cinema    映画この1本!!

  私「J」が劇場・ビデオ・テレビなどで見た映画について書いています。
 見たい映画しか見ないので、偏った選択になることはご容赦ください。
 ジャンルもバラバラです。


CINEMA6 「HEDWIG AND THE ANGRY INCH」
     (ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ)
2001年/アメリカ  監督/脚本/主演/ジョン・キャメロン・ミッチェル
   作詞・作曲/スティーヴン・トラスク
       出演/マイケル・ピット/ミリアム・ショア/
   スティーヴン・トラスク/
     アンドレア・マーティン 他。

 ☆☆☆☆☆
 五つ☆満点!!(T-T)バカ度も文句なし!

hedwig 「映画のツボ」を読んで下さっている方の中で、この映画を見た方はありますか!?ほとんど見られていないでしょうね。そんなに大勢の人に人気のあるような作品ではないことは確かですもんね。でも、見て欲しかったですよ、本当に!!
もしこの映画のチラシ(右参照→)を見て、嫌悪感や色物的な匂いを感じて「見なくていいや」と判断されたのなら、それはとてーも残念なことでした(T.T)
 う〜.....コーフンするのはこれくらいにして、まだ見てないし見るつもりもない方に詳しい内容を説明しましょう。
(これから見るつもりの方は読んではいけません。)

 1960年代後半、旧東ドイツ・ベルリンに生まれた少年ハンセルは、オーブンの中に頭をつっこんで(「自由は堕落である」と思っているママが嫌がるから!)小さなラジオを耳に当て、米兵向けラジオ放送で自由の国・憧れのアメリカのロック・ミュージックを聴くのが何よりも好き。秘かにアメリカでロック・スターとして成功することを夢見ていました。ママはハンセルに「人間はかつてふたりでひとり(男と男。女と女。男と女。の3つの性があった。)だった。それを人間が利口になりすぎたことを怒った神が切り離して、人間はひとりひとりになってしまった。だから人は今も自分の片割れを探し求めていて、それを見つけた時に溢れる感情が『愛』なのだ。」(プラトンの「饗宴」の中の「愛の起源」から採用されたモチーフだそう。)と話して聞かせるのでした。やがて青年へと成長したハンセルは西側の国々との境であるベルリンの壁近くで、自由と豊かさと自分の片割れを夢見ながら1日の多くの時間を過ごすようになります。ある日そこで優しい米兵ルーサーと出会った彼は、「女性になる手術を受けて、結婚して一緒にアメリカに行こう。」というルーサーの申し出を受け入れ、性転換手術を受けますが、医師の不手際で取り去るべきものが1インチの肉塊(=ANGRY INCH=怒りの1インチ)として残されてしまいました。晴れて女性(?)となり母の名前である「ヘドウィグ」を名乗りルーサーの妻としてアメリカに渡り、幸せを掴んだかに見えたハンセル。しかし間もなく夫は他の少年の元へ去り、あんなに苦労して越えたベルリンの壁はあっけなく崩壊。彼女はアルバイトをしたり夜の女となり、ひとりアメリカでなんとか食いつなぎながら、ロック・スターになる夢を思い出し細々と音楽活動を始めるのでした。
 ある日、ベビーシッターのバイト先の息子トミーが、自分と同じようにロックに対して強い情熱を抱いていることを知ったヘドウィグは、彼にロックの魂を教え込み「トミー・ノーシス(=Gnosis=グノーシス=霊的認知の神)」という名と額にシルバーの十字を描くメイクを与え、彼とともに自分たちの音楽を作り活動を始めます。互いを音楽の共作者以上の存在と感じ始めたふたりでしたが、ヘドウィグの体の秘密を知ったトミーは、思わず彼の元から逃げ去ってしまいます。

