑張る!)の原稿をざっと見てから、広島の都ちゃんの個人詩誌「if」の版下見本を作りました。私ってよく働いてる...。明日も日曜出勤。今年はホントに仕事年です。絵の方にかけるエネルギーが無い!無さ過ぎる!!どっかで労働をバタッと区切ってやらにゃあ、この調子で行くとひどいことになりそう。「忙しいのも4年くらい続けば慣れるって!」とさゆりちゃん(じゃなかった。キミは「あほ匠(アホタク)」ふふ...)は言ったが、4年もかかったら困る!「今そこにある仕事」をカツカツとこなして行くうちに、自分が一体何をやりたかったのか解らなくなるのがコワイ。ってなこと言ってるけど、もっと若かった頃(今も若いが...)に漠然と考えていた「ずっと絵を描いていたいなー」「デザインやりたいなー」「本も作りたいなー」「何かものを作ることでお金もらいたいなー」という希望は結局のところ、規模は小さいながらも全部叶っているのだから、これ以上望むことなど無いわさ。思い通りの人生を歩むことが出来る人は、本当に少ないと思う。それを人に恵まれて実現させていただける私はものすごく幸運なのだった。(人並みにお金稼ぎたいなー、という近年切実な願望も、最近叶いそうになってきたので、現在言うこと無し!)

 そういう意味で、最近すごく嬉しいニュースが飛び込んできた。大学同期のK出さんが「ユウキ」(福音館書店 ISBN 4-8340-0629-8 6/25発売)という絵本で挿し絵画家としてメジャー・デビューが決定!!よくぞやりました。学生時代から絵の上手い人(一応美大だから絵が下手なワケないけど)でしたが、会社勤め(きっと会社でも頑張っていただろうけど)を経て「やっとK出さんの本領を発揮できる世界に入ったか!」という感じ。これから先どんどん良い作品を発表していただきたい。願望が叶うということは、それが自分のことでなくても大変嬉しい、ワクワクする出来事です。ホントに良かった!!
も〜、みんなそれぞれにやりたいことをちゃんと持って、諦めずにずっと続けてる。そしてゆっくりではあるけど、着実に活躍の場を広げてる。続けることは何にも増して大事。才能があるとか無いとかよく言うけど、「才能がある、無い」は結局「続けられるか、続けられないか」ということだと思う。いわゆる「能力」はあっても、途中で止めたらそれで終わるもんね。みんなエライぞ〜!こんなにエライ人が知り合いや友達にいっぱいいるから、私もおいそれとは止められないのであった...。ん〜。私はそれ以前の世界か?まだ何も始まっていない!?くぅ〜(ノ_<。)

2003年5月29日(木)

 最初にお詫びを。
昨日ご紹介しました福島敦子さんが作品を発表されている詩誌の名前が、一部間違っていました。すでに訂正しましたが、福島さん本当にごめんなさい。これらの詩誌に関係している皆様もごめんなさい。以後気を付けます。m(__)m

 今日は家で仕事してたのですが、材料が届く待ち時間に、久しぶりに『映画のツボ』の原稿を書きました。見たい映画は何本かあるけれど、なかなか行く時間が無い。仕事の帰りに見ると帰りが遅くなるし。今回書いた「SWEET SIXTEEN」は前売り券を買ったので見ることができました。必ず見るには前売りを買うというのがポイントかもね。でもそもそも前売りを買いに行く時間が無い。前売りは上映館で買うとオマケが付いてたりするから、チケットぴあでは買いたくないし。そんなこと言ってるから、どんどん映画を見られなくなっていくのでした。あう〜。映画館の前に住みたい...(--;)
では更新情報。

 ・『映画のツボ』の中の『SWEET SIXTEEN』 以上です。

 どうやら明日以降台風が接近して来るようで、お出かけになる皆さんはお気をつけて。私も明日は帰りが夜9時を過ぎるので、電車に止まられたりしたら困るなー。事故も多いしね。
では本日この辺でさようなら!

