BARCELONA/
FREDDIE MERCURY
MONTSERRAT CABALLE
1988/10/10(UK)Released
2000/11/22(JP)Released(Box Set)
1.BARCELONA
2.LA JAPONAISE
3.THE FALLEN PRIEST
4.ENSUENO
5.THE GOLDEN BOY
6.GUIDE ME HOME
7.HOW CAN I GO ON
8.OVERTURE PICCANTE

アルバム「BARCELONA」について。
 ジャケットの感想はおいといて...。いえ、やはりこのジャケット写真はフレディーの緊張感と満足感の入り交じった表情が見逃せませんね。「どやっ!」てな感じ。それと、モンセラ・カバリエのデカさと!!

 このアルバムが誕生するきっかけは、1981年。フレディーが初めて体験した生のオペラコンサートでのこと。それ以前からオペラ・ファンだったフレディーは、ロンドン市内で行われた公演にルチアノ・パバロッティをお目当てに出かけました。そこで彼を虜にしたのがソプラノ歌手、モンセラ・カバリエでした。それ以来彼女の熱狂的なファンとなったフレディーですが、それを公にしたのは1986年7月のこと。スペインのアート系TV番組のインタビューを受けた際、好きな歌手はという質問に対して「モンセラ・カバリエ」と答え、どんなに彼女の声が素晴らしく、どんなに惚れ込んでいるかということを、司会者を圧倒するほどの情熱を持って語ったそうです。その様子がモンセラの耳に伝わり、翌1987年3月24日バルセロナ市内のホテルで、晴れてフレディーはモンセラとの対面を果たし、モンセラの次のロンドン公演で、その日フレディーが持参した曲のワールド・プレミアを行う約束まで取り付けたのでした。この日フレディーが持参したのは、モンセラの歌い方を参考に作曲した「Exercises In Free Love」( シングル「THE GREAT PRETENDER」のB面)のテープでした。結果的に、先に「一緒にアルバムを作りましょう!」と言ったのはモンセラの方だったそうです。そう言わせるに十分な説得力を、フレディーの作った楽曲も彼の声も彼女に対する心からの尊敬も、全てが持っていたのでしょう。

 1.「BARCELONA」は'92年バルセロナ・オリンピックの時も「ああ、良い曲やなぁー。」と思っていましたが、当時はCDを買うところまで行きませんでした。この歌詞は明らかにフレディー本人とBARCELONA出身のモンセラ・カバリエとの「出会い」をテーマにしています。彼らが初めて会ったのがやはりバルセロナでした。(キンコンカンコンと鳴る音はサグラダ・ファミリア教会の鐘の音を模しているそうです。しかし現実にはまだ誰もサグラダ・ファミリアの鐘の音を聴いた人はいません。なぜなら、まだ鐘塔が完成していないので...!!サグラダ・ファミリア教会が大好きだったようですよ、フレディーは。私も大大大好き!!)元々オペラとミュージカルとバレエの大ファンだったフレディー・マーキュリーですが、このオペラ歌手とのプロジェクトが決定した時、彼の喜び様は尋常ではなかったようです。二人がロンドンのフレディー宅でこのアルバム収録曲のラフ・バージョンを歌っている音がBOX SETに入っていますが、嬉しくて嬉しくて、でも緊張して、どうしようもない感じがよくわかります。2.は「大好きな日本のことを歌いたかったんだ!」ということらしく、半分くらい日本語で歌っています。が、日本人が聴くと大変辛い...。メロディーもアレンジもどこか「中華ちっく」なんですよね〜(^◇^;)。それでもこの曲に心惹かれてしまうのは、フレディーの日本語の上手さによります。「Teo Torriatten (Let Us Cling Together)」(アルバム"A Day At The Races"収録)もまあまあ上手かったですが、そんなに長いフレーズではありませんでした。しかしここでは2コーラス目が見事に全編日本語です。ちょっと詞としてはまどろっこしい部分もあるけれど、一生懸命歌っています。うう...(/_;)こんな風に本気で日本語で歌ってくれたシンガーが今までいたでしょうか!?いませんね!!フレディーの日本語は真剣で大まじめすぎて笑ってしまうほどです。カルチャー・クラブもポリスも、「ふざけるな〜!」ですよ。オペラ「蝶々夫人」なんかが下敷きになってるのかな?(私はちゃんと聴いたことないんですけど。)3.「私達は死すべき運命 神が手の中で転がすダイス...」。このアルバムには全編を通して「死生観」を歌った詞が多く見られます。本物のオペラにそういった傾向の歌詞が多いことは確かなので、フレディーはオペラのパロディとしてこういう歌詞を書いたとも考えられますが、パロディのふりをして実は自分の思いを本気で書いているんじゃないかと私は思います。4.はスペイン語で歌っています。タイトルは「夢の中で」という意味です。このふたりのお互いへのLOVE SONGとなっています。モンセラは後に「私達は相思相愛なのよ。」と言ってます。(あのー。もちろん音楽的、人間的に、という意味で。)5.展開がめまぐるしい!!フレディーお得意の構成です。間にゴスペルがはさまっています。歌詞はフレディー自身のこと!?このアルバムの歌詞はどれも自伝的要素があるような気がしますね。1曲1曲が小さな物語で、それが8曲集まって、オペラとロックとゴスペルとミュージカルを掛け合わせたよう。6.心細い歌詞ですねぇ。ああ!7.これも悲しい歌です。「どうしたらいいの?」がタイトル。後半、モンセラのヴォーカルを追いかけるようにしてフレディーが歌詞を呟くところがたまりません...(;.;)(ナルシシズムの極地!?)すっごく良いです。フレディーの声はこういう悲しい歌でも本来的に前向きな姿勢が保たれているので、決して単なるお涙頂戴の歌にはなりません。8.オペラやミュージカルには付き物の、「大団円」ってやつです。このアルバムを舞台化するなら、最後にこの曲に乗せて出演者が続々ステージに現れることになるでしょう。

 制作年から見て予測がつくとおり、このアルバムはフレディーがHIV感染を知った後に作られました。多分、自分に残された時間をどう使うかということを、彼は真剣に考えたはずです。その答えがこのアルバムなのだと思われます。レコーディング中、モンセラはフレディーの口から直接、「実は僕はHIVに感染しているんです。」と告白されたそうです。「この事実をあなたに伝えることは、僕の義務だから。」と。「あなたはそんなに丈夫に見えるのに!それに、私に告白することは義務じゃないわ!」と驚いたモンセラに対してフレディーは言ったそうです。「いいえ。義務です。あなたとの関係は、僕にとってとても大切なものだから...。」と。
(確かにDVD「FREDDIE MERCURY : THE UNTOLD STORY By Those Who knew him Best」の中ではモンセラはそう語っているのですが、他の本によると「最後まで知らなかった」とも書いてあったりして、どちらが真実かは結局のところわかりません。)

 とにかく聴いてみて下さい。「これが本当にQUEENのヴォーカルの、あのフレディー・マーキュリーのアルバムなのか!?」と驚いて、そして「...ははは・・・」と苦笑して、最後に「他人の目を気にせず、自分で自分の限界を決めず、やりたいことを実現するということは、こんなにも笑えてしかも感動的なんだ!!」ということを発見して下さい。誰もこの仕事を否定できないはずです。そして全く同じ理由で、このとんでもないプロジェクトに取り組んだモンセラ・カバリエにも拍手!です。このアルバムは間違いなくフレディー・マーキュリーの仕事の中で、ベストです。


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