2004年6月2日〜9月30日までのつれづれ。
naisyoku いわゆる「日記」とか「感想文」のようなものです。
毎日は書きません。書くことがある時だけ書きます。
(2004年6月2日〜9月30日までのつれづれのページです。)


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2004年9月30日(木)

「草 の広がり」、「あの場所」から「この場所」へ行くには...


草原で、草を摘みながら、どんどん進んで行くと、知らぬ間に、
知らぬコースをたどって、知らない位置に来てしまっていることに気づく。
私のいる場所はいつでも「ここ」なのに、ふと立ち上がってみると、
その間の空間移動の記憶が無いままに、私は「あの場所」から「この場所」へと移り、
進んでいた。
その移動の仕方とは、何なのか?


草が1本生える。
その1本の、ひと株の「草」から株別れし、1本が2本になる。
その2本がそれぞれ株別れし、2本が4本になる...
私が見つけた1本の「草」は、気がつけば、「草原」になっている。
この「草原」は何本の株によって構成されているのか、もう数えることはできない。
でも、「草」によって成り立っている。
にもかかわらず、これはもはや「草」とは呼べない。
これは「草原」と呼ばれる。
この「草原」は、常に形を変え、広がったり狭まったりしている。
今日の「草原」と1年後の「草原」とでは、その構成する草の種類も、数も、形も、違っている。
でも、それは「いつもの草原」であり続ける。
違っているはずなのに、「同じ」であり続ける不思議さ。


「この草」が「この草原」になる。
中心も、周辺も、ない。
「草原」は「草」ではない。
でも、「この草」が「この草原」になる。
「草」も「草原」も、変化し、移動し、同じであり続ける。


<1991年3月27日>

************************************

もうずいぶん前に、私が「制作ノート」に書いた文章です。
「日本美術って、何?」という文章を前回、ここに書きましたが、
私の本当の実感というのは、この文章の方がよく表していると思います。
畑のあぜ道や近所の原っぱで草花を摘んだり、
四つ葉のクローバーを探したりして、
日がな一日過ごしていた、子ども時代に感じた、たくさんの不思議。

何年も、原っぱやあぜ道を見続けていると、
子どもの私にも、季節の移り変わり、時間の経過とともに、
植物の勢力や種類が移り変わっていくのが分かりました。
そこに、容赦無い時間の移ろいや、生き死にのようなものを、漠然と感じていました。

こういう「不思議」が、絵を描くこととどう繋がるのか?
正直なところ、わかりません。
ただ、言えることは、
「絵画とは...現代美術とは...」と語ることからは、
私の絵が始まることは、決して無いだろうということです。
人から見て、どんなにバカバカしくても、ここから、
原っぱで、ふと顔を上げた瞬間に、私のそばを通り過ぎたものからしか、
始まらない、ということです。

そして、これは、私だけに有効な「表現」であって、
すべての「つくる人」には、その人だけに有効な「表現」があるのだと思います。

でも、それは必ず、つくる本人にとって、
「ぬきさしならぬもの」「大事なもの」であってほしい。
なぜなら、
人が何かに対して心打たれるとすれば、ただその一点においてだけ、だからです。

自分にとって当たり前のことを、大事にして行きましょう。
そして、「今」を生きて、つくって行きましょう。
絶望せず、諦めず、何度も枯れては芽吹く、「草」のようにね。


近頃すこし、情緒的になりすぎていたかも、と反省しつつ、書いてみました。 v

2004年9月23日(木)

『日本人と意匠』


「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」尾形光琳 作  

「意匠(いしょう)」:
 うまい工夫はないかと考える、の意。
 一、趣向。
 二、デザインの訳語。買う人の注意を引くためにする、
   製品や美術工芸品などの形・色・模様などについての新しい考案。

最近気になっているのが、この言葉。「意匠」。
西洋で言う「デザイン」の日本語訳なんですけど、
それだけとは言い切れないものを、最近感じています。
きっかけは、
「紅白梅図屏風(こうはくばいずびょうぶ)」
「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」

いずれも、日本画の琳派(りんぱ)の創始者、
尾形光琳(おがたこうりん 1658〜1718年)作です。
私はどちらも本物を見たことがありませんが、このところの「琳派ブーム」に乗ってか、
熱海のMOA美術館に所蔵されている「紅白梅図屏風」に、
史上初めて科学的な分析のメスが入り、その様子がテレビ番組として放送されました。
(ほぼ同じように「燕子花図屏風」についても、図像の検証・技法の検証がなされました。)

そこで分かった新たな事実の中で、最も大きかったのは、
金箔を貼りつめてあると信じられていた背景が、
実は、金箔を貼ってあるように見せかけた、トロンプ・ルイユ(だまし絵)
だったということ。

でも、私が最もショックだったのは、光琳が、「型紙」を使って絵を描いていたこと。
これを聞いて、「ああ!やっぱりこれ(日本画)って、デザインやったんや!!」と思った。
私には、古い時代の日本画に対して、「一個人の作品」として腑に落ちないものがあった。
いや、でも、デザインと言い切れんところもあるのだコレが...


古い時代の美術品に共通して言えることに、「匿名性」があると思う。
外国の美術館で古代エジプトのコーナーに行くと、巨大建造物がそのまま移築されていたり、
石像があったり、装飾にあふれた石棺があったりするけど、
そのスケールとか、装飾過多の割には、圧迫感が無い。
その理由のひとつが、「匿名性」。
「俺が!俺が!」という個人の叫びが無い分、存在として静か。大きくても静か。
これは古代ギリシャ彫刻にしても、そう。
古代のギリシャで、ようやく人は「個人」としての意識を持ち始めたけれど、
それはまだまだ、後の世の人にくらべると、「大勢の人間」にすぎなかった。
美術品は、神への捧げ物だったし、権力の象徴だった。
美術品の作者は、靴屋や鍛冶屋と同じ、ただの「職人」だった。

それが、近世に近づくにつれ、急速に、
「作品=個人の感じ方や考え方を表現したもの」になって行く。
ヨーロッパでは、17世紀ごろから、富裕な一般市民が登場し、
それと時を同じくして、注文された絵をただ言われた通りに描くだけではなく、
「自分の描きたいものを描きたいように描く」画家も出てきた。
その背景には、権力者に対抗して革命が起こったり、
個人の自由を求めて運動を起こしたりという、人としての意識の変化が、
社会、という大きな単位でもって、存在していた。
美術作品は、いつも、世の中のうねり、人の意識のうねりと一緒に変化してきた。

以上は、ギリシャなどのヨーロッパ、エジプトなど、日本以外の話。
日本ではどうだったかというと、
「作品=個人の感じ方や考え方を表現したもの」という考え方が定着するのは、
恐らく明治時代半ば、「印象派」が入ってきた頃だと思う。
と、いうことは、それまではそうじゃなかったということ。
そしてその「変化」は、当時のフランス留学から帰ってきた日本人が、
「これが新しい絵でっせ!日本より進んでまっせ!」と宣伝し、
それに迎合する人がいっぱいいたから、日本人に受け入れられた。
...ってことは。
「印象派」を通じて入ってきた、
「作品=個人の感じ方や考え方を表現したもの」という考え方は、
フランス人が、自分たちが血を流し、王制を倒して自由を得たようには、
日本人が「闘って」勝ち取った、「自由」や「権利」じゃなかった
んですね。
ここに、日本という国の特殊なお家事情があるような気がしてなりません。
もし、フランスから帰ってきた人が印象派を広めなかったら、
日本人は今でも、光琳などの日本画の系譜を引き継ぎ、
延々と描き続けていたのだろうか?
う〜ん。そんな気がする。

自分が油絵(西洋絵画)をやってるから余計にそう思うけど、
「私の描いてるものって、"意匠"っぽいよな〜」
と、よく思ってしまう。
西洋の人がムニュッと線を描く生々しさ、
肉や血の重さのようなものは、私にはぜーんぜん無いもんね。

「表現」は勝ち取るものだけど、「意匠(デザイン)」は選び取るもの。
そんな風に言えるのかな?
印象派を「選び取った」日本人は、だから、とっても「意匠的」なんでしょう。
...では、私たち日本人が、自分たちの歴史の流れの中から「表現を勝ち取る」には、
どの時代まで遡って、どこから再出発するべきなんでしょうか?
あれ???そもそも、日本人は、闘って何かを手に入れたことって、あったのかしらん?
革命も無かったし、今の民主主義憲法も、自分たちで積極的に獲得したものじゃなかったし。
あれれれれ〜〜〜〜〜。

うーん。
美術表現が、「世の中のうねりを、人の意識のうねりを、映す鏡」だとすると、
一体、日本の美術って、何を「表現」してきたの?
それとも、西洋的な考え方は、日本国の人間にとっては無効なんだろうか?