2003年5月28日(水)

 今日はまず最初に、私のお友達で詩人の福島敦子さんのHPをご紹介。
『永遠狂い』というページです。福島さんの詩を読むことが出来ます。 福島さんは、これまでに何冊か詩集を出しておられまして、「詩学」「詩と思想」「ミッドナイトプレス」他多数の詩誌にて作品発表をされています。私は福島さんの詩集「草の便り」と、同じく私のお友達で詩人の丹田亮子さんと福島さんのふたり詩誌「Konoya(こうのや)」(創刊号〜6号)、「Konoya(こうのや)」(7号〜)の装丁とレイアウトをさせていただいております。詩に興味のある方、是非お立ち寄り下さい。詩集・詩誌は販売もされていますので、ご希望の方は福島さんのHPからメールでお問い合わせ下さい。(決してお高くはございません!)
 「Jのツボ」は福島さんの『永遠狂い』にリンクしていただいておりますが、現在「Jのツボ」にはリンク集がありませんので、とりあえず「つれづれ」にてご紹介させていただきました。「リンクのツボ」は、リンクしていただける先がある程度集まったら立ち上げますので、しばしお待ちを!


 「黙って隠密行動してればこんなこと報告せずに済むのにねぇ...」
って、私のことですよ。
今月の前半必死こいて描いて搬入した、自ら認める「変な絵」が思った通り、落選しました。「やっぱりね〜」と思ったので、ショックはありません。競争率も高めのコンクールなので、確率的にも厳しいことはわかっていたし。何よりも作品がおかしかったので、納得です。もうすでに、絵が戻ってきたら直す箇所を考えています。部分的には良いところもあるので、あれをあのまま捨て置くのはもったいない。ゆっくりと時間をかけて手直しして、見違えるような『美人』に変身!させてやりましょう。そして個展でお披露目いたします。
 それから、そろそろ次のネタを求めて取材に行かないとなー。今回の「変な絵」も、モチーフに対する共感が低かったことがそもそもの問題。『これや!これこれ!!』と心底思ったモチーフなら、まず作品は良いものになる。(すごい自信でしょう?でも本当なんだからしょうがない。)今の候補は、うちの庭の「びわとその実」。青い実がたくさんなってます。この木、私が種から植えたのです。それと、某島の某地。暑くなる前に行けるかしらん?とにかくクヨクヨしても無駄なので、焦らず落ち着いて次へ次へ!


 「本日のトピックス」
 今日は大阪のいなか・どっと・コムさんに仕事しに行きました。取締役(つまりは友人のひかるちゃん)から、「どれい」をいただきました。はいっ!そこのあなた!今あなた『えっ!?奴隷!?』と思いましたね?ふっ。残念でしたー。クジラの形をした『土鈴(どれい)』ですよ。でもこの名前、突然聞いたらギョッとしますよね。「わけぎ」みたいなもんかな。でも、お誕生日ってほんっとに良いもんですね!
 この他、誕生日ということではないけど、ただ今、平沢進というマニアックなアーティストに普通じゃないくらいに狂っている、自称『あほ』のさゆりちゃんから、平沢進の「さゆり・セレクションMD」速達で届きました。気合い入ってます。コワイくらいに。今彼女は外でも「平沢」家でも「平沢」風呂の中でも「平沢」なのだそうです。ライヴも2日続けて行ったそうです。そしてその大波が私のところにも...。実は彼女には10年ほど前にも「平沢漬け」の時期があって、その時も私はさゆりちゃんにCDをダビングしてもらい、かなり気に入ってました。それからまあ、私はなんとなく聴かなくなって、でも彼女には、何を今さら!私の『今さら!?QUEEN!!』のような『今さら!?平沢!!』状態が発現しているのです。(「類は友を呼ぶ」とはこのことか。)
でね。MD聴きました。
「ええわ〜〜〜!!(*‥*)」
かつて聴いていた頃も良かったけど、新作はもっと良いかも!これはヤバイ。私もビョーキが伝染りそう。ああ!また私を忙しくさせてくれるモノが現れてしまった!明日から、昔の平沢進のテープをMDに焼き直す作業が待っている...。(ああ!ええトシこいて、我らどあほう!!)