 数年後。
 ヘドウィグのオリジナル曲を自分のものと偽り「トミー・ノーシス」として全米デビューを果たしたトミーは、今やビルボードNo.1のロック・アイドルに。ヘドウィグはギタリストの夫イツハクと自らのバンド「THE ANGRY INCH」を率いてトミーの全米ツアーにストーカーの様について回り、場末のチェーン・レストランで呆気にとられている客を相手に、夜ごと自らの数奇な人生を歌い綴る場違いで過激なライヴを繰り広げ、トミーに復讐する機会を狙っていました。しかしバンドはうだつが上がらず解散寸前、トミーに復讐する機会も与えられず、夫にも離婚を言い渡され、またひとりぼっちになるヘドウィグ。そこへ遂にトミーが現れます。彼は自分のCDに「(作・トミー・ノーシス)とヘドウィグ」と書き加え、「いつか一緒に音楽を。。」とつぶやくのでした。その直後に自動車事故を起こしたふたり。トミーはヘドウィグとの関係を必死に否定しますが、ヘドウィグは大スター、トミー・ノーシスとの関係を取りざたされ、一躍時の人となり、テレビに雑誌にひっぱりだこの人気者となり、バンドのメンバーとマネージャーも彼女の元に帰ってきます。いよいよロック・スターになる夢がすぐそこに見えたヘドウィグ。大勢の客を迎えてのライヴ。以前より激しく怒りをぶつけるように歌うヘドウィグ。しかし、彼女の中で何かが変わろうとしていました。

 かつてヘドウィグとトミーが作った曲を、トミーは歌いかけるのでした。

『人はたったひとりでも完全になれるんだ。自分の片割れを必至になって探し彷徨わなくていいんだよ・・・もしキミが行き詰まってどうしようもなくなったら、僕の声を追いかけることだって出来るんだよ・・』

 ベルリンを出てからずっとかぶり続けていた派手なカツラも女装も脱ぎ捨て、分厚いメイクもぬぐい取り、額にはトミーと同じシルバーの十字を描いたヘドウィグ。ヘドウィグが育てたトミーもまた、ヘドウィグの一部だったのです。もう自分の性も体も偽る必要は無い。ヘドウィグはあるがままの自分の姿で生きるしかないのだと気付くのでした。



 私の感想はもう書く必要はありません。以上の内容、そして映画の中でヘドウィグとトミーが歌う曲がすべてです。随所に挿入されるアニメーションも、なんとも詩的!いつまでもいつまでもいつまでも見ていたい。聴いていたい。ヘドウィグというキャラクターは、はっきり言っておバカで考え無しでヒステリーで、信用していた人間にはことごとく裏切られるし、不幸のかたまりですが、とにかく打たれても打たれても立ち上がるところが泣かせます。お話全体を、ひとりの人間の中の人格統合の話として見ることもできますね。言うこと無し!
 この映画は1998年から2年間上演された大ヒット、オフ・ブロードウェー・ミュージカルが元になっていますが、舞台版では一夜のライヴでヘドウィグが自らの人生を歌い綴るという設定になっているようです。映画版で監督/脚本/主演をこなしたジョン・キャメロン・ミッチェルは舞台でも脚本/主演しています。ヘドウィグとトミーの歌う全曲の作者はスティーヴン・トラスク(ジョン・キャメロン・ミッチェルの元彼だそうです)。バンド「THE ANGRY INCH」のギタリスト、スキシプ役で映画にも出演しています。ヘドウィグの2番目の夫イツハクは、舞台と同じミリアム・ショアという「女優」が演じています。(途中で気がついて「すごい!」と思いました。こういう配役は軽い思いつきでできるものではありません。)映画の最後にヘドウィグが切々と歌い上げる「MIDNIGHT RADIO」は圧巻!

 あと、もうひとつ驚きの事実を!
上にあるチラシの写真ですが、ナント撮影はMick Rock。え?ダレかって?QUEENの最高傑作と言われているアルバム、(ここを見て!→)「QUEEN2」のジャケットを撮影した人です。こういう偶然って嬉しいです。なんか「呼ばれてる!」という感じがします。「つながってる!」と思います。

 見ていない人は騙されたと思って見てみて!
サントラも◎。映画を見たら絶対欲しくなります!(特にルー・リード、デヴィッド・ボウイが好きな人にはオススメ。)


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