私がいわゆる伝統的な「日本画」に対して、
「これは個人の芸術表現なのか?それとも、デザインなのか?」
と思ってしまうことは事実で、でもどちらとも言えないこともまた事実。
で、そういう日本美術に、少なからず心惹かれてしまうのもまた事実。

外国では、日本の伝統美術は「優れた工芸品・インテリア」としてしか認知されない。
ダ・ヴィンチやロダンやモネやルノワールやピカソや...そういった「芸術家」の作品より、
数段「下」ということになっている。
そりゃあ、そうかもしれない。だいたいが、「表現」というものの土台が違ってるから、
同じ土俵では比較できない、と。
でも、西洋から見た「異端の血脈」から出てきたものこそ、私たち日本人の「表現」なのだから、
それを自分たち自身で否定することは、もっとできない。

最近、自分自身が外国で展覧会をすることを、現実的に考えたこともあって、
ますます「日本人のつくる美術作品」は何なのか、考えてしまう。


そんなこと考えてるよりも、国とか関係なく、自分の個人的にやりたいことを
やりたいようにやることしか、無いんだってことも、知ってはいるけどね。

2004年9月16日(木)

『ペンネ1号!ペンネ2号!ペンネ3号!』


ペンネ1号
(ハム・トマト・ピーマン)

ペンネ2号
(えのき・オクラ)

ペンネ3号
(しめじ・ブロッコリー・オクラ)

すんません。

最近またペンネばっかり食っております。
「ペンネ3号」は、今日の昼に食べました。

今日は家で仕事でした。
家にいる時の昼ご飯は、これに限ります。
とりあえず、3食分、写真を載せてみました。
作る時に考えるのは、
ペンネの上に「何をかけるか?」ということだけ。
それとて、冷蔵庫の中にあるものを切って、
チキン・スープの素とオリーブオイルで炒め、
塩こしょう+スパイスするだけです。

(スパイス:「Mrs. Dash クラシック・イタリアーノ」→)
これをかけると、何でも美味しくなる。
例によって、何にでもかけて食べる。サラダも最高!
4月にニューヨークのスーパーで買ってきました。
もう3分の2ぐらい使ってしまった。
これが無くなったら、ペンネもサラダも食べられない。悩。

近頃は、肉気を入れずに作っている。
(それがまた、美味しかったりする!)


ペンネはね、何と言うか...
作る過程が「システマティック」なところも、いいんです。

まず、鍋で水を沸騰させますわな。
そこへ塩とペンネいれますわな。
ペンネがゆで上がる10数分の間に、材料切って、炒めて味付けしますわな。
具ができあがりますわな。
ジャストでゆで上がったペンネに、具をどっひゃ〜!とかけますわな。
あと、食べるだけ。

たとえどんなに飢え、どんなに腹が鳴っていようと、
10分くらいなら待てるでしょ?

何て、無駄が無いんでしょう!!美しい!

ちゅうことで、まだ当分、ペンネ食い続けます。スパイスが無くなるまで。

2004年9月12日(日)

『回り灯籠』

これが本日やったこと。「回り灯籠」づくり

バイト先のあさみちゃんの誕生日にあげます。
季節はずれですねぇ。
ハイ!ご名答!
これ、キットになってて、
Loftの夏用品のバーゲンで買いました。
でも、ちゃんと白木にニス塗って、
一年中置ける色にしたもんねー。
木を組み立てて、ニス塗って、電球のソケット付けて、
中のアクリル板に、草の絵を描いて、できあがり。

(白木のままだったら、それこそ、仏...(-人-))


・また増えてしまったお仕事...

喜んだらいいのですが、また絵の関係の仕事が増えました。
前に頼まれてるのも、取りかかってないのに。
お仕事リストの行が増えていく...
これはちょっと、エンジンかけないと、
年末〜年明け、青くなるに違いない。
わかっちゃいるけど、らりらり〜ヽ(^0^)ノ♪
忙しいことに慣れていないので、
このまま遊んでたらどうなるのか、よくわかりません。
なんか、このままのペースで行っても、
「大丈夫なんじゃないか!?」とか思っているけど、
きっと大間違いなんですよね-。

はぁ〜。どうするかなぁ。。。
まあ、地道に一個一個、こなす。それだけか。

また筆洗器に「不言実行」を貼らないといけないか?

まずは、昨日張ったキャンバスに、地塗りを施そう。
ここに、一輪。蓮の花を描きます。


・友部正人!!

昨日の晩ね、台所で洗い物しながら、NHK-BS2つけて見てたんですよ。
そしたら、なんか怪しいオヤジやオジイサン達が集まって、好き勝手しゃべっている。
何これ?と思って見てたら、井上陽水がホストで、
小室等、三上寛、高田渡、加川良、友部正人、という、
今はいつ?ここはどこ???状態の「生きた化石」な人々が輪になってしゃべってた!!

若い方は、陽水以外は知らなくて当然。
(私も、陽水以外の彼らをリアルタイムでは知りません!!)
ただ、友部正人は、「たま」
(ってバンド、ありましたよね?もう解散したらしいけど。もったいない。)と一緒に
「けらいのひとりもいない王様」というアルバムを1枚作っていて、
私、そのアルバムが大好きなんです。(今、久しぶりに聴きながらこれ書いている)
で、その友部正人も、番組の中で、一曲だけ歌ってました。

良かった...!!

友部正人の何が良いかというと、「詞」です。
ちょっと説明し難い詞なんですけど、とにかく良い!
動いてる友部正人を見たのも初めてだった。
...良かった!
陽水と、短く話をしていて、それもまた、良かった。。。
彼は今、日本とニューヨークを行き来して暮らしているらしい。
今のアメリカを肌で知っている人の危機感。
でも、自分は歌を歌うことしかできない、という達観。
それでも、「日本のこと」を歌うことで、警鐘を鳴らさなきゃいけない、という義務感。

友部正人の書く詞は、決してあからさまに政治的なものじゃないと思うけど、
ああ。あなたは、ちゃんと「今」を生きている。
昨日のテレビを見てそう思えて、なんか、豊かな気持ちになったのでした...
井上陽水も、友部正人の歌を聴き終わると、本当に感激していた。。。
良いものを見てしまった...。

(まあ、まわりが本物の化石だったから、余計に目立ったのかな?笑)

2004年9月6日(月)

『さよなら!筆洗器「不言実行」』

左:旧・筆洗器「不言実行」 右:新・筆洗器「一発逆転」


 20年以上連れ添った筆洗器「不言実行」(写真左側 アルミ製)
の底に、ついに穴があいてしまい、油漏れをおこしました。
この筆洗器は大学の入学式の帰り道、
同じクラス(油絵科は1クラスのみで、25人しかいない)
で加古川出身の俊美さんという人と、つるや画材で買いました。

フタに貼ってある千社札様のシールは、
広島は三次出身の同じくクラスメイト、さとみちゃんがくれたもの。
広島の「メガネのタナカ」の、「1984年フレッシャーズ・セール」の宣伝シールです。

新しい筆洗器「一発逆転」(写真右側 緑のスチール製)
は、先週、神戸のルナ画材で買ってきました。

さて。
新筆洗器のフタにどのシールを貼るか、迷いました。
シールは3種類。
「不言実行」「起死回生」「一発逆転」...
(もちろん、1984年当時のもの。まだ取ってあるんですよ。うふふ。)

若いときならいざ知らず、もう「不言実行」って肩ひじ張るでなし。
新しいテーマでこれからの20年を送りたい。。。
でも「起死回生」は、せっぱつまった感じがしっくりこない。
で、『一発逆転』
軽々しくていいね!