2003年5月22日(木)

 『お誕生日おめでとう!』『ありがとう!!』

 と、1人芝居をしてみました。また歳を取ってしまいました。でも事務所の人からプレゼントもらえるし、いいねんもーん。お誕生日記念宝くじもナント50枚購入!(¥100くじだから、50枚買っても¥5,000なのだ。)去年は20枚買って6千円近く当たったので、それに味を占めて今年も買ってみました。あ、「当たり」と言えば、この間 『ねこのたまご』(←松竹屋HPで毎月プレゼントがあります。Flash使いまくりなんで、イラチの人はアクセスしない方がいいよ。)の15個セットが当たりました。(当選者のところに名前出てます(^◇^;))『ねこのたまご』とは、北海道・釧路市にある松竹屋というお菓子屋さんが製造している、雪見大福に似たお菓子で、ぎゅうひの中が色んなフレーバーの生クリーム(いちご、チーズ、南京、ラムレーズン、コーン、メロンetc. 20種類以上)になっています。冷凍なので、食べる前に冷凍庫から出して10分ほど置くと、柔らかくなり食べ頃になります。一昨年釧路湿原の取材に行った時に初めて食べました。雪見大福よりもこってりしてて中味も色々あって、美味しくて楽しい。生ものの冷凍なので、北海道の中でも売ってる場所は限られていて、通販で買うと送料が高いしなかなか買えないのです。当たってラッキー!(こうして細かく運を使い果たしていくのが私のパターン(T.T))

 『山下雅己 個展』 ★★★★★(五つ★満点)

 昨日は私が大学受験時代に通っていた絵の研究所の後輩『やましたくん』(←山下くんのHPへ。)の『Oギャラリーeyes』(大阪・西天満)(←OギャラリーeyesのHPへ。)での個展を見てきました。感想は、ですね...
「ああ!久しぶりにええもん見せてもろた〜!\(^-^)/」です。
今彼が選んだモチーフなら、何を描いても恐らく良い絵になるでしょう。1点1点の絵が良いとか悪いとかではなく、『絵を描く時の視線』(自分がなぜそのモチーフを選び、モチーフを介して何をどう描こうとしているのか。)にまったくブレが無いので、思わず『今のあなたは素晴らしい!』と叫びたくなりました。彼の絵画人生のエポック・メイキングの始まりの個展です。まったくお見事です。次の個展を早く見たい。今回の個展は5月24日(土)までです。まだ行ってない人は急いで行くのだ!(詳細は↑上の「Oギャラリーeyes」HPを見てね。)

 絵でも何でも、表現にとって一番重要なのは、自分にとっての譲れない「大切な何か」をいかに「言い切る」か、だと思う。「大切な何か」(これは「自分では変えたくても変えられない、耐えられない何か」の場合もある。必ずしも自身が肯定的になれるとは限らないところが難しい。自分では認めたくない部分が、その人の核心である場合もあるから。)は人によって全く異なるし、その個々の内容については当然、見る人によって好き嫌いが別れる。でも、「優れた作品」が優れた作品である所以は、好き嫌いを越えた部分に存在していて、そういう作品に出会った時に真っ先に人の胸を打つのはこの、「譲れない何かを恐れずに言い切っている!」ことへの感動だと思う。誰だって、自分の大切なことを人前に晒すのはとても勇気が要る。大切であるが故に、人から「そんなもん、つまらん」と否定された時のショックは大きい。自分は間違っているのか!?と自問してしまうし、もうやる気が無くなってしまうかもしれない。そこで考えてみよう。自分は本当にギリギリまで自分の描くべきことを描けたのか?まだまだ逃げや照れがあったんじゃないのか?いや、自分は今できることはやりきった。ならば、人が本気で表現していることをそんな風に簡単に否定できる、作品を見てその人が本気か本気じゃないかも判断出来ないような人の言うことを、受け入れなければならない義務なんか無い。そして、やるべきことはひとつ。本当に大事なもの。拭っても拭っても、自分にまとわりついて離れないものは何か?さらにさらに自分に問いかけてみる。答えはそこから出て来る。そしてまた恐れずに何度も表現してみる。誰か他の人がやってくれそうなことは他の人に任せて、自分は自分にしか無いものを、自分の好きな方法で表現するだけ。
自分が本気なら、それでOK!!他に何が要る!?何も要らない。そうでしょう?

