にこアニメ 「過去作品の部屋」 1983年〜


学生時代〜の作品の一部です。

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鏡の自画像
「鏡の自画像」
(1983年)
浴衣の母
「浴衣の母」
(1984年)
「自画像」
「自画像」
(1984年)
裸婦デッサン
「裸婦デッサン」
(1984年)
自画像
「自画像」
(1985年)
裸婦
「裸婦」
(1985年)
reki_1
「グループ展」
(1985年)
「Je ne sais pas.」
「Je ne sais pas.」
(1985年)
tsuyuroom
「ツユクサの部屋」
(1985年)
La piece ne 7.
「La piece ne 7.」
(1987年)
ZΟΟ
「ZΟΟ」
(1987年)
ZΟΟ(世界とツル)
「ZΟΟ(世界とツル)」
(1988年)
絵のある自画像
「絵のある自画像」
(1988年)
watashiwakanjyowo
「私は彼女を見つめる」
(1988年)
二重肖像
「二重肖像」
(1989年)
1989_1
「無題」
(1989年)
1989_2
「無題」
(19989年)
1990_2
「無題」
(1990年)
1990_1
「無題」
(1990年)
natteyuku
「成ってゆくカタチ」
(1990年)
atsu
「中の圧力」
(1991年)
sou
「層の密度」
(1991年)
izumi
「泉」
(1992年)
shizunde
「沈んでよどむ」
(1992年)
yanagi
「柳に雪」
(1993年)
ukishima2
「浮き島 ||」
(1993年)
chi
「地」
(1994年)
akaimi
「赤い実のなる木」
(1995年)

過去の作品について

 ここに載せたものは約20年前〜の作品になります。(トシがばれますが、あえて計算はしないように。)
「こんな時代もあったのね!」という感じです。はっきり言ってヘタです。これでも美術大学に行ってたんですから、今では考えられないですね。今の学生さんは高校生のうちからスゴく上手ですもんね。テクニックに関しては今の人にはとてもかないません。しかし心意気では負けていなかった。はず。

 始めの9枚は学生時代の作品です。私が通っていた某美大では当時は午前中は来る日も来る日も裸婦デッサンをやってました。今思うとなんで?という感じですけど、昔はそれも新鮮で、な〜んも考えずに一生懸命与えられた課題をこなしていました。で、いわゆる「作品」は自分の下宿で各自勝手に描いてました。4年になると制作室が与えられて学校でも制作できるようになるのですが、私は結局学校では自分の作品は1枚も仕上げることはできませんでした。人に見られてると描けないんですね。変なせーかく。家で描いてると友達に会えないし、でも学校に行ってもみんな制作してて遊んでくれないしで、4年の時はたいへん寂しい思いをしておりました。ということで上に載せている作品も、学生時代のものはほとんど下宿で描きました。

 1989年から1〜2年間は迷走期に突入し、粘土で立体を作ったり抽象的な絵を描いたりコラージュをしたり真っ白な絵を描いたりしていました。再び具象絵画に戻ったのは1991年頃です。
1990年の「白い絵」から「立体」1点を経て、また具象絵画に戻っていく辺り、自分で眺めてみても「へええ〜!」っていう感じがします。面白いですねぇ。なんか、「生き物」みたい。1995年には、「地」と「赤い実のなる木」の2枚を出品して、1985年の学生時代から11年参加したグループ展を出ました。
「赤い実のなる木」以降の約4年間は、絵からまったく離れて詩を書いていました。
なので、「赤い実のなる木」の次の作品は、「信濃橋画廊5個展/2001年」となります。

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