ということで、これからは「一発逆転」をメイン・テーマに過ごして参ります。
よろしく。


...20年間つき合ってくれた筆洗器に穴があくまでに、
俊美さんは、療養のため1年留年したあと、在学中に病気で亡くなりました。
さとみちゃんは美術の先生になり、3人の子供のお母さんにもなりました。
今でも私の個展を見に、はるばる広島から来てくれます。

私は相変わらず、なんとか絵を描いている。
これからは、新しい筆洗器「一発逆転」と共に...。

(でも、俊美さんみたいに、クッサイ牛小屋に陣取って、牛の絵は描かないよ〜。俊美さん!笑)

2004年9月1日(水)

『Apple Store をのぞいてたら...』

先日、友人みかちゃんが
「パソコンが10分たつと勝手にダウンするー!」
と泣いていたので、
「うむ。私も、G4が突然立ち上がらなくなる前に、新機種導入を考えないとね」
と思い、なんとなくApple Storeを覗いていたら、
しばらく見ない間に、新製品がいろいろ出てた。
その中で目を引いたのがAirMac Express ベースステーション。

私のPower MacG4は、旧型のAir Mac Cardしか付けられず、しかも今だにOS9なわけです。
しかし、旧型Air Mac Card + OS9という古古環境で使用するべき
旧型Air Mac Base Station(UFOみたいなやつね)は、すでに製造・販売終了
という悲しい物語があるのです。

(T^T)ということで、私が、
「OS9を堅持しつつ、無線LANにするぞ!」
(だって、OSX。好きになれないんですよ、なんか...Winっぽくて。)
と意固地になった結果がコレ
まったく、泣けました...
(でもSofmapのお兄ちゃん、「Macでも使えますよー」って言ったもん!!(`へ´))
今もLANケーブルを延々這わせて有線状態。
あの時買ったAir Mac Cardもメルコの無線LANステーションも、眠ったまま。
だって、LANの設定いじくってると、本体が立ち上がらなくなるねんもん(T^T)(号泣)
そ−ですー。Win用の機器をMacで無理矢理使おうとした私が悪いんですーだ。
素直にOSX入れて、Air Mac Extreme Base Stationを買うべきでした...

で、「次に本体を買い換える時、一気に素晴らしい環境を手に入れるゾ!」と決心。
そこでAirMac Express ベースステーション!これはすごい!
Air Mac Extreme Base Stationよりも数段小さい!値段も安い!
これで、無線LANは完璧だあ!
そして、G5で、プロセッサ2GHz以上、メモリ512MB(もっと!?(*‥*))積んで、
スーパードライブも付けてしまおう!!
これなら大きな画像の処理でもさくさく出来るぞお!!
お茶入れてのむ時間も無いぞお!
いやあ〜!夢が広がるぅううううう〜!

と言っても、今のPowerMac G4 533MHzはまだ3年半くらいしか使ってないので、
買い換えは来年後半以降に行う予定。
その頃にはまた新製品が出てるかもしれない。ワクワク(^_^)
まあでも、まずやるべきことは、
一刻も早く、Air Mac CardとWin用無線LANステーションを処分することかな。
今の環境である限り、有線しか無理だから...必要ないもんね...(泣)
G5にしたら、どーせどっちも使えなくなるし(/_;)

いーんですよ。アホなんですよ私は。ええ!

(とか言ってるうちに、ある日突然G4さんが昇天されたら...いや、そんなことは...ブツブツ...)


※あ。みかちゃんは、新しいSonyのVAIOを買いましたとサ。

2004年8月30日(月)

『気圧が下がっている!』

たった今、台風が通過してます!
私は、「この台風はこっちには来ないんだ。」と
例によって、何の根拠も無く信じていたのですが、
外のあまりにひどい荒れ方に、「台風だ!台風が来てる〜!!」と
ついさっきから(遅まきながら)慌てています。

今日はずっと家で仕事をしていて、
晩ご飯食べたあとも、部屋で仕事してたら、耳がおかしい...
なんでや?おっかしいなぁ、と思いつつ、はっ!と気が付きました。
台風のせいや!

台風の下は、気圧が下がるんですね。
大きい台風であればあるほど、気圧が低い。
高い山に登ったら、耳がツーンとする(高山病の軽いやつ)のと同じで、
台風のせいで耳がおかしくなってる!!
(私はもともと耳が弱いので、余計に)
そういうわけで、この台風は耳がおかしくなるくらい、デカイ。
徳島の友人宅では停電しているそうです。

うちも壊れそうに揺れている!
でも、通り過ぎれば、何事も無かったように、日が照り、爽やかな朝が来るのです。
大きな被害が出ないことを祈りつつ、そろそろお風呂に入ります。

2004年8月26日(木)

『色んなことに追われているノダ!』

お久しぶりでございます!!
長いこと更新してませんでした。何度か覗きに来てくれた方、ごめんなさい。
これでも、色々やってたんですよー。

(私がよそのお宅(HP)を梯子して遊んでいたことを知ってる「通」な人は、
「お前ウソつけよ〜!」って言ってることでしょう。ふっふっふ。)

まず、コンクールの結果ですが。
見事に落ちました!!!落選です!!行って帰った来ただけ!!
もう、自分でも予想してなかった、気持ちがいいくらいの落ちっぷりで、
結果を見た時にはちょっと笑ってしまいました。
あっそう?この絵がダメ?へー!と感心してしまった。
「あんたの絵はダメだよ。」と言われてるのに、笑えるとは。
いよいよ私もおかしくなってきたのかぁ...?

近々、もうひとつのコンクールに送った絵も、帰ってくる予定。
そっちの方はかなり審査が厳しいので、入選することは無いとわかっている。
人から偶然応募用紙をもらったのも何かの縁。とりあえず参加だけしてみました。

まあ、作品をコンクールに出すこと自体に意味が無いという人もいるけど、
私はやっぱり、絵をここじゃないどこか、新しい場所に運んで、
何か今までとは違う経験ができればいいと思っている。
もちろん、絵を描くことそのものに意味があるから、描いてるんですよ。
けど、絵は、知らない人、知らない世界と繋がるための、ツールでもあるんです。私にとってはね。
もちろん、そうじゃない人もいっぱいいる。それは知ってる。

で、これからの予定は

・ギャラリーに絵を持っていって、納品。(遂に!)
・蓮の絵(油彩)を描く。
・蓮の絵(水彩)を描く。
・例の本の表紙を、出版社と印刷屋さんに見せられる状態までつくり込んで、原稿もそろえる。
・10月に「金沢21世紀美術館」が開館する、金沢に遊びに行く。(待ってろながさか!)
・年内に本の表紙を持って、東京(出版社)へ行く。かも?
・そうこうしてるうちに、年賀状の注文が来る(げ!)
・詩集の表紙をひとつデザインする。