(この件について文句ある奴は出て来い!ワシが勝負したる。
 お誕生日なんだもん、手加減してねん(э。э)bうふっ♪)

※でも...自分では本気出して最高の作品が描けても、その作品が世の中で評価されるとか、お金になるとかいうことには、「時代」や「環境」や「運」がかかわってくるので、そこのところはお忘れ無く。

2003年5月14日(水)

 『誤字タイトルの次は、発熱&お腹急降下(+。+)』

 まったくよー。絵が終わったと思ったら途端に熱が出てお腹急降下(T.T)完全に『油断』したんですね。なんて解りやすい。今日はまだ半降下状態で、大阪まで35分間無事に電車に乗っている自信が無かったので、仕事のネタをメールで送ってもらって家で仕事してました。そして今さっき、美しく絵を梱包。私、梱包のバイトできると思うわ〜。ええ仕事しまっせ!!

 そんなワケで、『絵が終わったらあれ買いに行って、あの映画見て...』と思っていたのに、こう体調悪い日々が続くとやる気が失せてしまいそう(/_;)おまけに天気も悪い。早くスキッと晴れんかなぁ。ああでもそうこう言ってるうちに、梅雨に入ったりするな。あ〜あ。でもいいの。今年はこういう、忙しくて何かにつけギリギリで動く年になると始めから解っていたもんね。とにかく次々と、するべきことを全力で片づけていくのみですわ。えいおー(・_・)/

 明日クロネコさんが絵を取りに来る。『行ってらっしゃい。早く帰ってね(▼▼メ)』(本当は夏まで帰ってこない方がいい。今月末には結果が分かる。その頃にはまた「なんでやねん!」と怒ってるかも...)と絵を送り出したら仕事の続きをやって、終わったら久しぶりにのべ〜〜〜っとするのだ!!明日はお腹が治っていたらいいけどな〜。

 暑かったり寒かったり雨降ったりで、風邪ひいてる人も多いので、皆さん気を付けてくださいね。それでは今回はこの辺で。ちゃお!

2003年5月11日(日)

 ひゃっほ〜!ヽ(^。^)丿今日が『睡蓮』の最終筆でした。え!?睡蓮!!!!!!!そして今『睡蓮』とワープロ入力して気付いた恐ろしい事実...。

『絵のタイトルの漢字。間違っとる..ヽ(。>0<。)丿』

普通、絵にはタイトルを付けないといけないんですけど、コンクールの応募用紙に私、
『睡蓮』のことを『水蓮』
と書いてしまいました...。アハハハハハハハ...ハ.......(/_;).....。がお〜〜〜〜〜〜!!∫(TOT)∫
思えばこの『睡蓮』(くそ〜)を描き始めた時から何となく巧くいかん予感はしとったんです。それが次々現実のものとなり、やっと最終筆までこぎつけたと思ったら、最後にこの仕打ち。(って、全部自分のせいなのだが...。)いつもはタイトルもちゃんと辞書引いて付けるのに、今回は字が間違ってるなんて思いもせず、かつ時間に余裕が無かったので、ササッと必要事項を書いて送ってしまいました。絵が良い悪い以前に『この人、頭悪い!?』みたいなのが先に来てしまった...(T.T)いや、そうなんですけどね、実際頭悪いんですけどね(○`ε´○)。もう!もう!もう!今回はダメです。まだ搬入さえしてないけど、諦めた!!(潔い)いーねん、もう。世間では『睡蓮』かもしれんけど、私のは『水蓮』なんじゃ〜!!く〜。送ってもすぐ戻ってくるわ。早く帰って来てね〜(T-T)(ヤケクソ)

2003年5月5日(月)

 『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』を今さら見た!面白かった〜!!