こんな感じ。これを今から来年の前半にかけて、やっていく。
その間にも、日々の労働は週5日きっちりある。。。(大事な収入源だもの!)
時々、自分が今何をやるべきなのか、わからんようになることがある。
紙にダーッと書き出してみて、優先順位をつけては書き直すことのくり返し。
人に頼まれているもの、締め切りが近いものからやって行こうとするけど、
そのときどき、気が進まないものもやっぱりあってね。


はぁ〜。実は前回の「つれづれ」以降、かなり精神の調子を崩しておりました。
例によって、
「私は終わりだ。絵を描いても酷評されるだけ。定職も無し。
 このままひとりでトシ取って野垂れ死んでいくんだわ...」
と。
いつものように、特に原因も無いのに、勝手に何もかも嫌になってました(笑)

この「鬱」。どうやら私には、てんぱってる状態をリセットするのに、必要なようです。

2004年8月10日(月)

『深夜まで話す』

昨夜は友だちの家に行き、深夜1時半頃まで話をしてました。

4月にNYに行ったとき、私が泊めてもらってたのが彼女のアパート。
ちょっと前にNYを引き払って日本に戻ってきたのでした。
「NYで個展したくても、出来ない人間が世界中に何人いると思う?やれ!」
と言った子です。

(なんでそう言ったかというと、
 彼女はNY滞在中、あるクラフト系の学校に通っていて、(それが目的で渡米した)
 日本からNYに来ても、なかなか、
 自分が日本で思い描いていたような活動ができないでいる若い子を何人も見てたので、
 チャンスは誰にでもあるわけではないのだから、
 それを逃さず、「やれ!」と言い切ったのでした。
 まあ、この話は今回置いておくとして...)

...久しぶりに話していて、
「跳ぶときゃ、先が見えなくても、跳ばにゃあならんときも、あるんかもなぁ...」
と、思いました。
損得とか、見かけの善し悪しとか、親の期待とか、人からの評価とか、
いろいろいろいろ、自分の意志以外のことに縛りを受けやすい私は、
今まで、本当の、命がけの跳躍をしたことが、無かったのかもしれない。
(それがNYで展覧会をすることだ、と言っているのではない。)

人に非難されても、自分が思うとおりにやって、それでコケるなら、それでいい。
そう、頭ではわかっていても、では、
「私の思うとおりに」とは、何?どういうことだ?
と考えると、んー...と迷ってしまう。
もちろん、私にも欲があり、
どうにかしてお金がたくさん入ってきたらいいなぁ、
絵が売れたらいいなぁ、人脈が広がったら仕事が増えるかなぁ、とか、
拝金主義の貧し〜〜い想像をいっぱいいっぱいしてる。
で、そういう貧しい想像「だけ」が私の希望で「思うとおり」なのかというと、
ぜったいに違う!と叫ぶ私がもうひとりいる。
(人は「卑しい売り絵作家」か「求道的な清貧作家」か、どっちかに分類したがるけど。)

友人Tさんは私に、
『あなたの中で、「日々を生きている私」と「私自身を生きようとする私」が
 「なりたい私」をめぐって、激しいイスとりゲームをしているような感じがする。
 めまいがするし、途方に暮れる。』

と言った。
途方に暮れている...そうかもしれない。
でも、私が今まで生きてきて、途方に暮れなかったことは、ただの一度も無かった。
ずっと、ひとりでイスとりゲームをやり続けてきた。
私が何者かに「なる」には、多分、このイスとりゲーム状態から
抜け出してみるしか無いんだろうな、と思う。
それが、「命がけの跳躍」

具体的に、それがどういう行動になるのかは、まったく分からないけれど。

友だちと話していて、こんなことを思いました。

2004年8月5日(木)

『いろいろやった日』

本日はお仕事も無く、
1枚目の絵は昨日で最終筆だったので、もう描けないし。
今日は、完成した絵を写真撮影。
それから、先月滋賀県の草津と醒ヶ井に「蓮」と「梅花藻」を見に行ったレポートづくり。

「おでかけのツボ」の中の ・「蓮と梅花藻を見る!」

をご覧下さい!
写真の美しさを堪能してね!

...と、一服したあとはまた、さ来週が締め切りの絵を仕上げないと...。
今週末は昨日仕上がった絵を送り出します。
さて、どんな結果が出るかな。
緑がモケモケと茂った絵です。
水もあるけど、今回あまりうまくいかなかった。ちょっと後悔。
でも緑が綺麗なのでOKにする。
この絵は次の個展で登場します。

(次の個展がいつ、どこであるかは、神のみぞ、知る...かも?)

2004年7月31日(土)

『作品を売ること』

あ〜。やられてしまった。

『本の方、どうなってますか?企画は進んでるんでしょうか?
 実はこの前の個展で絵を予約された方が来られて、
 代金もこちらでお預かりしてるんですよ。
 楽しみにして待っておられるみたいなんですけど、
 どうしましょう?』

という電話が画廊からかかってきました。

会場で予約してくれた時に、
「お引き渡しはいつになるか分からないですけど、いいですね?」
と言ってあったんだが...
遂にしびれを切らせてお金払いに来てしまったらしい。
ああ!ごめんなさい!!
これはもう、リミットってことですな。
原画を使って版下をつくってもらいたかったけど、無理。
自分で作品の写真を撮って、現物は予約してくれた人に早々に引き渡すことにしました。

ああ、でも絵の写真撮るの、難しいからなぁ...。
色校なんか、原画無しでちゃんと出来るんかしら???
うー。
いや、でも、しょうがないです。
いつまでもひっぱれないしな。

(いきさつを知らない方へ...。
2月の個展に出した水彩画の何枚かが売れたのですが、これらの絵はすべて、知り合いの方が今年出す予定の本の装丁に使うため、その印刷が済むまで引き渡しを待ってもらっていたのです。が、事情により、今のところ印刷スケジュールが定かではない。そういう話。)

考えてみれば、私も甘かったかも。
いつ渡せるかわからない絵を売るなんてねぇ。
逆に、「これ、もう売れてしまってるけど、こんなのをもう1枚描いて」と
後から頼まれたのは、もう完成してとっくに渡せてる。
最初に「欲しい」って言ってくれた人には、本当に悪かったです。
展示作品は非売にして、別に注文を受けて描くくらい、するべきでした。
ほんと、色々あるよなぁ。

と、ちょっと反省したのでした。

(でも、あの時は絵が売れるなんて思ってもみなかったから、しょうがないさー!!)


※hさま。これ読んでないと思うけど、べつにあなたに文句を言ってるわけではありません。
 なんか、自分でも甘いなーと思ったのですよ。ただそれだけです。
 どんなに時間がかかっても、良いものを書いていただきたいし、
 そんなスゴイ本の表紙に使っていただけるのなら、本望ですもの!!
 信じています。良い本つくりましょう!
 (近々「蓮」のハガキが届きますよ。って...ご本人、読んでないのでした!(^◇^;))

2004年7月26日(月)

『意外にはかどった』+『滋賀県草津の蓮!』

・意外にはかどった

本日は家で、昨日からやってた大阪の仕事を完成させた後、絵を描いていました。

この絵が意外にはかどって、ほとんど9割方完成が見えてきた!
とか何とか言ってもコンクールの搬入が近いので、
あと10日ほどしか描けないんですけどね。
何というか...大きさ的にはそんなに大きな絵じゃないんですが、『濃い』です。
画面の中に、湿気、草いきれが「充満」してるっていう感じ。

今まだ、絵の中の草原が干上がっている状態です。
これから水を注ぎ、反映を描いていきます。
これが今回の絵のハイライト。『勝負!!』です。

でも水描いたり反映描いたりするのって、テクニック的には実はすっごい簡単なのだ。
人々は「すっごーい!本当に水があるみたい!」
って言ってくれるけど。
まあ、一発勝負なので、描くときに多少の緊張感はあるけどね。(*^^*)



・滋賀県草津の蓮!

ところで、先週、滋賀県は草津市の烏丸半島というところに自生している、
『蓮』の取材をしに行って来ました。

ここの蓮、見たことある方、います???
私は今回初めて見に行きました...

と、と、と、とんでもなく凄かった〜〜〜!!!!!\(×_×)/

もう、花も葉っぱも、綺麗の何の、大きいの何の!!
そして、たくさん生えている!
視界の\(・・\) あっちの端からこっちの端まで(/・・)/
ぜ〜〜〜んぶ、蓮・蓮・蓮!!
ピンクの、ぽってりとした大きな蓮の花と蕾が...あっちにもこっちにも!!
もう、もう、狂ったように写真を撮ってしまいました。
あんなにスゴイとは思ってませんでした。

今回取材した蓮は、実は注文を受けたモチーフです。これから水彩で描きます。
いやはや、頼まれものとはいえ、見に行って良かった!

花の見頃は、8月中旬頃までだそうですよ。
私はこの蓮の群生地の横にある水生植物公園で、「蓮の種」を買ってしまいました。
育ててみようと思って...(^_^)

興味のある方はココ→『草津市立水生植物公園 みずの森』を見てね!

2004年7月17日(土)

『昭和27年卒』+『納品&請求&領収月間』


・『昭和27年卒』

らしいです私(*^^*ゞ

ってことは、私ってば「昭和4年生まれ」か。
親よりも年上だぜ〜( ´−`)

今日、大学の同窓会誌が送られてきて、
「同窓生の展覧会一覧」みたいなコーナーに、2月の個展のことが載ってました。
そこに『昭和27年卒』と書いてありました。

うふふ。次に誰かに会ったらネタにして笑ってもらお。

(しかし、大きな声じゃ言えませんが、わたくし。同窓会費、払ったこと無いんですわ。(o_o))



・『納品&請求&領収月間』

今月は作品を納品して請求書を送ったり、お代をいただいて領収書を出したり、
すごく経済と制作がぐるぐる動いている実感がある。
絵はまだ渡せないのに、先に代金を払わせてくれ!
という殊勝な人もいて、ありがたい限り。

大阪の友達の会社の仕事もけっこうやってるから、
きっと今月はよく稼いでいる。

さて、お金儲けは大事ですが、そろそろいい加減に取材に行かないと、
目指す植物が盛りを迎えてしまいそう。

私の描くものを見ていただいたら分かるように、
基本的に『盛り』『満開』の状態は好きではありません。
なんか、そういうのって、一瞬で、一面的でしかないような気がして。

むしろ、『枯れる途中』『咲く寸前』『芽吹きの頃』などが好き。

『過程』『動き』『時間』『歴史』『過去』『未来』
そういうものを感じてるし、描きたいからでしょうね。

さあ、稼いだお金(=注・作品の単価が激安なので、そんなに儲かってないよ!)
を持って、取材にGO!だ。(比較的近所なんだけど)

2004年7月11日(日)

『本日のペンネ』 + 『自分を引っ張り出す→検証する』

「本日のペンネ」

またしても昼ご飯はペンネ。
今日はナスとキュウリもあったので、
肉気無しのトマトソースにしてみました。

もう、中に何がどう入ってても、美味いものは美味い!!
でも、いい加減にしておかないと、病気になるかも。

(学生時代のある夏休み、下宿で制作にかかりきりで、毎日
「みそしる」「かいわれ」「魚の干物」「とうふ」「ごはん」
の食事を1ヶ月続けていたら、結石が出来てしまい、
えらい目に遭ったことがある。偏食はいけないのだ(/_;))


「自分を引っ張り出す→検証する」

現在、絵を2枚同時進行で描いております。

昨日も描いていたら、自分でも思ってなかったような状況が見えてしまい、
「へぇぇぇ〜〜〜!そういうことやったん!?」
と、自分で自分に聞いてしまいそうになりました。
こういうことは、とても珍しい。

描くモチーフを選ぶ時、
そのモチーフで何を表現するか?は漠然としています。
で、自分で描きながら、キャンバスの上に現れてくるものを見ながら、
それにまた反応することで、
絵がだんだんある方向に向かって完成してゆくのです。
でも、そうそう自分がびっくりするような方向には向かいません。
最初にモチーフを選んだ段階で、有る程度の予定調和が出来てるんです。

でも、昨日は描いていて、現れてくるものに裏切られたというか、
「キミがいることは知っていたけど、こんな所で会えるとは!!」
と思ってしまいました。
これはもしかすると、ついに「ヤツが来た...」かもしれない。

「ヤツ」とは、
私自身が長年、存在を確実に感じながらも、それが私の中のどこにあって、
どうやったら外に引っ張り出せるのかがよくわからない、
そして、どちらかというとネガティブな側面を持ち、強力で、厄介な、
でも、私にとって重要な「核」のひとつであることが分かっているもののことです。

誰もがこういうものの存在を、自分の中に感じているのかどうか、
私にはわかりませんが、
とにかく、今、何だか新しい感触があります。

これをうまく、すくい取らなくては...
そして、それが「ヤツ」なのかどうか、検証しなくては...。


(あ?なんか、オカルトちっくですか?(*^^*ゞ)

2004年7月10日(土)

『画家』

いえ。難しい話ではありません。
ずっと前に本屋で『13才のハローワーク』(村上龍 著)という本を立ち読みしました。
ご存じのように、子供向けに世の中にある職業をダーッと紹介してある本です。
(でも実は大人が買って読んでるらしい。)

画家って職業は何と説明してあるのかなー」と思い、パラパラとめくってみると...あった。


『親でも兄弟でも恋人でもいい。
 とにかく、助けてもらって、描き続けなさい。
 描き続けたら、
 あなたは画家です!』

(もちろん文章はこのままではありません。こんな内容ということです。)


本屋で思わずひっくり返りそうになりました!!
そりゃあないだろう、村上龍...。


時・ところ変わって...。

昨夜、録画してた映画『ゴッホ』を見てたら、
ゴッホがパリの画廊に勤める弟のテオに生活費をせびりながら、

『お前、画商のくせになんで俺の絵が売れないんだ!
 本気で売ろうとしてないんだろう!!』

と罵声を浴びせる場面が...。
かわいそうなテオ。
兄ちゃんは自分の描いた絵を弟に渡す代わりに当然のように生活費を受け取り、
弟は兄ちゃんの売れない絵を抱えてどんどん貧乏に陥ってゆく。
でも、テオは兄ちゃんの絵を本当に良いと信じているし、
自分は病気で先の人生に希望を持てないから、
自分のことより、兄ちゃんを援助せずにはいられない。。。


このふたつ、いつの時代の話!?という感じ。
「ゴッホ」は100年くらい前ね。
村上龍は現代でしょ?

...なんか、複雑です。

やめてくれよ、村上龍...。
とつぶやきつつも、我が身を振り返ってみると、思いっきり親の世話になってたりするわけで...。
でも、映画に出てくる「ゴッホ」みたいに、お金せびったりしないゼ〜〜。
いくらなんでも!


(以前友達に「個展で絵が売れたよ」と報告したら、
 「生きてる間に絵が売れた人はだいたい後世に残らないよねー。
  Jちゃん、ゴッホになりそこねたねー!」

 と言われ、え?、と止まってしまったことがある。
 いいのだ。私は現世利益を選ぶ!!
 死んだ後のことは、後の人が勝手に決めるんだもーん。)

2004年7月3日(土)

『今日のしごと』

『ねこじゃらし2』です。
今日描きました。

これは頼まれもの。
2月の個展の時に注文を受けました。
個展に出してたのとは微妙に違うので、
気に入ってもらえるかどうか。

右の「ねこ」が大きすぎたかな。
しなり具合がイマイチか!?
とりあえず見ていただいて、
ダメが出たら描き直し。


私、普段は作品の表にサインは入れません。
なんで作品の中にいきなり「文字」があらわれるのか、納得できないから。
「サインは作品が完成したという印だ。」と言う人もいますが...。要するに、サインがあっても無くても完成してればそれでいいワケで。サインを書いたとたんに、何か権威付けがなされるようなイヤ〜な感じがするから書かない。
私なんか、「権威」から最も遠い存在なのにね!!自分で自分を笑ってしまいそう。
でも今回頼まれた分なので、書いておきました。サイン。

そして実は頼まれものはまだ続くのであーる。
ありがたいことに、あと水彩と油彩を1枚ずつ描かなくてはならない。
それと、コンクールに出す用の油彩を2枚。
(多分、入選すらしないだろうなー、というモチーフを描いている。まあいいさー!)