 朝一で見ましたが、もうお客さんは数十人程度。見たい人は大方見終わったんでしょうね。いやそれにしても面白かった〜!SFXが凄いとか、美術やセットが凄いとか、そういうことは前作から分かってたけど、今回の『二つの塔』では、やっとお話が動き出した。登場するキャラクターの一人一人がその人生を生き始めたので、ワクワクしながら見ました。主要登場人物それぞれに見せ場があって、私の好きな魔法使いの『ガンダルフ』(=イアン・マッケラン=この方もゲイで、すでにカミング・アウト済みということで、私の『ゲイ・センサー』(私が「この人良いなぁ」と思う俳優さんやタレントさんはほとんどゲイ)はかなりの精度であることを証明。)も、映画の初っぱなから大活躍!白馬に跨り援軍を引き連れてアラゴルン達の元に駆けつけるとこなんか、カッコイ〜イ!!(*^。^*)さらに強い魔力を身につけて、完結編ではどんな凄い活躍をしてくれるか楽しみ。あと、今回掘り下げてあったのが、フロド、サム、ゴラム(=スメアゴル)、それぞれの関係。どこまでもフロドを守り付き従うサム。ゴラムに情けをかけずにはおられないフロド。ふたりを信じてついていくべきか、ふたりを裏切り指輪を奪うべきか、自分の中のふたつの意志に激しく葛藤するゴラム。話はだんだん深くなって来ました。

 今回の映画の終盤、いよいよ強くなってくる指輪の誘惑に苦しみ弱音を吐くフロドに、サムがこの物語を総括するようなセリフを言います。『いつか人々が「フロドの物語」を語り継ぐんだ。彼はとても勇敢で、引き返すことなく突き進んで行った。と。』そして『全てを懸けてもやり遂げるべき事が、人生にはあるということだ。』(うろ覚え)と。う〜。弱いですね、こういうセリフ。物語というものはどこかで、人間が生きる中で現実に遭遇する問題を象徴的に含んでいるのが常。思わず「そうかー。そうやんなー。」とか、ジ〜ンと来てしまうのでした。サム!良いこと言うなぁ...(単純(;^^)ヘ..)
でもこれは本当によく出来た映画。視覚的にも凄い、お話的にも固い友情・命を懸けた恋・困難に打ち勝つ勇気・自分との戦い、と泣かせる、出演者も喜々として演じてる、すごく良いバランスで噛み合ってる。そして文句無しのエンターテインメント!でも軽くない!
今夜は私もガンダルフと一緒に戦う夢をみよう...(^_-)-☆(相手は何!?)

※しかし出演男優の一番人気はやはり、人間の王家の末裔・剣士アラゴルン(=ヴィゴ・モーテンセン)。確かにカッコイイ。でも典型的に男らしすぎて、私はイマイチついていけない。実際にも良いヤツらしいけど。次がレゴラス(=オーランド・ブルーム)ね。このキャラクターはちょっと短気でキレが悪いなー。サブやからしょうがないか。でもこの人、実際はかなりキレてるよ。モヒカンやし、コワイよ。番外として、エルフのアルウェン姫(=リヴ・タイラー)の父親、裂谷の王・エルロンド(=ヒューゴ・ウィービング)が『マトリックス』のエージェント・スミスであることは、皆さんすでにご存じですね?予告編で100人に増殖してましたが(^◇^;)あれって観客を笑わせようとしてる?え?『マトリックス』ってそんな映画やったっけ?でもこれも楽しみ『マトリックス リローデッド』!!