ともかく、私に絵やデザインを頼んでくれた皆さんありがとう!
これが昔なら「頼まれたものなんか、描けないわ〜(×_×)」って、
自信が無くて逃げていたと思うけど、人も長年やってると、変わるもんですなぁ。
「綺麗な花の絵を描いて!」とかじゃなくて、
「あなたの絵が欲しいから描いて!」と言って注文してもらえるようになったから、
すごく嬉しいし、描こう!という気も湧いてくる。

こうやって、あわてずに、ひとつひとつの仕事を地道にやって行けば、
その先にまた良いこともあるだろう、と。
ぼちぼちやりましょうかねー。

2004年7月1日(木)

『最近の昼ご飯 第1位 生トマトソース+パスタ』

「反省する」とか言いながら、もう早や登場。
(当たり障りのない話題を、さりげなく書いてみる。)

 今日は、最近よく食べている昼ご飯について。
私は朝も昼もパンを食べることが非常に多い。特に家にいる日は朝と昼と兼用でパン食べたり。
でも今頃の季節になると、それがそうでもなくなるのです。

理由は『トマトが旬だから!』\(^-^)/

生のトマトの皮むいて種を取りザク切り+キュウリやナス(有り合わせの野菜)+チキンスープの素+塩こしょう+あれば、ソーセージかベーコンかハム+生のバジルの葉っぱ又はニンニク又はスパイス(=NYで買ってきた。ニンニクとかタマネギが入っている。)をオリーブオイルでジャ〜と炒めてソースを作る。
それをパスタ(=スパゲティよりも、ペンネが美味い!!)にドッヒャ〜っとかけて食べる。

『うんまぁあああ〜〜〜〜〜!!(*^^*)』

すんごく美味しい!
一度作って食べてみてくだされ!!

2004年6月26日(土)

『人って、言葉って、むずかしい!!!』

と、思っています、つくづく。

最近、私のコミュニケーション能力の低さにより、
立て続けに何人かの人を怒らせてしまいました。
それも、全部私が「何気なく」言ったことが癇にさわったようで。

大幅に割引して、
「私がものを言う前にすでにその人の心から煙が上がっていて、
 私が言った一言は、爆発の最後のスイッチを押しただけ。」
だとしても...。
はぁ〜〜〜。
わざわざ「爆破スイッチ」を押してしまうとは...。

もともと話すことは得意じゃない、むしろ嫌いだったのが、
歳をとってきたせいもあるのか、
色々なことを普通に話せるようになってきたと思ったら、
調子に乗りすぎて、しゃべりすぎました。

「しばらくは何も言わない!」

と、思っていても、つい言ってしまうのは、
私自身の調子が良くないからに違いない。

最近また、被害妄想的な良くない想像が次々と浮かんできている。
「どうせ私なんかバカにされて、影でみんなに笑われてる」
「私はいいように使われてるだけで、いついなくなっても誰も何とも思わない」
...こんな根も葉もないこと考えてたら、いかんいかん。

本気で少し黙らないと。
ということで、私にひどいことを言われた皆さん、ごめんなさい。
反省して、しばらく黙ります。

もうダメだ。
いらんこと言ってしまうので、私に話をさせないでね...(/_;)

2004年6月16日(水)

『ブルーナ in 虫御殿』

「...ってことは、 "ブルーナ風" だったら何だって可愛いのか!?」

と思ったので、
最近私の前に現れた虫や生き物を「ブルーナ調」で描いてみました。
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
どう言ったらいいんでしょう。
こういうやつがミッフィーとかの「おともだち」として
出てきたらどうなんでしょうね?
「ムカデ」なんか、違和感ないような気もするけど...。

...でもきっと、みんな嫌がるよなぁ。。。

(「ヤモリ」は一昨日の夜中、お風呂の窓にくっついてました。色白でつぶらな目が可愛い。)

2004年6月14日(月)

『今日の虫御殿』


 昨夜の訪問者です。

ウマオイさん。

例によって、ど夜中に自室にいたら、突然出現。
次は何が出るのか!?
戦々恐々!!(>_<)

(←我ながら、ちょっと可愛く描けたと思う。
  ディック・ブルーナ調?
  "ブルーナ"にウマオイは絶対出てこないよねぇ。
  実は足の付き方が間違ってる。ご容赦!)

2004年6月13日(日) Part 2(興に乗って、Part2を書く!)

『TRAVIS』(トラヴィス)

 前作から3年ぶり、4枚目、
ブリティッシュ・ロックの良心!TRAVIS(トラヴィス)のNew Album
『12 Memories』を買いました。

ずっと待っていて、マメにチェックしていたのに、
去年個展の準備に追われている間に、知らない間にリリースされていて、ショック!!
出て半年も経った一昨々日気が付いて、翌日すぐに買いに行きました。

良いっっっっ...(>_<)

なんか、音が今までよりもずっと「近くで響いている」感じがする。
なんでも、去年メンバーの一人が首の骨を折る大ケガをして、
一時はミュージシャンとしての活動は無理かも?という窮状に陥ったそう。
幸いメンバーはケガから復帰し、演奏にも支障が無く、
新しいアルバムを心機一転、制作できたというのが、本作。

(日本ではイマイチ人気が無いので、
そういう情報も大きくは取り上げられないので、わからない。
この春はまたヴォーカルのフラン・ヒーリィが病気で、
ジャパン・ツアーをキャンセルしたそう。
かなり受難なバンドかもね。)

TRAVISは、日本では全然メジャーではないけど、
英国では次代を担うバンドとして、すごい人気なんですよ。

特徴としては、とにかく「暗く」「内省的」な歌詞、そして、
今にも「泣き出しそう」な、ヘタレでいてキラッと光るヴォーカル。
このバンドを説明する時には「諦観」という表現も使われます。
英語を解さない私でも、一聴しただけでわかるくらいです。
でも、ただ諦めただけの、投げやりな暗さではない。
暗い水の底から、一条の光を見つけようと、目を凝らしている感じ。
今の世の中は、まともな神経の人間であれば、
そんなHappy Happy!な世界じゃないことは誰もが分かっている。
そういうことを、個人的な立場から真摯に歌えばこうなる。
という感じです。

これをポップ・ミュージックの世界でやってのけて、しかも、
売れてる!という事実はスゴイ!!

そもそも私が初めて「これはスゴイ!」と思ったのは、4〜5年前BSで放送された、
英国の野外フェスティバルでの彼らのステージの様子を見た時。
初めて聴いた3曲ほどを「すごくいい...」と思ってしまい、
お客さんが全曲をバンドと一緒に大合唱してる様子にも
「タダごとじゃない!」と思ったのでした。

うん。今度のアルバムも、とてもいい...。
私の今回の制作のお供です。


聴いたことが無い人は、聴いてほしいけど...好き嫌いが分かれるかもね。

2004年6月13日(日) Part 1

『虫御殿&そして日常は続く...』

「虫御殿」

その1
先週のど夜中、寝る前に「メールのチェックだけしておこう」と思い、
Macに向かっておりました。
すると、左前方の壁でカサカサいう音...
視野の左上隅には何やら動くモノの影も...
フッ!と見ると、そこには掛け時計を経由して、
今正に、ラックと壁のすき間へ落下してゆかんとしている、

ムカデ!!!!!.。ooO(゜ペ/)/

12〜13センチほどある、立派なヤツです。ひいいいいい〜〜〜〜(>_<)
一旦、これを目撃してしまったからには、
「見なかったこと」にして寝ることはできない!!
ムカデを見たのは何年ぶりか...
ラックの上の物を下ろし、恐る恐る棒でつつきながら、なんとか裏に隠れていたムカデを発見。

でも、私も案外ヘタレなとこがあって、
棒でムカデをたたこうとしても、全然命中しない。
逃げまどうムカデの外見が怖いのと、
何も悪いことをしてない大型の虫を殺生しようとしているのとで、
ドキドキして手がふるえてしまった。

最終的には殺虫剤を噴射して、それで殺してしまいました。
でも、殺虫剤で生き物を殺すと、すごく後味が悪い。
まだ自分でたたくとか踏むとかする方が虫に失礼が無い気がする。
(でもまあ結局は殺すんだが...)

気が付いたら、ムカデ退治に2時間もかかってました。
さっさと寝ようと思っていたのに。とほほ...

(この話をバイトの同僚のWさんにしたら、
「ムカデつかみ」という便利なものがあると教えてくれました。
それがあれば、ムカデさんを殺す必要はなくなる!
「ムカデつかみ」でつかんで、家の外へ放り出してやればいいのです!
これは買わなければ!!)

その2
これまたど夜中の話。
寝る前の歯磨きをシャカシャカとしておりますと、
目の前に置いているマグカップに何か付いている。
「なにかいな?」と思って顔を近づけてよ〜〜〜く見ると、

カマキリの赤ちゃん!!(*^。^*)

(なんでこう、ムカデと扱いが違うのか...ムカデさんに同情します。)

どっから来たのか、1匹だけ、くっついておりました。
体調はわずかに1センチほど。
でも、ちゃんとカマキリの「構え」をしてて、なかなかヤルな!という感じ。
私はカマキリなんかは得意中の得意なので、
「達者でな!」と、つまんで窓から外へ放り出しました。

「毛の生えたもの」「毒のあるもの」「咬むもの」以外は、だいたいどんな虫も生き物も平気です。
(「毛の生えたやつ」は、だいたい毒を持っている。)
イモムシ、青虫、幼虫系も、毛が生えてなければバリバリ触れます。
アゲハの幼虫なんか、あの色といい、形状といい、ビロードのような感触といい、大好き!!!
アゲハの幼虫をデザインした人がもしいるなら、「Good Design 賞」を!!
ちょっと臭いけど、あんな可愛いヤツは他にいない!(^◇^)
ミミズも、頑張ればつまめます。
トカゲも可愛いし、好きですね〜!

それにしても、ムカデは参った...
慣れないことをして、かなり良心がうずきました。うう...(/_;)



「そして日常は続く...」

いつまでもNYのことを考えて座り込んでいられないので、
もうスッパリ切り替えて、
次の仕事にかかっております。(右の写真→)

今回描き始めたのは、去年描くつもりだったけど、
諸処の事情で描けずにいた絵です。
1年半近く寝かせたので、その間に頭の中ではすっかり描き上がっております。

だいたい、私は頭の中で一度絵を完成させてから、描き始めます。
それは映像として完成させるのではなく、
描き上がった絵を見た時の感触とか、空気感なども合わせた、
『「印象」を完成させる』と言った方が正確でしょう。
その頭の中の「印象」と、描きながら目の前に現れてくる「絵」と、
撮ってきた「写真」をすり合わせて、描いていきます。
だから、最初に頭の中で描いていたのと違う作品が完成することがよくあります。

最初は無意識にやっていたことが、描いているうちに、
自分が「なぜ」そう感じたのか?「なぜ」そのように描いたのか?が、
「突然分かる」こともあります。
そういう時は心の中でガッツ・ポーズです。
この状態を人に説明するのは難しいですが...
恐らく、そういう瞬間のために、絵を描いてるんだろうと思います。
「絵の神様!ありがとう!」と思います。

2004年6月8日(水)

『20年』

 ここ2週間ほどのキーワードは『20年』

・『礫(れき)展』

今から20年前、『礫(れき)』というグループ展の第1回展が神戸で開かれました。
夏休みの1週間でした。
それから11年間、私はグループ展に参加した後、
「無期限の休み」に入らせてもらい、今に至っています。
『礫展』はその後もメンバーを入れ替えつつ、今も続いています。

なぜ私がこのグループに参加したのか。
今でもよくわかりません。
自分から「参加します!」と言った覚えは無いのに、気が付いたら入っていた。
で、私はなーんも考えずに絵を出して、画廊でポーッとしてればいい、
「ふつうの展覧会」だと思っていたら、とんでもない...!
展覧会の会期中毎晩、画廊を閉めたあと、
居酒屋〜喫茶店で夜中(時には朝)まで絵画論を闘わせるのです。

え?私?私は全然!結局、最後の最後まで会話についていけませんでした。
最初のうちは、へー、と思いながらみんなの話を聞いてるだけで許してもらえていたのが、
だんだん、「なぜあなただけ何も話さないんだ!?」
「そのための展覧会なのに」と言われ始めまして...
話せって言われても、話せるようなことを考える頭が無かったので、
そりゃあ、話なんかできないですわなぁ。
(それは今も似たようなもんなんですけどね)
まあ、そんな状態で、何年かしんどい時期を過ごしました。

でも間違いなく、このグループ展に参加したことで、今の私があります。
とにかく、メンバー全員が、
「絵画って、つくるって、何だろう?私は何をどう描くべきなんだろう?」
ということを真剣に考えていた。
私みたいにただ描いてるだけ、じゃなかった。
そのやり取りを聞いているだけでも、私にはとても刺激的でした。
ひとりひとり、違う考えをもって発言しているのを聞いて、
自然と「私はそうじゃないな」「その考えは賛成できる」と、自分との比較が出来ました。
ただ、「私はこう思う。なぜなら...」と人に語るための言葉を持っていなかったので、
自分の心の中で、こっそり比べることしか出来ませんでしたが...。
それでも、この展覧会に参加していなければ、
私は今のようには、絵を描いていなかったと思います。
とっくに止めてたかも。

でも、描くの止めたら「あ!コイツ、止めた!!」と言われるもん。ぜったい!
それが悔しいから止められなかった。(笑)

それくらい、私に大きな影響を与えた、
「人生を変えられてしまった」と言ってもいい、グループ展でした。
(あ。今もあるんだから、「でした」じゃなくて、「グループ展です。」)

で、20年つながりをもう一丁!!