2003年5月4日(日)

 今日も家にカンヅメで絵を描いていました。「時間が無い!時間が無い!」で焦る!焦る!ほんでもって描くの早い!早い!で、どうなったかって言うと、今朝までは

『え...あの私、ただの池ですから...。そんな皆さんに見ていただくような者では...(*‥*)』
という奥ゆかしさだったのが、

『あ〜。アタシ、池。最近タダの池なんか流行らへんやん?そやからちょっとアピールしてみてん。どお?イケてる?(-。-)y-゜゜』
みたいな(^◇^;)かなり『スレた池』になりました。

なんか...突然別人格になったみたい。これをコンクールに出すのはともかく、個展に出すか否かは後々悩まないといけないかもしれない。自分でもこれが良い絵なのか、悪い絵なのか、解らなくなっている。これはひょっとしてヤバイ!?(;゜)でもまだ悩む前に手が動いてるし『何じゃこりゃ〜!(^Q^)v』と自分で笑う余裕があるので、悪い方へは転んでないんだろう。本当に悪い時は、何をどう描いたらいいのか解らなくて、空っぽで、私なんか絵を描いたらいけない人間だと思えてくる。今は全然そんなことないから、これは今までに経験したことのない新しい展開かもしれない。o(^o^)o ワクワク!このところ、『今がひとつ、節目やな〜』と漠然と思ってるのは、多分当たっている。さて、次の展開はどうしたらいいのか?未知の世界だわ〜!
 さあ、明日で連休も終わり。仕事が始まるので、絵の続きは仕事から帰った夜にちまちまとすることになります。最後まで笑いながら描けるか!?予断を許さない状況は続くのであった!

 連休最終日の明日は『ロード・オブ・ザ・リング ふたつの塔』鑑賞会です。1本目はともみちゃんちでDVDで見たので、『ロード・オブ・ザ・リング』大画面で見るのは今回初めて!敵の攻撃に思わずのけぞるかしら〜?楽しみです。それと今月は私のお誕生日月間(いくつになるか聞いたアナタには、もれなく不幸が起きるぞ〜。聞いちゃだめだめ〜(э。э)b)なので、お祝いの金品やメッセージなど、何でもお待ちしているゾ!!
 ではあと1日、お休みを堪能いたしましょう!

2003年4月28日(月)

 やほ〜!連休が始まるぞ!!今日は仕事の帰りに中華料理屋に行き、祝杯をあげて帰ってきました。ここのところ仕事以外は部屋に閉じこもって絵を描くしかなかったので、美味しい物を腹一杯食べて、ビールも飲んで、100パーセント満足!!明日は大坂に遊びに行って、その後は仕事が2日続いて、また絵を描いて、連休最終日に『ロード・オブ・ザ・リング ふたつの塔』を見てお開き、という計画です。その後また絵が続きます。おろろ〜〜(T.T)
いやしかし、今日は満足したわ!美味しかった〜。

 ほんでもって今カウンター見たらまた数字が大幅に増えてて、一体どないなっとるんじゃ?こんなしょーもない日記を読まされて、みなさんお気の毒ですねぇ。でも本人上機嫌なもので。へへへへ!!(アルコールも入っててね!)悪いね〜(;^^)ヘ..また今度、ご機嫌さんでない時に、もちょっと為になる事でも書きましょうかね。あ!1個思いついた!!今日は仏語のクラスをさぼって中華に行ったのですが、仏語の先生に「餃子ってフランス語で何て言うんですか?」と聞いたら『le ravioli chinois(ラヴィオリ・シノワ)』と教えてくれました。餃子好きの方は覚えましょうね。

Je suis allee manger le ravioli chinois ce soir. Et Je suis contente!! Bonne nuit! A bientot! (^_^)/~
(私は今夜餃子を食べに行って、大変満足しています!!お休みなさい!また近いうちにね!)

2003年4月24日(木)

 ここ数日表紙のカウンターの数字の増え方が普通じゃないなー、と思っていたら、登録している『QUEEN RING JAPAN』のサイト・リストの3ページ目のトップに、『Jのツボ』が来てました。(リストの順番は時々ランダムに入れ替わるのです。)一番上にあるから、なんとなく押してみる人が多いということですね。非常にわかりやすい。
QUEEN RING から来られた皆さん、期待はずれで退屈してませんかー?もし退屈してたらごめんなさいです!もし根性のある方は『今さら!?QUEEN!』のツボに入って、膨大な量の駄文を読破してみて下さい。頑張ってねー。お勧めは『Ballet for Life』のページです。一番苦労したからねぇ。

 さてさて、風邪の咳は時折発作的に出る状態が続いてます。お爺さんみたいに、内臓まで吐きそうなゲホゲホの咳。側で聞かされる人はたまったもんじゃないでしょう。またしても、ごめんなさい。(でもSARSじゃないからね!)まあしかし、自分でスケジュール入れておきながらも、忙しいったらありゃーしない!!T(;_;)Tこりゃあトシ取るのが早くなるわ。

 (T.T)昨日の晩、悩んで悩んで悩んで悩んで悩んだ末に、『迷ったら、やれ!』で、やっぱりコンクールに応募することにしました。去年から「出そう!」と決めてた事やし。今日出品料と出品申込書を書留で送ってきたので、もうお金は返ってこない。うう...。逃げ場無しの状態。ひたすら描くしかなくなりました。くそ〜、こうなったらやるぞ〜!!おうっ!
((▼▼メ)自分で決めてるくせに...。)

 数日前から『くぅ〜!!キャベツの千切りが食べたいー!』と思っていて、今日やっと食べましたが、キャベツが古くてイマイチでした。青々とした春キャベツの千切り食べた〜い!醤油をシュッとかけてね。私は無人島に何か食べ物を持っていくとしたら?という質問に、『キャベツ!』と答える人間です。これ言うとほとんどの人が「信じられない!」と言います。キャベツは単独では「食物」としては認知されていない模様。キャベツじゃなかったら、ブロッコリーかなぁ。でもブロッコリーは茹でないと食べられないから、やはり切っただけで食べられるキャベツを抱えられるだけ抱えて、私は無人島へと向かうのでした。行って来ま〜す(^_^)/~(ウソですよ。キャベツ好きは本当!)

 現在際際に追いつめられているにもかかわらず、なんか余裕たっぷりの今回の『つれづれ』でした。現実逃避ですね。ははは。はぁ〜〜〜〜(T^T)


※あ、「つれづれ」は更新してるくせに、まだメールの返事書けてないわ。ごめん、さるりちゃん!近いうちに書くからね。

2003年4月19日(土)

 何と言うか。とうとうワタクシにも普通の人並みの「忙しさ」がやって来ました。週3日の受付事務のお仕事。週2日のinakaどっとコムさんのサイト・マップのお仕事。その間には装丁のお仕事2件。それから自分の絵の制作。あと、15年ぶりに復活したフランス語が週1回。従って今年のお休みは週休2日有るか無いかです。普通の人と同じくらいの働き加減なんですが、何せこういう生活は10年ぶりなので、キツイ...!(今までよくそれで生きてきたな〜!とお怒りの声が聞こえてきそう...(。.ヾ)おまけに風邪の咳がなかなか取れない。昨日辺りからやっと治まってきたので、このまま治してしまわないと非常にマズイ。治してしまおう!来月搬入のコンクールに出すはずの絵も、予想外の大風邪で寝込んだため時間をロスしたから出品は難しい...。今日も描いてるんですけど、出品票の締め切りまで頑張ってみて、ムリなら諦めよう(T^T)コンクールに出さなくても、次の個展で発表できるもんね!プロフィールに書くことを増やしたいからって、焦っていい加減な絵を出品して落選して、結局のところ絵もお金も無にするより、ちゃんと納得がいく絵を描いて納得の行くカタチで発表するのがベストなのだ。そうそう。(と、自分に言い聞かせてみる。私はよくこの本末転倒をやらかすから。)でもちゃんと作品を応募出来て、そんでもって展示してもらえれば言うこと無しなのじゃが...w(^_^)
 こんな風に、物事が計画通りに行かなくてがっかりすることもあるけど、私に仕事を頼んでくれる有り難い人々からの期待は、裏切らないようにしたい...。でも自分の絵もちゃんとやりたい。この1年はキツイけど、ちゃんと乗り切って、軌道に乗るようにと願っている。ああ!万事うまく行きますように(-人-)どれも疎かにせず、頑張るのダ!!てなワケで、今私が欲しいのは「健康な体」と「時間」。誰か誕生日にこれをくれ〜い!!!(切望(T.T))