・映画『愛と悲しみのボレロ』
 (原題:LES UNS ET LES AUTRES. 「様々な人々」みたいな意味)

 この映画を観たのがちょうど20年前。
そして、今週テレビで放映されたのを、20年ぶりに観ました。
良かった...(>_<)
私の好きな映画の条件が、20年前にすでに完成していたことが、
あらためてわかりました。
(詳細は『映画のツボ』の中の『DVD:HEDWIG AND THE ANGRY INCH』本文を参照。)

この映画を簡単に説明すると、
5組の芸術家たち
(それはそれぞれ、ルドルフ・ヌレエフ(バレエ)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮者)、
 グレン・ミラー(ジャズ・ミュージシャン)、エディット・ピアフ(歌手)などを思わせる。)
の親子二代にわたる人生を、第二次大戦前夜から終戦を経て、
1980年のパリでのチャリティー・コンサートに集約させる、
旧西ヨーロッパの現代叙事詩的な映画です。

20年前に観た時、最も衝撃的だったのは、映画の冒頭と最後に出てくる、
ジョルジュ・ドンの踊る『ボレロ』でしたが、
あれから20年たった今観ても、やはり、その場面は食い入るように観てしまいました。
でも、20年という月日は残酷なもので、そのジョルジュ・ドンはすでに亡く、
彼が活躍していた「20世紀バレエ団」は今、拠点をスイスに移し、名前が変わり、
振付家モーリス・ベジャールも歳を取りました。

なんだかねぇ...。

でも、この映画もサントラ(音楽=ミシェル・ルグラン&フランシス・レイ)がとても良くて、
昔買った2枚組LP盤を録音したテープを引っ張り出してきて、MDに移して、
最近ずーっと聴いています。

そうなんです。もう、LPを聴けるステレオも無いんですよ!!
20年という時間の恐ろしさと、自分の変わらなさを、
同時に思い知っている、今日このごろです。

2004年6月2日(水)

『"世の中に自分を差し出す" こと』

 「ニューヨーク報告」の1弾目でもチラッと書きましたが、
今回の旅の途中、自分の作品ファイルをNYのとあるギャラリーに持ち込んで、見てもらいました。
つまり「売り込みに行った」というワケです。
オーナーの返事は
『あなたさえやる気があるのであれば、うちでやってみてはどうですか?』
というものでした。
この1ヶ月ちょっとの間、ずっとそのことについて思いを巡らせていました。
私の持っている情報や価値観だけでは、十分な判断ができない気がしたので、
とにかく知り合いに片っ端から尋ねてみました。
展覧会の条件は、こうです。

・ギャラリーのロケーションは、チェルシー地区という大きな画廊街の、最も北の通り。
 30以上のギャラリーが入っているビルの3Fです。
 (チェルシーには世界的に有名なコンテンポラリー・アート・ギャラリーが密集している。)
・3週間の会期で約100万円の費用がかかる。
 (費用は、画廊使用料、DM作成代、メーリング代、作品往復送料、
  往復飛行機代、1週間程度の現地滞在費、すべての合計。)
・オーナーは売ることよりも、まずは良い作品を多くの人に見てもらうことが大事と考えているよう。
・ここで展覧会をする人の3〜4割は日本人。(オーナーが日本人と米国人のご夫婦だから?)
・ギャラリーの「所属アーティスト」になれれば、企画展の扱いになり、会場費はかからなくなる。
 (その道のりは遠いと思われる...)

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それでは、私のスタンスをはっきりさせておきましょうね。
私はこう思っています。

・外国で展覧会をすることに興味はある。条件とタイミングさえ合えばやってみたい。
 (だって、何かおもしろそうやん?変わった人とか出来事に会えるかもしれんし。
  でも、外国人の作品や観客すべてが、必ずしも日本人のそれより優れているとは思わない。
  今回ニューヨークの一流と言われるギャラリーを回ってみてより一層そう思った。)

・「NYで個展をしました」というプロフィールに関して、私には何の感慨も無い。
 (要はやった「場所」ではなく、「内容」だから。やせ我慢でも何でもなく。)

・展覧会をするために作品を無理して作ることはできない。
 (いくら「今がチャンス!」であっても。)

・そろそろ、何かのカタチで腹をくくるべき時が来たかな?と思っている。
 (例えば、「売ること」を最重要課題とした展覧会など。もちろん作品の質は落とさず。)

・「NYで1回だけ個展をやって無視されて終わり」というのなら、やらない。
 (やる限りは、必ず何らかの現実的な結果を出すつもりでやる。)

・私には100万円の費用を何度も出す経済的余裕は無い。出せるのは1回限り。

・外国で作品を発表すること自体には、何の不安も無い。
 日本でやってることと同じでいいと思っている。

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次に、知り合いから返ってきた意見。

・やれ!こんなチャンスは二度とない!
 (美術関係じゃない、大勢の人から言われました...)

・貸しを主にしているギャラリーはコレクターやプレスを呼ぶ力が弱いと思われ、
 そういう種類のギャラリーで大金を使って個展をやる意味は無い。

 (美術雑誌の編集さんの意見。シビアですが、その通り。)

・お金を払ってギャラリーを借りるなら、やらない。
 (画家として活躍している先輩。うーむ...)

・こういう「縁」は大事にした方がいい。たとえ失敗したとしても、やるべき。
 あなたはものをつくる人生を選んで生きているのだから。

 (知り合いの僧侶の方。)

・結果が何も出なくても、それでもやってみようと思うなら、それもアリかもね。
 トシもトシなんだし(笑)

 (大学の同期の意見。そう、ムチャできるのは今が限度かもしれない。)

・僕なら、やります。宣伝もちゃんとして、やれるだけのことをする。
 (知り合いのヴォーカリストの方。)

・私には、自分にとってかけがえの無い作品をつくることがすべて。
 NYで個展をすることは、作品をつくることとは何の関係もない。
 だから、私ならしない。

 (大学受験時代の同期。作家として筋が通っている。)

・やってみないと分からないじゃないですか!!
 NYはね、世界につながってるんですよ!

 (私に今回ギャラリーを紹介してくださった作家の方。)

・世界中にNYで個展したくても出来ない人が一体何人いると思ってる!?やれ!
 (幼なじみの子)

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まず、
『あなたさえやる気があるのであれば、うちでやってみてはどうですか?』と言われた。
と話しただけで、
「もちろん、やれ!こんなチャンスは誰にでもあるわけではない。」
と言った人が大勢いて、正直、とても怖かったです。
無条件で諸手をあげて、「やれ!」と言う、その根拠は何なのだろう!?と思いました。
まさか、ただ漠然と「ニューヨーク」というロケーションに反応した!?
(嫌みじゃないけど、「ニューヨークで1回だけ個展しました。」は、自慢にも何にもならないですよ。「あー。チラッと向こうでやってダメだったのねー。」ってだけで。)

逆に、美術関係の人はほとんどが
「ただやっただけ、で終わる。」「意味ない。」という意見でした。
ギャラリーの知名度や質、かかるお金の金額、作品をつくる者としての思想、
理由は様々ですが。
この落差は何なんだろう?

ところで、当事者である私が心配してるのは、
物理的にギャラリーに人が来なくて自分の作品を見てもらえないとか、
ただ空いている部屋を埋めるためだけに日本人が呼ばれる、とかであれば、
やりたくないな、ということ。
いえ。
たとえこの話の実体がそういうことであったとしても、
それでも見てもらうんだ!、くらいの気持ちでないと、やれない。

でも、自分が絵を描くという行為に関しては、
恐らく根本的に何の影響も与えないし、
現実的な利益
(売れる。他のギャラリストの目に留まる。コレクターの目に留まる。など)
も無いだろうと推測される展覧会(どうにかなるなんて考えない方がいい)を、
そこまでの決意でもって行うことに、
何の意味があるのかわからないのも正直なところで...
そこまでの気持ちが果たして自分にあるのか!?と問うています。今も。
そして、結論はまだ出ていません。

ふつうに考えれば、まず私のような無名の東洋人が、
有名ではないギャラリーでひっそりと個展をしても、あまり人も来ず、
誰の記憶にも残らないまま終わっていくだけです。
しかも、2度目は無い。

「それでもいいんだ!やる!」

と言えるだけのモチベーション。
その源が見つからない限りは動き出せない。

まったく新しい考え方や、展覧会をする理由が見つからない限り、この状態が続くでしょう。

今回、私の話を聞いてくださり、きちんとお答えいただいた皆さんに感謝します。
そして、「個展やるなら応援するから!」と言ってくれた方にも。ありがとうございます。
みなさん、私の煮え切らなさにイライラされているでしょうね。
申し訳ないと思っています。

でもね。どんなことになっても、責任取るのは私なんですよ。
だから、自分で自分に納得がいかない限り、これはやれないんです。


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