 ところで、『パリ・ベルギー旅行の記録』はお楽しみいただいているでしょうか?もし誤りを発見した方があれば、それを是非教えて下さいね。よろしくお願いします。もし質問や疑問なんかあれば聞いていただいて良いですよ。お答えできるものなら出来る限りしますので。以上、お待ちしております。

ここで業務連絡
 多分私からのメールの返事を待っているさるりちゃん!ごめんよ〜。あと3分の1くらい書いたら完成するのだ。もうちょっと待っててくれい!!さとみちゃんもね!とりあえずハガキ出したけど。(←でもキミはこのHP読んでないでしょね多分。)

2003年4月6日(日)

 うお〜〜〜!復活!いやあ長かった。
と言うのも、前回の『つれづれ』と『パリ・ベルギー旅行の記録』をアップした後、高熱を出して1週間近く寝込んでいました。正確には、3月28日(金)の夜、仕事から帰ってきてすぐに熱を出し、一晩寝て薬を飲んだら熱が下がったので調子に乗ってHPをアップして遊んでいたら、また熱が出てきて下がらなくなり(×_×;)、咳もひどくなり、そのまま4月3日(木)まで仕事も休んで寝てました。
ピン!と来た人もいると思いますが、自分でも思いましたよ『SARS(重症急性呼吸器症候群)では!?』と。38度以上の熱。ひどい咳。症状も当てはまる!でも私、香港にも中国にも行った覚え無いけど...。いやしかし、密かに日本上陸していたのかも!?これで私も終わりなのか!?保健所によって封鎖される職場、『何てことだ!』と呆然とつぶやく同僚や上司の様子が脳裏に浮かびましたね〜。幸い普通の肺炎ですらなく、ただの風邪による気管支炎のひどいやつでしたが、家でひとりで寝ていたら急に血圧が下がってきて、世界が真っ白になってきて、「これはいかん。このままでは死ぬ!」と、朦朧としながら携帯で従弟を呼び出し、病院に運んでもらいました。近くに身内がいてくれて本当に助かった。
 風邪がここまでひどくなったのは、多分睡眠不足が続いていたからだと思います。熱を出す1週間くらい前からずっと調子は悪かったので、早く寝るようにしていたのですが、眠れなかったんですね。ウトウトはするのですが、すぐに目が覚める。熱が出てからもこれが続いて、ウトウトしても今度は咳で眠れない。咳が治まってきたら次はウトウトする度に超ショート・ショートの悪夢を見て「うわっ!」と目が覚めてしまう。こんなことのくり返し。誰か、いつでもどこでも好きなだけ眠れる術を知っていたら、私に伝授して欲しい。それが出来たら、人生変わると思うわ〜(/_;)

 というように、生まれてこのかたかかったことの無いようなひどい風邪でした。花冷えが続いているので、皆様も体調管理はしっかりとして下さいね。私みたいにならないように。

 レスリー・チャン追悼
 エイプリル・フールの愉快ニュースだと思いたかった。でも本当でした。レスリー・チャン投身自殺。レスリー・チャンと言って真っ先に浮かぶのは、映画史に残る名作『覇王別姫』。あの作品での彼は素晴らしかった!数年前にゲイであることをカミング・アウトしていたようですが、そんなこと本人がわざわざ言わなくても、わかってたわよ〜!(世の中というのは何でこうも理不尽に人を追いつめるのでしょうか。男が好きだろうが女が好きだろうが、放っといたれよ!の世界だわ!)自殺の原因は恋人をめぐる三角関係だとか、仕事に対する行き詰まりだとか、色々取りざたされているけれど、色々なトラブルが重なったんでしょうねきっと。でも生きていてほしかった。これから歳を取って行っても、その彼でなければ出来ない役が必ずあったはずなのに。もったいない。本当にもったいない!!近いうちに『覇王別姫』を見直そうと思います。そう言えばこの映画でレスリー・チャンが演じた京劇の女形も最後は自死でした...去年最後に出た映画でも、彼の役柄は「投身自殺を図る学者」だったそうです。...合掌(-人-)


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